予期せぬ挑戦者【Cパート】
制服姿のまま二人は野球部が普段練習で使っているマウンドと右のバッターボックスに立っていた。
ナイター設備はなかったが、バッテリー間は街灯や周囲の建物の照明などでそれほど暗くはなく、勝負は充分可能であった。
「勝負は一打席だ。」
「はい?
‥‥一打席って何ですか?」
ルールをまだ知らない直実には『一打席』という言葉ですら専門用語に感じられた。
「このホームベースの上を通過するように投げろ。
俺から三球ストライクを取れたらお前の勝ちだ。
しかし三球ストライクを取る前に四球ホームベースから外れるか、俺がお前の球を外野まで飛ばしたら俺の勝ちだ。――いいな?」
松浦は金属バットでホームベースを指しながら勝負のルールを説明した。
「良くわかりませんが、とにかくホームベースの上を通過させればいいんですね。」
「低すぎても高すぎても駄目だ、俺の膝の上から胸の辺りへ投げろ。
それがストライクだ。」
松浦はストライクゾーンの説明をわかりやすく説明した。
「‥‥なるほど。」
聞けば聞くほど混乱しそうなので直実は適当に相槌を打ってみた。
(練習のキツさや幽霊部員の排除、リトルシニアへの部員の流出‥‥試合に九人揃わない時もあった。
しかし、そんな時でも決して先生は部員を集めようとはしなかった。
その先生が初めて部に勧誘した‥‥。
先生があいつに何を見出したのか、俺が確かめてやる。)
松浦はマウンドで落ち着かない直実を見ながら闘志を燃やす。
「来いっ、鷹ノ目!」
松浦はスタンダードな構えを取ると、マウンドの直実を威圧するかのように叫んだ。
(あそこにサンドバックがあれば狙いが定まるのになぁ‥‥。)
マウンド上で直実は焦りを感じていた。
サンドバックという的がない状態での全力投球は今回が初めてだったからだ。
と、その時だった。
『お前はラリアットを打つ時、的を最後まで見て打っているのか?』
投球に踏ん切りのつかない直実の脳裏に三浦の言葉が響いた。
(そう言えばあの時、目をつぶったまま投げてサンドバックに当てたんだよね‥‥。
そっか、的がなければ的を作ればいいんじゃない!)
直実は大きく息を吸うと、おもむろに両目を閉じた。
そして頭の中にサンドバックを思い描いた。
(見える! サンドバックが見える!)
直実は両目を閉じたままモーションに入った。
大きくゆったりとしたモーションから速い腕の振りに入る。
フォン!
腕の振りの唸りが静寂に包まれたグラウンドに轟く。
スタ―――――――ンッ!
ストライクゾーンを通過した軟球はそのままバックネットを支えるコンクリートの壁を直撃し、すさまじい音を響き渡らせた。
「な!?」
松浦は見逃した。
正確には予想以上の球速に手が出なかったのだ。
それはあたかも腕の振りの唸りを耳にした瞬間にホームベースの上を球が通過したかのように感じられた。
(こんな速さ、実戦で見た事がない‥‥。一体、何キロ!?)
松浦は自分の背中に来るものを感じた。
「あの‥‥今のストライクですか?」
目を閉じたまま投げた為、結果がわからない直実がたずねた。
「‥‥ああ、いいコースだった。次、来いっ!」
「はい! 次、行きます!」
続く二球目、松浦はまたも手が出せなかった。
(俺よりも格段に速い。しかも今の球、初球よりも速かった‥‥。)
松浦はバットを短く持ち直し、やや寝かせ気味に構えた。
「あの‥‥今のもストライクだったんですか?」
「ストライクだ。
それより、ちゃんと目を開けて投げろ!」
「わかりました。じゃあ、ラスト行きます!」
(ラストだと? なめるな!)
何気なく言った直実の台詞が萎えかけた松浦の闘志に再び火をつけた。
スタ―――――――ンッ!
軟球が壁に直撃した音が響いたのとほぼ同時に松浦のバットは空を切った。
(くっ、球離れを見てからでは遅いのか‥‥。)
球離れを確認した時点で球は既にホームベースの上を通過しようとしていた。
間に合わないとわかっていながらも松浦にバットを振らせたものは、宮町中野球部部長としての、元リトルリーグ日本一の、そして一人の男としての意地だった。
「‥‥負けたよ。」
松浦は空振りで固まったポーズを解くと素直に自分の敗北を認めた。
「それじゃあ、明後日の太刀川との勝負はOKなんですね?」
直実は目を輝かせ、マウンドから松浦の所まで駆け寄る。
「‥‥すまない、今夜一晩だけ考えさせてくれ。
返事は明日、必ずする。」
バッターボックスを外して答える松浦に、直実はそれ以上問う事が出来なかった。
「鷹ノ目。」
「はい!」
直実は松浦の呼び掛けに大きな声で答えた。
「すごい球だった。」
松浦はニッコリ笑ってそう告げると、バットと直実から受け取った軟球をバッグにしまった。
「あ‥‥ありがとうございました!」
直実は深々と頭を下げた。
「‥‥また明日な。」
松浦は直実に背を向け、グラウンドを後にした。
(野球初心者であれだけのスピードとコントロール‥‥先生は彼女の古タイヤへのラリアットだけで素質を見抜いたのか?)
松浦は直実の球を体験するまで、なぜ三浦が彼女に付きっきりでコーチングするのか、わからなかった。
不信感の芽が出始めていた事も否定出来ない。
しかし、今日の勝負で三浦の眼の正しさを痛感させられた。
「くそっ!」
松浦は三浦に対し不信感を抱きつつあった自分と、投手として直実に嫉妬を感じている自分に嫌悪した。
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