野球部の危機【Bパート】
今日も午後一時から練習は始まった。
ランニング、柔軟、そして恒例の羽野の手押し車と順調にメニューが消化されていった。
「さぁ、今日も特訓あるのみだよ!
練習場へレッツゴー!」
練習前の誓いの為か、燃えている直実が羽野にそう告げたその時だった。
「松浦――っ、まだ球遊びしてんのかよ!」
グラウンドの脇から宮町中学の制服を着た体格の良い男子が野次を飛ばした。
目に飛び込んで来たのはつながった太い眉と鋭い三白眼が特徴的で全体的にワイルド系の面持ちの少年だった。
「太刀川‥‥。」
野球部員たちがざわめき出した。
「誰? ‥‥あいつ。」
直実は直感的に野次を飛ばした男子に嫌悪した。
「太刀川さんだよ。学年は俺たちより一つ上。
詳しい事は良く知らないけど、たまにああやって野次を飛ばしに来るんだ。」
温和な羽野も太刀川に嫌悪しているのか、口調がいつもと違って荒々しかった。
「キャッチボールを始めろ!」
松浦は太刀川を無視して部員たちに命じた。
「松浦、軟球なんか投げてたら手が腐っちまうぜ!」
太刀川は尚も挑発する。
「鷹ノ目さん、行こう。」
羽野は太刀川から視線を外さない直実に声を掛けた。
「何とも思わないの?」
「‥‥無視しろって松浦さんから言われてるんだ。」
羽野は声を押し殺して答えた。
「有望な新入部員は今年も一人も入らねぇぜ。
才能のある奴は全員、リトルからシニアに行くからな。
‥‥まぁ、才能のない奴らとせいぜい球遊びしてるんだな!」
太刀川はそう吐き捨てるとグラウンドから去ろうとした、その時だった。
「ちょっと待ちなさいよっ!」
直実の堪忍袋の緒がついにぶち切れた。
「何だぁ、お前?
‥‥女子を入れて人員補充とは情けねぇな、松浦!」
太刀川は無視を命じている松浦を挑発すると、グラウンドに入り込む。
そしてつかつかと直実に向かって歩み寄る。
「野球部に何の恨みがあるのか知らないけど‥‥あんた、男らしくないよ。」
目が鋭く変わった直実も太刀川に向かって歩き出す。
「鷹ノ目さん、暴力は駄目だよ!」
慌てて羽野が直実の前に太い腕を出してその歩みを止める。
さすがに看過出来る状況ではない事を悟った松浦は太刀川の所まで走り寄る。
「練習の邪魔だ。出て行ってくれ。」
「俺は帰るつもりだったんだけどよ、あいつが俺に話があるんだってよ!
聞いてやろうじゃねぇか、言ってみな、チビ女。」
太刀川は松浦の左肩を避けるように首を伸ばし直実を睨みつける。
「ジャーマンかラリアット、お好みの方をプレゼントしてあげる!」
売り言葉に買い言葉、羽野の制止を振り切った直実は太刀川を挑発する。
「落ち着いてよ、鷹ノ目さん!
暴力事件でも起こしたら、それこそ思う壺だよ。」
「くっ‥‥。」
羽野の台詞に直実は唇を噛んだ。
「松浦ぁ~~、おめぇ、部員にどういう教育してんだ、オラ。」
太刀川は執拗に松浦を挑発する。
「‥‥すまない。今日はもう引き上げてくれないか。」
「すまないぃ~?
それだけかよ? 全っ然、誠意が伝わって来ねぇんだよっ!」
「‥‥なら、どうすればいい?」
「そうだなぁ‥‥。土下座して謝んな。」
太刀川はニヤつきながら答えた。
「ざけんじゃねぇぞ、このヤローっ!」
今まで静観していた太目の金森徹が太刀川につかみ掛かった。
金森は豪快な性格と年齢よりも上に見られる風貌の為、皆から『親分』と呼ばれて慕われていた。
「やめろ、親分!」
松浦は太刀川の胸倉から金森の手を放させると、地面にひざまずいた。
「この通りだ、許してくれ!」
松浦は土下座をして太刀川に許しを乞う。
「許して下さい、だろ~が。」
太刀川は尚も松浦を挑発する。
「ゆ‥‥許して下さい‥‥。」
松浦の声は屈辱に震えていた。
部員たちも怒りをこらえて小刻みに震えていた。
「ま、今日の所はこれぐらいで勘弁してやらぁ。」
勝ち誇ったような顔で太刀川はそう言うとグラウンドを後にした。
太刀川が去っても部員たちは放心状態だった。
「すいません、私が挑発に乗ったばかりに‥‥。」
沈黙を破って直実は松浦に謝った。
「いや‥‥元はと言えば俺と奴の問題だ。みんなを巻き込んでしまってすまない。」
立ち上がった松浦は汚れた膝をはたきながら部員たちに謝った。
「あの‥‥私、入ったばかりで野球部の事情を全然知りません。
良かったら教えてもらえませんか?」
それは誰もが知りたいと思いつつも聞けなかった質問だった。
「‥‥‥‥そうだな。いつかは言わなければならないと思っていた。」
松浦はついに意を決した。
「俺も太刀川も同じリトルリーグのチームに所属していた。
太刀川が四番を打ち、俺がエースで投げた小六の年、チームは日本一に輝いた。
本当に強かった‥‥。
でも、世界選手権を目前に控えたある日、俺の親父は経営する工場の多額の負債を苦に首を吊ってしまったんだ。
家も工場も人手に渡り一文なしになった俺の家族には世界選手権の費用どころか、チームに払う月謝すらなかった。
それで俺はチームを辞めた。
しかし俺はやはり野球を続けたかった。だから中学で野球部に入部した。
太刀川が嫌がらせを始めたのはその頃からだ。
宮中へ進学するリトルの小学生にも『野球部に入るな』と圧力を掛けているという噂も耳にする‥‥。」
松浦は今まで自分の胸の奥にしまい込んでいた過去を打ち明けた。
「‥‥そんな事があったなんて初めて知ったよ。」
岡田はそう言うと、眼鏡を外して目頭に溜まった涙を人差し指で擦り取った。
「でもよぉ、あんにゃろぅ、いつまでもネチネチと女々しい野郎だぜ!」
金森が自らの左手に右の拳を打ち込んだ。
「もう奴の事はいい。それより練習を再開するぞ!」
松浦はそう命ずると、部員たちはそれに従った。
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