さらば初恋【Cパート】
「じゃ、私は卓球のコーナー見てるから。ナココは好きなとこ見てて。」
明美はウインクしてそう言うと、一人で卓球コーナーへ行ってしまった。
ぽつんと取り残された直実は自身の心臓の激しい鼓動によって何も聞こえない状態になった。
(ほんとに田上くんかなぁ。ちょっと確かめるだけ‥‥。)
直実は自分に言い聞かせると、田上がいるであろうテニスコーナーに足を進めた。
(え?)
直実が見た光景は信じ難い物であった。
田上が取ったストリングスが素早く田上のスポーツバッグの中に消えていったのだ。
(万引き!)
咄嗟にその言葉が浮かぶと直実の両膝が震え始めた。
この場から早く遠ざかりたい衝動に駆られたが足が意に反して動かない。
「ナココ、どうしたの?」
背後からの明美の問い掛けに直実の身体はビクッと反応した。
次の瞬間、振り向く田上と視線が合ってしまう。
「アケ、あっちへ行こ‥‥。」
「へっ?」
直実は明美を押して田上が見える所から離れた。
「何かあったの?」
店に入る時とは対照的に蒼ざめた直実の表情を見て明美は心配した。
「な、何にもないよ‥‥。」
「嘘。」
「‥‥う、嘘じゃないよ。
ちょっと店の空気が悪くて気持ち悪くなっちゃった‥‥。」
「大変! 外に出よ!」
二人は店の外へ出た。
「ナココ、家まで送ってこうか?」
「大丈夫‥‥一人で帰れるよ。」
直実は残る元気を振り絞って精一杯明るく答えた。
「‥‥じゃ、また明日ね。」
「うん。」
直実はそう答えると明美に背を向けて歩き始めた。
(ナココ‥‥。)
明美は直実の姿が小さくなるまでその場から見届けた。
「お帰り。今日は遅かったな。」
床屋の入り口近くに置かれた待ち用の長椅子に腰掛けていた直斗が、読んでいたコミックスを閉じて話し掛けた。
「ただいま‥‥。」
「練習キツかったのかい? 元気ないじゃないか。」
「え? ‥‥うん、ちょっとね。」
「今日は直実の好物のつくねだってよ。」
「ごめん‥‥食べたくない。」
ただ事ではない状態を感じ取った直斗が立ち上がった。
直実はどんなにヘトヘトになった時でも夕食を食べないという事は今までなかった。
「具合でも悪いのか?」
「‥‥ちょっとね。今日はシャワー浴びて寝る。」
直実は直斗の前を覇気なく通り過ぎていった。
(田上くんがまさか万引きだなんて‥‥。)
自分の部屋のベッドに入った直実の脳裏に幾度となく繰り返されるあの瞬間。
(あ~~っ、もう寝よ寝よ。私が見たのは何かの間違いだよ。きっとそうだ。)
そう自分に言い聞かせると頭が隠れるまで布団に潜り込んだ。
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