オーゼルちゃんと、宝石の方々
オーゼル・ボーデックちゃん、九歳。
やわらかな金色のロングヘアーに、くりんとした大きな瞳の、可愛らしい女の子だ。普段はお人形さんを胸に抱きしめているが、お怒りになると、その小さなお手々には斧が握られるので、注意が必要だ。さすがは、ねずみが住まう騎士様のお屋敷の、娘さんである。
ねずみとの出会いは、斧を振り回した後、ギロチンと言う罠を仕掛けるほどバイオレンスであったが、今では、夕食のテーブルを囲む関係だ。
本日は、珍しく不在だった。
「ねずみさん、どこかな~………」
オーゼルちゃんは、テラスつながりの部屋へと向かった。レースのカーテンで仕切られており、夏場でも、風が心地よい空間となっている。
だが、オーゼルちゃんは、涼みに訪れたのではない。壁に向かってしゃがみこむと、ねずみさんの部屋へと続く入り口を覗いた。
「早く帰ってこないと、罠を作っちゃうぞ」
ねずみが耳にすれば、お待ちください――と、大慌てで駆け込んでくるだろう。ちゅぅ~――と、ジャンピング土下座の勢いで、オーゼルちゃんの目の前に参上するだろう。
宝石も、ご一緒だ。
だが、脅迫めいた発言は、意地悪と言うよりも、つまらないと言う感想である。サーベル使いの姉の影響が色濃いのか、弓矢の使い手の母親の影響か………
オーゼルちゃんは、はしたなくも、床にしゃがみこむ。
さすがに様子はわからない。小さな女の子であっても、お人形ほど小さくはないのだ。
ねずみの出入り口は、ドールハウスの玄関を模して作られていた。突き出た三角屋根と階段は、お屋敷の正面玄関によくある形状だ。
ここで待っていれば、会えると思ったのだ。
「………明かり?………ねずみさん、帰ってたの?」
壁の内側が、じわじわと、ワラワラと、騒がしくなってきた。
大人であれば、何事かと、家の者を呼ぶだろう。しかし、お子様ゆえの好奇心が、オーゼルちゃんはしゃがみこんだまま、動かない。
「え?」
宝石の大群が、現れた。
まるで、ねずみの群れのようでもある。驚いたオーゼルちゃんは、思わずのけぞり、そのまま後ろへと倒れこんでしまった。
ただ、思っていた衝撃はなく、代わりに、赤く輝く宝石のカーペットの上に、ちょこんと座ってしまっていた。
すぐに、輝くカーペットから這い出ればよかったのだが、オーゼルちゃんは驚きのあまり、ぼんやりと宝石のカーペットが広がるままに、見つめていた。
それは、仕方のないことだ。不思議が自らに降りかかってしまった。それに即座に対応できるなど、大人であっても不可能だ。
「えっ、えぇええええ?」
こうしてオーゼルちゃんは、夜空のお散歩へと、飛び出すことになった。
ねずみをお探しですか、では、我らとご一緒に――
そのように語っているかは、誰にもわからない。宝石たちのにぎやかな明りが、夜空を貫いた。
一方、そのねずみは――
「ちゅぅうううう」
なんでだぁあああ――
叫んでいた。
目の前には、広大な湖が広がっていた。
もちろん、ねずみ目線であるために、かなり大げさな表現となっている。それでも、広大な湖と錯覚させるための視覚効果が施されている、今は廃棄された、野外劇場のど真ん中だった。
手漕ぎボートの皆様は、ここから下水と言う地下迷宮へと、船出をしたのだろう。同型の手漕ぎボートがちらほらと、岸辺にくくりつけられていた。
おしゃれの演出にお金をかけすぎて、つぶれたに違いない。ねずみがその感想を持つのは、ここが下水直結の、大きな池であるためだ。
ワニさんも、大喜びだ。
「くまぁああああっ」
「ついてきたワン」
「ちょっとおおお、加減しなさいよぉおおお」
「えぇ~、だって、だってぇぇえええ~」
アニマル軍団の戦いは、まだ、始まったばかりのようだ。ついでに、手漕ぎボートの四人組との共演も、強制されていた。
「ちょ、まて、まて、まてぇええ」
「あ、兄貴ぃいいいいっ」
「い、ぎふ、ぎ、ぎぎぃ」
「バルダッサ、いいから、そのまま」
ただの乗員となっているデナーハの兄貴さんと、おびえるベックは、ただただ、抱き合って衝撃に備えるしかなかった。
呼吸が危険なバルダッサという、マッチョな淑女は、もはや自分が何をしているのか、分かっていないだろう。無我夢中で、ひたすらボートをこいでいた。
向かう先は、岸辺である。
冷静なバドジルだけは、もはや覚悟が完了したらしい。水の上を全力で進むボートは、数秒後、陸地へと到達した。
ボートは破片を撒き散らして、空中を飛んだ。
乗員の四人組も、空を飛んだ。
「ぎゃぁああああ」
「お、落ちるぅううう」
「あら………わたしは、どこ?」
「まかせろ………」
かつては、南国をイメージしたのか、この世には存在しない楽園をイメージしたのか、ともかく、多種多様な、造花が、哀れな余韻を残している。
どこから取り出したのか、巨大な荷物の袋が、急激に膨らんだ。
水にぬれても問題ない密閉性と、何より、頑丈さが求められたのだろう。何らかの方法で膨らまし、手漕ぎボートメンバーは、家がひとつなく、陸地への帰還を果たした。
ねずみは、叫んだ。
「ちゅぅ、ちゅううっ」
あ、あぶないっ――
ねずみの頭上の宝石も、ぴかぴかと光って、興奮を表している。
手漕ぎボートは強制的に岸辺へと乗り上げて、見るも無残な姿へと変わった。残る人生は、キャンプファイアーの燃料だろう。下水と言う地下迷宮からの生還を祝って、夜空の下の宴会………
などと、浸る暇はない。
ざぶざぶと、ワニさんがボートのすぐ後ろに迫っていたのだ。ボートが強制的に接岸したのなら、もう、すでに――
「く、くまぁあああ」
「あ、あぶないワンっ」
「は、早く逃げてっ」
「おぉ~、さっすがワニさん」
昼間に続き、迷宮を駆け抜けたためか、仲間意識でも芽生えたのかもしれない。丸太小屋メンバーは、手漕ぎボートメンバーの危機に、叫んだ。
約一名、フレーデルちゃんだけは、ワニさんの味方のようだ。のんびりと、バキバキと、ボートの残骸を噛み砕くワニさんに、感心していた。
一方の手漕ぎボートのメンバーは、突如として膨らんだクッションを振り回して、必死にワニさんの牙から逃れようとしている。
その間も、ワニさんの巨大な口は、ボートだったものの残骸をかじっていた。
小枝をへし折るように、ぽきり、バキリと噛み砕き、早く、お前も食べたいな~と、黄金の瞳をきらめかせていた。
「ぎゃぁぁあ~、どこまでついてくるんだぁああ」
「オレ、この戦いが終わったら、山小屋を建てるんだ。そうだ、木こりになろう」
「ベックさぁ、夢がコロコロ、変わりすぎじゃない?」
「バルダッサ、そんなに振り回すな、取っ手が取れる………」
必死だった。
デナーハの兄貴さんと、現実逃避を始めたベックは、木片や、手ごろな石を投げつつけた。
バルダッサは余裕なのか、皮袋のクッションを振り回す。非常時には、膨らむタイプの手漕ぎボートかもしれない。その取っ手は、バルダッサに振り回されて、ちぎれそうだ。
荷物をあさるバドジルも、ちょっと余裕がないのか、口数が多くなった。
ワニさんを追い払うことが出来る。それほどの強力なアイテムなど、あるのだろうか………
ねずみは、両手を前へと突き出す。
「ちゅぅ、ちゅうう」
こ、こうなっては――
ネズリー・チューターという十七歳の魔法使いだった頃は、魔力の不足で、大きな力を使うことは出来なかった。
だが、ねずみとなった今は、ネズリー少年だった頃には感じないほどの、魔法の力があふれているのだ。
ねずみの頭の上で、ピカピカと光る宝石が、力の源だ。
「く、くまぁ?」
「ま、魔法を使うのかワン?」
「そういえば、昼間も使ってたっけ………」
「あれ、その宝石さん………」
丸太小屋メンバーの疑問は、今更である。
ねずみには、なつかしい仲間たちである。しかし、丸太小屋メンバーは、ようやく、不思議なねずみと、魔法を使うねずみだと認識できたのだ。
ワニさんを前に混乱し、冷静に観察することが出来なかったためだ。
ねずみとして生まれ変わったという手紙も、届いていなかったのだ。
手紙といっても、ゴミ箱にあった紙切れに、果汁をインクの代わりにしたものだ。ゴミとして処分されても、仕方がない。
今、不思議なねずみと認識された。
それだけで、一歩前進かもしれない。ねずみは、目の前に強力な魔法の力が集結し、形になりつつある圧迫を感じながら、ふっと笑った。
すぐに、驚きに見開いた。
夜空から、赤く、強く輝く星が降ってきたのだ。
ねずみには見覚えのありすぎる、頭上の宝石さんの、仲間の方々である。
それだけでは、なかった。
「ああぁああ、ねずみさん、こんなところで遊んでるぅ~」
小さなお嬢様が、宝石のカーペットに座って、お姉さんぶっていた。
腰に手を当てて、お怒りポーズは、サーベル使いのお姉さんの真似っ子か、それとも、弓矢の使い手の母親の真似っ子か………
ねずみは、叫んだ。
「ちゅううううう!」
言葉にならない、驚きであった。
一方、ねずみの頭上の宝石さんは、神々しく赤い光を放っていた。
待っていたぞ――と、頼もしい仲間たちを見て、ご満悦のようだ。