下水の逃避行
下水道は、地下の迷宮である。
完全な暗闇ではなく、排水溝からは外の光がこぼれて、うっすらと明るい。昼間は太陽の木漏れ日が、夜空であっても、月明かりがほのかに明かりをもたらしてくれるのだ。
炎が燃え上がっていれば、昼間のように道を行くことが出来る。
道順さえ、知っていれば………
レーゲルお姉さんは、叫んだ。
「ねっ、ねぇ、あんたたち、そのボートで、どこから来たのよっ」
水しぶきを上げるボートも、叫んだ。
「こ、このまま行けば、船着場がある。まっすぐ来たから、間違いない」
「そ、そうそう、結構広いから………」
「そ、そう、あと少しよ、がんばれ、私」
「がんばれ」
デナーハの兄貴さんに続いて、涙目のベックに、汗まみれのマッチョな淑女と、口数の少ないバドジルが、答えた。
ねずみは、小首をかしげる。
「ちゅぅう?」
船着場などあったのかと、覚えがないのだ。
日々、下水を使って移動するねずみである。下水と言う地下の迷宮に、船着場のような場所があれば、気付かないはずがないのだ。
今は、些細なことだ。
ワニさんという悪夢に追われているのだ。
それに、今日の今日まで、うっすらと気配は感じていながら、遭遇することもなかったのだ。広い町の地下空間では、全てを把握することも、不可能。
ねずみは振り返りつつ、叫んだ。
「ちゅうぅ、ちゅう、ちゅうっ」
い、いいから、急げぇ――
会話をしたためなのか、逃げる速度が落ちていたらしい。ワニさんの上げる水しぶきが、すぐ後ろに迫っていた。
宝石さんも、ますます強く輝く。フレーデルちゃんの上げる炎が明るくて、ほとんど目立たないが………
「く、くまぁあああ」
「い、いそぐワンっ」
相変わらず、何を言っているかわからないクマさんの叫び声に、もはや、隠すことは不可能であろう、しゃべる駄犬ホーネックが、なみだ目だ。
フレーデルちゃんだけは、のんきに走っていた。まるで、公園のかけっこ気分だ。ゴールが見えてきたと、指をさして叫んだ。
「みんなぁ~、あとちょっとで、広いところあるよぉ~」
野生が教えてくれるのか、まっすぐと、前を指差す。
そして、炎をひとつ、飛ばしていた。弓矢を放ったかのような速度で、瞬く間に暗闇へと消えていく。
目印のようだ。
握りこぶしサイズの炎が遠くへ消えて………停止した。 誰かが、松明を掲げたように見える。
ゴールは、ここだと。
手柄を自慢するように、雛鳥ドラゴンちゃんは、指をさす。
「ほらほら、レーゲル姉、ゴール、ゴールっ」
先頭を走る案内の人が、あと少しだと、励ましているようにも見えた。下水という地下迷宮において、案内人は、果たして人間であろうか
いいや、人間ではない、雛鳥ドラゴンちゃんなのだ。
レーゲルお姉さんは叫んだ。
「ふ、フレーデル、やっぱワニさんと遊びたいだけでしょぉおお」
最初から、逃げ道を知っていて、遊んだのではないか。
それは誤解だろうが、一人だけ余裕のフレーデルちゃんに向けて、理不尽な怒りが爆発する。
銀色のツンツンヘアーが、フレーデルちゃんの炎に照らされて、ちょっと赤みを帯びている。
そのために、怒りの形相もあいまって、鬼と勘違いしそうだ。
フレーデルちゃんは、びくりとして、頭を引っ込める。
「ち、違うよぉ~、ちゃんと、ワニさんは怖いよぉ~」
それは、本当に怖がっている子供のセリフなのだろうか。
「ちゅぅううう~」
変わらないなぁ~――
ねずみは、女子組みの言い争いを懐かしく見上げつつ走ると、改めて、目の前を見つめる。ゴールと言う希望が、出口がそこにあるのだ。
ボートの四人組も、叫んだ。
「あ、あそこだ。鉄格子が閉まってなきゃ、このまま………」
「池があるんだ。閉鎖された劇場みたいなトコなんだよ」
「ふ、ふふふ、ぐふ、ぐふ」
「そろそろ、ヤバイ」
マッチョな淑女のバルダッサが、あぶくを吹くカニの表情になっている。炎に照らされて、ちょっと怖い。
全力でボートを動かして、数分の時間なのか、数十分なのか、誰にもわからない。アニマル軍団は岸辺を走るが、それと同じ速度でボートをこいでいるのだ。
さすがは、マッチョである。
「ちゅ、ちゅうううう」
「く、くまぁああああ」
「で、出口だワン」
「アレ………ねぇ、フレーデル………」
「うん、閉まってる………かな?」
あと少しだ、そう思っていたカーブの先は、確かに外からの明りが見える。おかげで、鉄格子の頑丈の扉と言う絶望まで、はっきりと見えてしまった。
がっしりと、閉まっていた。
カギやチェーンで封印されていないことを、祈るしかない。
全速力でぶつかって、開いてくれればいいが、足止めは、ワニさんの勝利を意味する。
すぐ後ろから、ざざざ――と、ワニさんの立てる水しぶきが、近づいていた。
絶望のボートの四人組は、悲鳴を上げる。
「そんな、なんで………」
「開いてたよ、ボートで出るときは、開いてたんだよ」
「ぐ、ぐぶぶぶ」
「誰かが、閉めた………?」
開いていたはずだと、悲鳴混じりだ。
選ぶ道は、少ない。すぐに開くことを願って、突撃する。魔法で破壊する、そして、あきらめて逃げ続けるか……
レーゲルお姉さんは、即断した。
「フレーデル、やっちゃえっ!」
「はぁ~いっ」
フレーデルちゃんは、うれしそうだ。 イタズラの許しを得た子供のように、元気いっぱいにお返事をした。
大きく腕を振っての全力疾走で、本当に余裕がある。大きく息を吸って、その呼吸に合わせたかのように、熱源が、現れた。
子供なら、ひとのみに出来るサイズの炎の塊が、現れた。
「ちゅぅ、ちゅうううう?」
「く、くまああああ?」
「わ、わぉおおおんっ………だ、ワン」
もはや、言葉にはなっていないアニマル軍団には、大爆発と言う、嫌な予感しかしなかった。
駄犬ホーネックにいたっては、なぜ、鳴きまねなのかと、問い詰めたい。
ボートの四人組は、瀕死である。
「い、急いでくれ」
「あ、兄貴ぃぃいい」
「ぐぼぉ、ぐぐぐ」
「………」
全員の叫びは、炎にかき消された。
その頃、地上では――
「見た、俺は見た。下水の幽霊だ」
「いやいや、下水って言えば、ワニだろ」
「まてまて、常識で考えろ、下水管理人が――」
一人が叫ぶ。
一人が、冷静に突っ込みを入れる。そしてさらに、常識ぶって………こうして、噂は広がっていく。
フレーデルちゃんの炎が、原因である。
下水は、密閉された空間ではなく、高いアーチの天井の上には、明りがうっすらとこぼれてくるのだ。当然、下水の騒動は、地上にも影響を与える。
明るい炎の塊のフレーデルちゃんが、元気いっぱいに炎をまとってかけっこをすれば、こうなってしまうのだ。
まして、夜である。
排水溝から、炎の輝きがあふれていれば、誰かが気付く。そして、気付く人々が、二桁から三桁に昇るまで、時間はかからない。
轟音が響けば、大混乱だ。
「な、なんだ?」
「じ、地震?」
「ドラゴンでも、遊びに来たんじゃあるまいな………」
「いやいや、ちょっかい出されない限りは――あぁ、前に、そんな連中がいたっけ………」
冗談交じりかもしれないが、ちょっとだけ正解だ。雛鳥ドラゴンちゃんが、元気いっぱいにかけっこをしているためだ。
そして、ちょっとだけ、破壊活動も行った。
閉じられた鉄の扉を開けるためだが、さすがはドラゴンの炎である。 天井が崩れては大変だと、さすがのフレーデルちゃんも加減はしたはずだが、鉄格子を吹き飛ばす威力なのだ。
夜と言う時間も手伝い、爆発の音は、よく響く。
おかげで、魔術師組合は、大騒ぎとなった。
普段は、並ぶ人物もあまりいないカウンターには、人だかりができていた。さすがに、一番偉い人が出てこなければ、収拾がつかないだろう。そう考えた組長さんは、うなだれつつ、階段を下りていた。
「………ったく、何でも屋じゃ、ないってのよ………」
組長さんという女性が、頭を抱えていた。
原因に、心当たりしかないのだ。
わざわざ、お師匠様がおいでになり、これから騒ぐと、事前にお言葉を下されたのだ。しかも、あとを、頼むと。あぁ、大変な時間が始まると………
階段の下からは、楽しそうな声が響いて、頭痛がする。この忙しいときに、何をしてやがるのかしらと、様子を伺うことにした。
しゃべり声は、休憩室からだ。
意地悪く、給料査定の参考にしてやると、組長さんは、しばし立ち止まる。聞き耳を立てる必要もなく、半開きの扉からは、声がしっかりと聞こえていた。
「あのオバン様、どんな無茶を言い出してくると思う?」
「やめなよ、私らの親より年上だからって、ばあさん呼ばわりはさぁ~」
「いやいや、おばさんって意味よ、ばあさん呼ばわりは、さすがにヤバイって」
「まぁ、二十歳を超えたら、おばさんでしょ?」
まだ十代のお姉さん達が、きゃっきゃ、ガハハとやかましい。
あと数年で、自分達も二十歳になるというのに、遥かなる未来の気分の、他人事であった。
過ぎ去った時間が、まだまだ実感として現れない十五歳から、十八歳の女の子達だ。今が若さの花盛りと、無駄話に花を咲かせる、楽しい時間は永遠だ。
そんな時間は、今、終わった。
「あぁ~ら、暇そうじゃないの………じゃぁ、下水の巡回、たのんじゃおうかしら?」
組長様が、いらっしゃった。
空気が、凍った。
ヤバイ、オバン様が来た――と、目と目で会話の女の子。
とたんに、接客が混雑しているのでと、カウンターへと、突撃だ。ご丁寧に、壁を走り、天井を走ることで、大変だと、あわてていますとアピールも忘れない。
「ったく、最近の若い娘ときたら………」
うん十年前は、自分も言われていたセリフを口にして、組長さんはため息をついた。そう、少女と呼ばれたのはうん十年前だったと………
その後ろで、ニコニコと笑みを浮かべるシワシワ様がおいでとは、気付かない。
仲間を見つけたような笑みを浮かべている。
お前も、こっち側なんだよ――と。シワシワの瞳を、さらにシワシワとさせて、うれしそうだった。




