野球部の危機【Cパート】
「遅いぞ、鷹ノ目!、羽野!」
旧技術工作室前の特設練習場には腕組みをした三浦が立っていた。
「すいません!」
直実と羽野は軟球の詰まった籠を地面に置いてから詫びた。
「鷹ノ目、今日からグラブをはめて投げろ。」
三浦は直実に古びた青い投手用グラブを手渡した。
グラブは古びてはいるものの手入れはしっかりとされていた。
「このグローブは?」
直実は青いグラブを左手にはめながらたずねた。
「俺の持ち物だ。お前にやる。」
「ありがとうございます!」
直実はペコリと頭を下げお礼を言った。
「六時まで鷹ノ目はサンドバックに向かって投げ込め。
羽野は昨日と同じペースで指立て伏せだ。」
三浦はそう命ずると背を向けグラウンドへと歩き始めたその矢先、ガラスの割れる音が周囲に響き渡った。
「あ、あれっ?」
思わず直実が声を出した。
(昨日は命中したんだけどなぁ‥‥。)
小首を傾げながら籠の中の軟球をつかむ。
(今度こそ!)
直実は大きく振りかぶって二球目を投げた。
スタ――――ン!
軟球はサンドバックを吊るしている古いサッカーゴールのはるか上を通り過ぎ、奥に生えている高いイチョウの幹に命中した。
(もしかして昨日の命中って‥‥マグレ?)
途端に直実は不安に襲われた。
「どうした?」
三浦が直実の背後から声を掛けた。
「‥‥何でもありません。ちょっと手が滑っただけです。」
「何があった?」
「えっ? えーと‥‥。」
三浦の問いに目を泳がせる直実。
「――太刀川さんが来たんです。」
指立て伏せを中断して羽野が直実の代わりに答えた。
「羽野くん!」
直実には羽野の行為はチクリに思えた。
「内緒にしとったって、しゃあないやんか!」
羽野が初めて感情を剥き出しにして発した台詞は関東の言葉ではなかった。
「‥‥チクリって思うんやったらそれでもええよ。
せやけど、こないな気持ちのまんま、球、放っとったって練習ならへんて!」
羽野の言葉に直実は何も反論出来なかった。
羽野は三浦にグラウンドであった一部始終を語った。
「そんな事があったのか。
――鷹ノ目、お前ならどうやって太刀川の妨害を防ぐ?」
三浦は道徳の時間のような問題を出した。
「‥‥シングルで勝負します!
そしてラリアットで首をへし折って沈めてやります!」
「だから暴力事件起こしたらマズいって!」
羽野が興奮気味の直実を制した。
「羽野、お前ならどうだ?」
三浦は今度は羽野に問題を出した。
「‥‥俺には話し合うぐらいしか思いつきません‥‥。」
「羽野くん、あんたそれでも男ぉ?
太刀川なんてぶっとばせばいいのよ!」
温厚で優等生的な羽野の答えに苛立つように直実は吠えた。
「アホか! 俺にな、鷹ノ目さんの右腕があれば野球で勝負したるわ!」
羽野の口から咄嗟に関西弁の台詞が飛び出した。
「野球で勝負?
‥‥そうか‥‥そうだよね!」
直実は羽野のアイディアが一発で気に入った。
「あの‥‥今のやっぱりなし。部に迷惑が掛かるから‥‥。」
羽野は瞬時に冷静さを取り戻し、先程の自分の台詞を取り消した。
「部に迷惑かぁ‥‥う~~~ん‥‥。」
直実は目を閉じ、右手の人差し指を眉間に当ててしばらく考え込んだ。
そしてカッと目を見開くとニヤリと笑った。
「先生! この勝負、私に任せて下さい!」
「鷹ノ目さん、何を思いついたんだよ?」
何か嫌な予感がよぎる羽野は直実にたずねた。
「よくわかんないけど、太刀川ってバッターなんでしょ?
私がボールを投げてぶつけられたら私の勝ち!」
目が点になる羽野と三浦。
直実はまだ野球というものを全く理解していなかった。
「鷹ノ目さん、バッターはポジションじゃないよ。
それから、ボールをバッターにぶつけちゃダメだから。」
「じゃあ、ピッチャーは何をすればいい訳?」
直実の問いに最低限のルールを教えなければと思った羽野であったが、今はそんな時間はない。
「ボールを投げてバッターから三振を奪うんだよ。」
「さんしん? ‥‥銀行?」
「それは埼玉信用金庫やろ!」
「ああ、そっか。
――とにかく、その『さんしん』ってのを太刀川から奪えば私の勝ちって事でどうですか、先生!」
目をキラキラさせて直実が三浦に問う。
「いいだろう、お前に任せる。」
三浦は一言そう答えると再び踵を返した。
(任せるって‥‥そんな無茶な!)
あまりにも簡単に直実に任せてしまう三浦に羽野は呆気に取られた。
「さあ、練習再開だよ!」
直実は籠の中の軟球をつかみながら羽野に言った。
ズバ―――――ンッ!!!!!
直実のモヤモヤが吹き飛んだ事で、いとも容易く鉄腕ラリアットは復活した。
羽野の目には心なしか昨日より威力を増しているように感じられた。
迷いや不安、苛立ちがそのまま球に反映する反面、それらが解決しさえすればたちどころに復活する直実の精神力は未熟さと強靱さを併せ持つ事を意味していた。
(土肥さん‥‥この球、捕れるかなぁ?)
羽野は正捕手である土肥の心配をしつつ指立て伏せを再開した。
夕方六時のチャイムが鳴り響く。
今日の鉄腕ラリアットはサンドバックに恐ろしいくらいの確率で命中させていた。
「鷹ノ目さん、そろそろ片付けよう。雨、降りそうだし。」
羽野は棒になった腕を振りながら声を掛けた。
「うん。」
二人はサンドバック近くに散らばっている軟球を籠に入れていった。
「ねぇ、羽野くんてどこの人?」
軟球を拾いながら直実は羽野に話し掛けた。
「えっ?」
「ほら、今日突然関西弁になったじゃない。その後は言葉、戻ったけどさ。」
「ああ、あの件ね。俺は生まれも育ちもずっと熊谷だよ。」
「それじゃあ何で?」
「親父がね、京都出身なんだよ。
子供の頃は親父の話す京都弁が標準語だと教えられて喋ってたけど、小学校に上がって言葉の違いが元でいじめられてね‥‥。それからなるべく本当の標準語で喋るようにしてるんだ。
でも咄嗟に出る言葉はあっちの言葉だったりするんだよね。
だけど親父には『敦盛、標準語ヘタクソになったなぁ』なんて言われるよ。
――あ、親父の言う標準語っていうのは京都弁の事なんだけどね。」
「そういえば現国の時間に教科書読んだりする時さ、よくみんなにイントネーションの違いを指摘されてるよね。」
「うん‥‥。
だからなるべく早口で読んでごまかしてるんだけどね。」
そう言うと羽野は大きく溜め息をついた。
「あ、でも色んな言葉を喋れるんだからいいじゃない、バイリンガルみたいでさぁ。
プロレス流に言えば『ハイブリッド言語』って感じだよね。」
直実なりに羽野の言葉によるコンプレックスを解消しようと努めた。
しかし喋るほどに支離滅裂になっていく自分が情けなかった。
「ハイブリッドって何?」
「雑種って意味らしいよ。」
「雑種かぁ‥‥。
まぁ、血統書付きじゃないって事は確かだけどね‥‥。」
「雑種ってさ、別に悪い意味じゃないと思うよ。
‥‥ほら、良く血統書付きの動物って病気とかに弱いって言うじゃない!」
フォローするのに必死な直実が滑稽に思えたのか、羽野は思わず吹き出した。
「ははは、これから『雑種魂』ってのを俺の座右の銘にするよ。」
羽野はおおらかに笑った。
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