落日の決闘【Cパート】
直実が練習用のユニフォームに着替えてグラウンドに行ってみると、校内放送の効果のほどが実感出来た。
一年生はもとより、野球に興味のある生徒が観客席となっているファウルゾーンにごった返していた。
その中には宮町中の全野球部員の姿もあった。
(うわぁ‥‥すごい観客!)
予想以上の反響に直実は身震いした。
(さて、太刀川の奴は、と‥‥。)
肝心の太刀川の姿はその中にはなかった。
だが、せっかく集まってくれた生徒をこれ以上退屈させる訳にはいかない。
「さて、行きますかっ!」
直実は自らの顔にパンパンと気合を入れると、マウンドに向かって軽く走って行った。
「誰?」
「もしかして、あいつが?」
「まさかぁ‥‥。」
登場した直実に生徒たちは唖然としていた。
小柄で細身の直実があの太刀川と対峙する投手だと思った者は皆無であった。
(あれぇ、盛り上がってないじゃない‥‥。)
直実はマウンド上で静まり返る観衆を見渡す。
「ナココ――っ、頑張ってぇっ!
‥‥何だか良くわかんないけど。」
観客席の中から明美の声援が飛んだ。どうやら卓球部の練習はサボっているようだ。
「任せて!」
直実は明美に右手の人差し指を天に掲げて応えた。
(そいじゃ、いっちょ、盛り上げてやっかな。)
マウンド脇には軟球が詰まった籠が既に用意してあった。
その籠の中から一球つかむと、直実はバックネットへ向かって大きく振りかぶった。
フォン!
スタ―――――ン!
腕の唸りの音と、ホームベースを通過した軟球がバックネットを支えるコンクリートの壁を直撃する音が続けざまに轟く。
その直後、大きなどよめきが直実を包み込んだ。
(まだ軽く投げただけなのに‥‥。もう、みんな大げさなんだから。)
直実は恥ずかしいやら気持ちいいやら複雑な気分になったが、自然と頬肉が持ち上がる。
「おいっ、何だ、あの放送は!?」
声援を割ってガラの悪い太刀川の声が響いた。
一同の視線は一斉に校舎の方からグラウンドに現れた制服姿の太刀川と星野に集まる。
「来たなぁ、ルール無用の残虐超人プラスそのコバンザメ!」
直実はマウンドに向かって歩いてくる二人を指さして叫んだ。
「誰が残虐超人だ!?」
「誰がコバンザメっスか!?」
太刀川と星野が同時に直実に言い返す。
「いいか、この対決、一球たりとも目を離すな。」
松浦はグラウンドから目を逸らさずに部員たちに命じた。
「あの女子が野球部の代表だと?
それでいいのか、松浦?」
松浦に噛み付いたのは控え投手の三年生、加藤浩之だった。
「鷹ノ目なら勝つ。」
松浦にそこまできっぱりと言い切られたら加藤は沈黙するしかなかった。
(仮にマウンドに立っているのが俺だったら、そう言ってはもらえねぇんだろうな。)
加藤は言い知れない悔しさを覚えた。
「どういうつもりだか知んねぇが、勝負を挑んだからには覚悟があんだろうな!」
マウンドの直実を指さして吠える太刀川に、直実はズボンのポケットから父の商売道具のバリカンを取り出すと、太刀川に向かって突き出した。
「もし私が負けたらこの場で三分刈りになってやる!
だけど私が勝ったら野球部への極悪非道な嫌がらせは金輪際やめてもらうかんね!」
直実の発言で生徒たちはまたざわめき始めた。
「太刀川君って、そんな事やってたんだぁ‥‥。サイテ~。」
「見損なったぜ、太刀川っ! この陰険野郎!」
匿名の罵声が太刀川に浴びせられる。
「くっ‥‥うるせぇぞ、てめぇら!」
太刀川は生徒たちを一喝する。
「おいっ! それともう一つ、要求を追加させてもらうぜ。」
「何よ?」
「松浦の退部だ!」
太刀川がニヤリとした表情で直実に要求を突きつけた。
そのあまりにもふてぶてしい態度にブーイングが巻き起こる。
星野を除く全ての生徒を敵に回した太刀川は完全に大ヒールと化していた。
「それは‥‥。」
「どうしたぁ、勝負やめんのかよ? あぁっ?」
答えられない直実に太刀川はニタッと笑いながら追い討ちを掛けた。
その時だった。
「鷹ノ目、要求を呑め!」
ファーストベースまで前に出た松浦が腕組みをしながら叫ぶ。
「松浦~~っ!
その言葉、忘れんなよっ!」
太刀川は学ランを勢い良く脱ぐとその場に投げ捨てる。
そして星野から愛用の木製バットを受け取る。
「この手の勝負と言えば一打席がセオリーだが、それでいいんだろうな?」
右のバッターボックスに立った太刀川が直実に勝負の方法を確認する。
「一打席~? それじゃあ、私の腹の虫が治まんないわ!」
「何だと?」
「百球勝負だ!
あんたが私より後ろへ飛ばしたらあんたの勝ちでいいよ!」
直実が出したその破天荒な条件に生徒たちは喝采を送る。
「な、なめやがって‥‥後悔すんなよ!」
「勝負だ、太刀川っ!」
「ちょっと待て、キャッチャーはどうした?」
「はあっ? 一対一の対決に、何ワケわかんないコト言ってんのよ!」
キャッチャーが何なのか直実は知らなかったが、周囲の生徒たちはまさかそんな初歩的な知識の欠如とは思わず、『一対一』という言葉に対して『すごい啖呵だ』と勝手に解釈、一気にヒートアップする。
直実はバリカンをマウンド脇に置くと籠の中の軟球をつかむ。
そして今度はストレートの握りの軟球を太刀川に突き出す。
「ストレートでこの俺から三振を奪うってか?」
「‥‥勝負の前に訊きたい事があるんだけど。」
「何だ?」
「さんしんって何よ?」
直実の問い掛けに周囲は静まり返った。
(‥‥あの時、教えてあげていれば良かった。)
赤面した羽野が心の中で後悔した。
「はっはっはっ、そんな事も知らねぇのかよ!
憶えておけ、この俺から三つストライクを取る事だ!」
太刀川の答えで直実はやっと三振を理解した。
「なら、私はあんたを百振させてあげるかんね!」
直実の言葉に再び観客たちは沸き立つ。
(‥‥何なんだ、こいつは?
どっからこの根拠のない自信が出て来やがるんだ?)
太刀川は直実に呑まれ始めていた。
だが、幾多の大舞台を経験してきた彼はそんな気持ちを瞬時に切り替える事が出来た。
「来いっ!」
太刀川は自らに気合いを入れると、バットを外側に倒す神主打法と呼ばれる構えを取った。
「打てるもんなら、打ってみろ!」
一球目、直実は大きく振りかぶる。鉄の右腕が唸りを上げる。
スタ――――――――ン!
軟球はストライクゾーンど真ん中を通過し、周囲にすさまじい激突音を響き渡らせた。
先程のデモンストレーションの投球とは何もかもが桁違いだった。
(なっ!? ‥‥嘘だろ?)
太刀川はバットはピクリとも動かせなかった。
(こんな球を投げる奴とは今まで当たった事がねぇ‥‥。)
驚愕していたのはバッターボックスに立っている太刀川だけではなかった。
その光景を目の当たりにした者は皆、息を飲んでいた。
その中には昨日、直実と対決をしていた松浦も含まれていた。
(相変わらずすごいスピードだ。
しかし鷹ノ目、その球が百球持つのか?
持たなければお前の負けだぞ。)
松浦は肌を粟立てながら心の中で直実に語りかけた。
太刀川は十球を過ぎた時点でバットを短く持ち直した。
三十五球を過ぎた時点でバッターボックス最後部に立ち、七十七球を過ぎた時点ではバットを寝かせ気味に構え直した。
そして迎える九十八球目。
既に落日のグラウンドには物見遊山気分の生徒たちの約半数が家路に就いていた。
(球速が一向に落ちねぇ。コントロールも比較的安定している。
並の中坊なら当てる事すら出来ねぇだろうな。
‥‥だが、残念だったな、相手はこの太刀川教経だ!
緩急のないワンパターンなタイミングも、コースのバラツキが起こるフォームのクセもつかんだ。
この勝負、俺の勝ちだ!)
ここまでまだ一度もバットを振っていない太刀川がラスト三球目にしてニヤリと笑う。
「うおおおお―――っ!」
直実の鉄腕ラリアットが唸る。
スタ――――――――――ン!
すさまじいコンクリートの壁の激突音と太刀川の神速の空振りに生徒たちのどよめきが起こる。
(まさか、この期に及んで球速が増しただと?
奴のスタミナは無尽蔵か?)
太刀川は手のひらの汗をズボンで拭い、バットを握り直す。
マウンドの直実も荒い息を切らせながら、額の汗を腕部のアンダーシャツで拭った。
「あと二球であんたの野望も終わりだ!」
「二球もあれば充分だ!」
時折交わす挑発合戦も、いい加減ネタが尽きていた。
続く九九球目、太刀川はついに直実の球をバットにかすらせた。
グァシャ――――ッ!
バックネットの金網に軟球が直撃した激しい音が周囲に響き渡った。
「次は必ずもらう!」
太刀川が吠える。
「勝つのは私だっ!」
直実は太刀川の強気な台詞に一瞬呑まれそうになったが、自らの気合で押し戻すと運命の百球目を投げた。
だが!
(しまったぁ!)
(何っ!?)
軟球は直実が気合を入れ過ぎた為、コースを大きく外れバックネットに直進していた。
一方、太刀川も直実の球離れの前から全力スウィングを開始していた為、バットを止める事が出来ない。
結果、直実のくそボールを太刀川が空振りするという形となった。
誰も予想だにしなかった間の抜けた結末に、しばしの静寂が流れる。
「私の勝ちぃ!」
直実は右腕を天に掲げ叫んだ。
結果オーライではあったが勝利は直実に転がり込んだ。
対決を最後まで見届けた少数派の生徒たちの歓声が上がり、野球部員たちがマウンドに駆け寄る。
しかし、松浦だけは複雑な表情で一人、その場から勝者と敗者を見届けていた。
「‥‥太刀川さん。」
星野がバッターボックス内でうな垂れている太刀川に声を掛けた。
「くっくっくっ‥‥負けた、負けた。俺の負けだ!」
太刀川は顔を天に向けて笑いながら高らかに叫んだ。
「ちょっと、あんた、約束は覚えてんでしょうね!?」
マウンド上で直実が太刀川に念を押す。
「ああ、二度と野球部にちょっかいは出さねぇ。約束するぜ。」
太刀川はそう答えると、星野から学ランを受け取り、グラウンドから立ち去ろうと校舎側へ歩を進めた。
その後を黙って星野が追う。
「脊椎分離症の方は良くなったようだな。」
すれ違う太刀川に松浦が小声で語り掛けた。
「!? ‥‥知ってたのか?」
「すまない。‥‥俺が世界大会へ行けていたら、お前が無理な練習をする事もなかったのに‥‥。
誰よりも野球を愛していたお前から一時期とは言え野球を奪ってしまったのは‥‥この俺だ。」
松浦は今まで言えなかった負い目を詫びた。
「野球を捨てたお前が再開したと知った時、セミリタイアしていた俺は嫉妬した。
お前がリトルを辞めなきゃならない理由を知ってたのに‥‥俺はっ‥‥!」
堪えていた涙が堰を切ると、太刀川はその場で泣き崩れた。
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