さらば初恋【Dパート】
翌日の昼休みの事だった。
「鷹ノ目さん、ちょっといいかな。」
直実を呼んだのは田上だった。
「な、なぁに?」
複雑な思いが交錯しながら極力平静を装って直実は答えた。
「ちょっとついて来てくれない。」
「え? ‥‥う、うん。」
直実は田上の後を距離を開けてついていった。
誰もいない木々に囲まれた焼却炉の前まで歩いて行くと田上は立ち止まった。
「昨日、見たろ。」
おもむろに田上は振り向くと直実にたずねた。
「な、何の事?」
直実は目線を外して答えた。
「とぼけるな。昨日、沖スポにいただろ!?」
「え? ‥‥うん‥‥いたけど‥‥。」
「テニスコーナーで俺を見たよな?」
「‥‥見たよ。‥‥でも、それがどうかしたの?」
直実の切り返しに田上は動揺した。
「何も見てねぇんならそれでいい。
――悪かったな、呼び出したりして。」
そう言うと田上は一人校舎へと帰っていった。
(やっぱ、昨日のは‥‥)
直実は先程の田上の態度から万引きを確信した。
いつからか両脚が震えている。
キーンコーンカーンコーン。
チャイムの音に我に返ると、重い足取りで校舎へと向かった。
その日の授業は全く頭に入らなかった。
そして放課後、野球部の部室。
「おい、鷹ノ目! 何ボケッとしている!?」
ぼんやりとした表情の直実に、野球のルール講座をしていた三浦の叱咤が飛んだ。
「‥‥すいません‥‥今日は何も頭に入りそうもありません‥‥帰ります。」
直実は覇気のない声でそう言うと、立ち上がって一礼し、引き上げようとした。
「鷹ノ目、何があった?」
「‥‥別に何も‥‥。」
「ならいい。
だが、大会までそれほどの時間はないという事は分かっておいて欲しい。」
「‥‥はい。」
心の中に虚無が加速をつけて広がっていくように感じる。
今の直実にとって野球のルールも新人戦も、そんな事はどうでも良かった。
とにかく今は何もしたくはなかった。
家に真っ直ぐ帰る気にもなれなかった直実は、荒川の土手の斜面に腰を下ろすと、水面にキラキラと反射する夕日をぼんやりと眺め始めた。
(このまま‥‥見なかった事にしちゃえばいいんだよね‥‥。)
そう頭の中でつぶやいてはみたが、気持ちはやはり割り切れない。
それは万引きが許せないという正義感よりも、田上が万引きをしたという事実を信じたくないという想いが先行していた。
(何であんなコト‥‥。)
直実はそのまま上体を倒し寝転んだ。
春の柔らかい光で暖められた草は精神的に不安定になっていた直実の体を優しく包み込んだ。
その心地良さに瞼は重くなり、そのまま眠りへと直行した。
● ● ●
「ふぇっくしょん!」
くしゃみと共に目覚めた頃には既に空に星座が並んでいた。
「いっけなーい、寝ちゃった‥‥。何時だろ? 早く帰んなきゃ‥‥。」
直実が草のベッドから身を起こした時、近くの公園の方から何やら罵声が聞こえた。
「何だろ? イヤだなぁ‥‥。」
家へ帰るにはその公園を突き抜けるのが一番の近道だ。
しかし、その公園内ではケンカでも起こっているらしい。
(走って通り過ぎちゃえば平気だよね‥‥。)
家路を急ぐ直実は強行突破を決意した。
公園内に入った直実が目にした光景は、十人前後の若い男たちが一人の中年男性に対して暴行をふるっている現場だった。
(――オヤジ狩り!!)
若い男たちは鉄パイプやらバットやらをそれぞれ手にしているところから見て、最初から『オヤジ狩り』と呼ばれる暴力行為を目的に網を張っていたのだろう。
そこへ運悪く会社帰りにこの公園を突っ切ろうとした中年男性が『獲物』として標的にされたに違いない、という推測が直実の頭に導き出された。
(やっぱ、強行突破はやめとこ‥‥。)
踵を返そうとしたその時だった。
公園内に設置されているライトが一人の少年の顔を照らした。
「――田上くん!」
叫んだ直後に直実は『しまった』と思った。
案の定、若い男たちの視線の集中砲火を浴びる。
『獲物』が自分に替わった事が気配から感じられる。
「竜一の知り合いか?」
一人の若い男が田上に小声で話し掛けた。
「こいつ、俺の盗みの現場も見たんだ。
‥‥好きにしちまってもいいぜ。」
「!?」
田上の似つかわしくない台詞に直実はしばし絶句した。
そして、その硬直が解けた直後、
「た‥‥田上――――――ッ!!!!!」
怒りとも悲しみともつかない直実の叫びが公園内にこだました。
● ● ●
「人が‥‥これほど憎いと思った事はない‥‥。」
公園内では田上を除く全ての『オヤジ狩り』のメンバーが直実の見えないラリアットと超高速のジャーマン・スープレックスによってKOされていた。
「ま、待て‥‥俺のママはPTA会長なんだぞ!」
「だから‥‥だから、どうした!?」
直実は完全にぶちキれていた。
「この俺に暴力振るってみろ、夏の大会も出場できなくなるぞ!」
「野球もあんたも大嫌いだ!」
「た、鷹ノ目‥‥さん‥‥許してくれ‥‥。
見逃してくれ‥‥。頼むぅ‥‥。」
田上はその場で腰を抜かし、震えた声で命乞いをした。
「その首をもらう。」
直実はその場から動けなくなった田上に対しラリアットの構えを取った。
「ひぃぃぃぃぃ~~~~~~~っ!」
田上は失禁しながら情けない声を上げて気絶してしまった。
そんな田上に対し、容赦なく介錯するような直実のラリアットが唸る。
「やめろ、鷹ノ目!」
背後からの聞き覚えのある声に直実のラリアットが田上の首の寸前で停止した。
おもむろに振り返るとそこには三浦と明美が立っていた。
「‥‥先生‥‥どうしてここに?」
「山吹から電話をもらってな。
まだ家に帰っていないというから部員を総動員して探していたところにこの騒ぎだ。」
「‥‥すいません‥‥。」
茫然自失の表情でうな垂れる直実に明美が駆け寄る。
「ナココ‥‥ナココは強いよね‥‥私なら正気じゃいられないよ‥‥。
でもさ、たまには泣いたっていいんだよ‥‥。
たまには私に甘えてよ‥‥。
私たち親友じゃない!?
何でも話してよ! ‥‥水臭いよ‥‥。」
明美は泣きながら直実に抱きついて語りかけた。
「‥‥アケ‥‥私‥‥アケが思っているほど強くないよ‥‥。
だから、もっと強くならなくちゃいけないの‥‥。」
直実は明美の頭を撫でながらそう語ると、一人公園を後にした。
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