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欺瞞に満ちたこの世界

作者: 森乃泠

かっこつけて言うなら欺瞞に満ちたこの世界、ストレートに言うならウソ偽りなんでもありのこの世界だろうか。そのように感じるのはなにも私に限らないのではないか。残念ながらあまりそのような人の意見を聞いたり見たりすることはない。いやもしかするとおかしいのは私であって、私の覚えるこの違和感がおかしいのではないか。そのように思うこともある。だがやはり私も人間なので、思ったことを人に知ってもらいたい、聞いてもらいたい感情を抑えることはできない。そこでとりあえず書いてみることにした。


そう、ワクチン。ワクチンだ。有効性95%といわれるワクチンである。一応断りを入れておくと、この文章にワクチン接種の奨励や抑制の目的はない。私に専門的な医学的知識はない。ただ今回のパンデミックそしてワクチンについて素人が受けた印象を書いてみたいと思っただけである。


はじめに、ワクチン接種が始まった頃はワクチンがあらゆる問題を解決する、そのような報道が大勢を占めていたように記憶している。それ以前はウイルスから身を守るさまざまな方法が紹介されていた。それらについては肯定も否定もあった。だがひとたびワクチンが登場するとみな賛成だった。特に驚きだったのがマスクの着用拒否で騒動になったセレブまでもが手放しでワクチンを肯定しはじめたことだ。これは私にとって大きな衝撃だった。あやしげな雰囲気になったのはそのときだった。カネのにおいがぷんぷんした。


次に覚えているのはワクチン接種会場の外に集まった大勢の人の特集だ。確かそのときは在庫の数が足らず接種できなかった人がたくさんいた、というニュアンスの報道だった。どこか店の開店前に行列をつくるサクラの集団を撮った映像、という印象を受けた。これほど大勢の人が価値ある商品のために並んでいるが、全員は買うことができなかった。それほど貴重なものだ。一刻も早く手に入れよう。ステマという言葉が適切かもしれない。


そして今度はワクチンを接種する映像だ。とある大学生がワクチンを接種する際の映像が繰り返し流れた。その学生が接種する姿はとても美しくて魅力的だった。と同時にワクチン接種の広告塔に抜擢された学生。そのようにも写った。容姿端麗なインフルエンサーが有名ブランドの宣伝を目的に商品を身に着けるかのごとく。あなたもひとついかがですか。


そうしてみな従順に、かどうかは知らないが、ワクチンの接種率は速いペースで上昇していった。多くの人が一回目の接種を終えた。


その頃だったろうか。世界中で言葉遊びが始まったのが。はじめはブレイクスルーという言葉だった。英語でいうbreak through、突き破るとか突破するという意味である。つまりワクチンは問題ない。問題はウイルスが強力なことにある。ワクチンが構築した防御網をウイルスが突破してしまった。あくまで主語はウイルス。ウイルスが突破したのが問題であって、ワクチンに問題はない。より強力な防御網を構築するためには再度の接種が必要だ。


みなワクチンを接種しても感染や発症は起こると知るようになった。だがワクチンの効果に注目を集めたくない。ブレイクスルー(突破)という言葉でウイルスの突破力を強調した上でワクチンを再接種させよう。そのような意図を私は感じた。城壁は突破された。だが案ずるな。手はある。再接種だ。そんな感じである。


そして多くの人が二回目の接種をした頃だったろうか、新たな言葉が流行った。ブースターだ。ブースターといえば、すでにある効果を高めるとかそんな印象か。ワクチンは十分な効果があった。十分な効果はあったが、変異株は感染力がもっと強い。これまでに構築した防御網を強化しなくてはならない。それにはブースター接種がもってこいだ。だから再接種しよう。そのような印象を受けた。


要はブレイクスルーもブースターも、ワクチンそのものの効果が当初公開した水準を下回る可能性を論点から外すとともにワクチンの再接種を促す目的で使われた感がある。ブレイクスルーと言えばウイルスの強さに焦点を当てられるし、ブースターと言えばワクチンの有用な既存の効果を高めるというニュアンスを出せる。まったく物は言いようである。


人々の健康を守ることが最大の目的だったはずだ。健康を守るのが目的だったはずが、いつの間にか言葉遊びによる印象操作をしてまでもワクチンを接種させることが目的にすり替わってしまった。そんなうさんくささが漂っていた。


そして注目すべきはそんな言葉遊びは局地的にも発生しているということだ。実証実験やワクチン・検査パッケージといった言葉について考えてみてほしい。実証実験という言葉はとても科学的に聞こえるが、実証というのはあることを証明するために実際に何かを試すことであって、証明することのない命題不在の実証実験というのはありえないと思うのだが、どうだろうか。


ワクチン・検査パッケージにしても、その言葉だけを聞いても具体的なイメージは浮かばない。パッケージといえば普通は梱包こんぽうではないか。ワクチン・検査パッケージの意味するところが、ワクチン接種者と陰性証明の所持者は旅行代金の補助を含む優遇を受けられる、だとするのなら本来の意味からかけ離れている。ワクチン接種者優遇政策とか、ワクチン未接種者非優遇政策ならわかりやすいが。


話は前後するが、ブレイクスルーとかブースターとかパッケージといったカタカナは、翻訳者にしてみると外来語の意味の翻訳を省略できる利点がある一方、今回挙げた例はこと言葉の意味をあいまいにしたり、発信者の都合のよいように解釈させるための方便に使われているという感がどうしてもぬぐえない。


ただそれでも今から話す可能性に比べたらかわいいほうである。印象操作なら毎日どこでも行われている。元来完全に中立な表現というのは難しいものだ。特に日本語では。


この国には主権がないというのがその可能性である。うちの国はたとえるなら中間管理職で意見は言えるがみずから何かを決めることはできないのではないか。建前は国だが主権はないと感じることが時々ある。上から降ってくる指令に忠実に従わなければならないような。


ワクチンパスポートについて考えてほしい。当初はその是非について、ワクチン未接種者への差別につながりかねないからやらないというきわめて常識的な判断だったはずだが、いつの間にか真逆の政策になりつつある。きわめて不自然だ。不自然ではあるが、もし上記が真実だとすれば納得がいく。こんなこと街頭で演説でもすれば一蹴されるのは必定だが、ワクチンパスポートは一例に過ぎなくて過去の出来事をみても同様の印象を受ける。


以上、欺瞞に満ちたこの世界と感じる理由を挙げてみた。繰り返しになるが、私は別にワクチン接種を推奨したり抑制するためにこうして書いたのではない。ただ、今回のパンデミックそしてワクチンについて感じた違和感について書いてみたかった。こうして文字にしてやはり思うことは、ウソ偽りなんでもありのこの世界、ということだ。

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