ねずみさんと、お屋敷の夕食
夕暮れだ。
キャンドルに火がともされ、優雅な時間が始まる。
ねずみは、うきうきと、身支度を整える。近頃は魔法の力のおかげで、とても便利だ、紳士が上着をぱさぱさと叩いてほこりを取るように、ねずみの毛皮は、清潔になるのだ。
ならば、ちょっとくらいは、壁裏のカビやぬめりに汚れても、問題はない。今夜のメニューを確かめようと、食堂の付近へと、足を伸ばした。
厨房では、おやっさんという声が響いていた。
「おい、今日も婿殿がおいでだ。ちゃんと大皿にしとけよ」
今夜は、お魚だ。
表面がパリっと焼かれた、香ばしい魚の香りがする。そして スープがぐつぐつと、あまい野菜の香りを漂わせる。
パンはすでに輪切りにされ、トーストまでの出番を待っている、サクッとラスクのような歯ごたえになるのだろう、楽しみだ。
香草の香ばしい香りに、思わず腹の虫がなる。
皆さん、準備をしながらにぎやかだった。
「婿ってチーフ、あのでっかいヤツ、まだお嬢様とは婚約してないんですよね」
「あれ、あの野郎、旦那様のことをお義父上様って、呼んでませんでした?」
「ビビリながらだけどな、たしか、お嬢様のイタズラで、そう呼ばせたらしい」
「あぁ、そんで、初対面で旦那様の顔色が、お怒り一色に………」
「でもよ、そのままお義父上さまって呼び続けてるんだから、たいしたもんだな」
「てか、お嬢様の命令らしい。どうやら、本気であの野郎と一緒になるつもりだな。怒りを買うって分かってて、わざわざお義父上さまって呼ばせてよ」
「女は分からん、わからんに限るってな」
将来、旦那様と呼ぶべき若者には、大変失礼な物言いな使用人たちだ。だが、それが、アーレックと言う青年の、今の立場である。
婿とは、とてもつらい立場らしい。
一人身でよかったと、ねずみは自由に感謝した。
そして、うなった。
「ちゅう、ちゅぅうう………」
アーレックは、どうするんだ………――
厨房の皆さんと、同意見だ。このお屋敷の長女である、サーベル使い様のことは、どうするのだろう。
指輪こそ渡せなったが、確かにその瞬間を、誰もが祝福した。
正式な婚約に発展しなかったのは、アーレックの失態である。ねずみの責任でもあるのだが、必要あっての威嚇だった。
ニセガネ事件の黒幕の下へと、向かうためだった。
結果、カーネナイ事件と呼ばれている、ニセガネの銀貨の鋳造、および拡散。そして銀行強盗などの、資金調達事件の解決につながった。
そこまではよいのだが、アーレックの野郎は、指輪のことを、すっかりと忘れていたのだ。婚約の一歩手前に進んで、肝心の指輪がないことに気付いたわけだ。
ねずみが頭にかぶったままだった。
アーレックを引き連れる餌にしたのだ。そのために、ねずみが、ベーゼルお嬢様へ指輪を手渡した。
付き添いの友人よろしく、アーレックの背中から現れた。そして、両手で差し出すという、おかしな演出であった。
ねずみからの、求愛にも見える。
まぁ、どう見てもアーレックからの指輪の献上であるのだが、ベーゼルお嬢様は、にっこりと微笑んだ。
ごめんなさい――と
まさか、断られるとは思っていなかったアーレックは、絶望に涙を浮かべるが、続く言葉は、微妙だった。
ねずみさんの気持ちには、応えられない――と
ここで、全員が納得する。お嬢様による、イジワルだと。
そして続いた言葉が、希望と言う鎖である。
本当は、別の誰かから受け取りたかった――と、お芝居をなさったのだ。今更、アーレック以外の誰かと言うわけがない。目の前で、ねずみに指輪を持っていかれた恋人様への、イジワルである。
改めて手渡せばいいのだが、まぁ、タイミングと言うものは、何ごとにも大切なのだ。
感動の瞬間、今すぐと言うタイミングを逸したアーレックが、悪いのだ。
と、いうことで………
「アーレック、私を放り出してお仕事をしたあなたですもの、事件はもう、解決したのかしら?」
「したのかしら?」
ねずみさん入り口の外では、イジワル攻撃が行われていた。
学校からお戻りになったベーゼルお嬢様と、すでにドレスアップは、お人形さんとおそろいのオーゼルお嬢様の、姉妹による、ダブル攻撃であった。
妹様は、お姉さんの真似っ子であろうが、この攻撃にダメージを受けるのは、土下座をしているアーレックの野郎一人ではなかった。
一人というかもう、一匹というか………
「ちゅ、ちゅちゅちゅ、ちゅぅ~………」
い、今しばしのご猶予を――
ねずみは思わず、土下座をしていた。
三角屋根の玄関を模した、ドールハウスの入り口のまえから、慌てて参上した。ペットの住まいにしては、上等な部類だろう。
ねずみは、土下座をしていた。
気づかれていないかもしれない、しかし、土下座をしていた。
がんばっているんだ、こいつなりに、がんばっているのだ――と。共に頭を下げていた。
警備兵に混じって町を歩き回り、悪党が幅を利かせていないか、睨みを利かせるのも忘れない。その間に、情報も集める。
警備本部へ戻れば、聞き取り調査が待っている。裏取引と言うか、表には出せない会合もある。フレッド様のお部屋では、メジケルと言う執事さんからの情報を得ていた。
一人と一匹の土下座は、夕食の呼び声までつづいた。
お嬢様方のイジワルは、単なるご挨拶に過ぎない。奥方の、ごはんですよ――の声によって、たちまちお子様に戻るのだ。
そして、そろって夕食となったのだが――
「ちゅ、ちゅぅうう?」
ゆ、幽霊?――
テーブルの上で、ねずみは、叫んだ。
ご家族のテーブルの上には、ねずみさん専用の食器まであるのだ。ねずみ一匹程度、小皿に満たない、むしろスプーン一杯の分量である。
小皿に、小さく小分けされていた。
本日はかしこまった晩餐会ではない、テラスで、夕涼みをしながらの夕食としゃれ込むんでいた。
「うん、ヘーデリッヒったら、自慢するの。しってますのよ――って」
小さな手で髪の毛をつかみ、ポニーテールにして、学友の真似っ子をした。おすましをして、ほめて、ほめてと。
ご家族にとっては、普段は目に出来ない、ほほえましい学校風景のお話である。話の中身に、あまり意味を見出すことはなく、楽しんでいると、それだけでいいのだ。
ねずみを除いて、幽霊と言う言葉への反応も、薄い。
そうなの、よかったわね――である。
一応は驚きつつ、本気にはしていない。それに、魔法の作用として、幽霊の存在は確認されているのだ。
珍しいという認識ながら、慌てるものでもない。
生前の人格を反映したものから、単に、姿だけが名残として漂う、幻影に近いものまであるのだ。
それは、騎士様の出番ではない。
ねずみもまた、ただの幽霊話であれば、驚くことはなかったのだろう。場所と時期と、目撃証言が、ドキリとするのだ。
最近、下水や裏通りで、ぴかぴかと、赤い輝きがあるというのだ。
「ちゅ、ちゅぅう………」
お嬢様、それ、私です――
ねずみは思わず告白したが、問題ない。鳴き声なのだ。
ねずみが怖がっているとでも思ったのだろう、オーゼルお嬢様は、にっこりと微笑んだ。
「ねずみさん、幽霊さんが怖いの?大丈夫、そんなの――」
言いながら、頼りになりそうな人物を、探そうとする。
頼りがいのある、ごっつい下僕に目線が行くが………
オレに、まかせろ――
胸を張って、無言で頼りがいをアピールしていた。この野郎には、頼りたくないものだ。それは、オーゼルちゃんも同じらしい、しばしの沈黙も必要なく、にっこり笑顔で宣言した。
「ねずみさんが、解決するわ」
屈託のない、お子様の笑顔の凶悪なことよ。胸を張っていたアーレックの野郎は、オレの立場はどうなるの………と、うなだれる。笑いをかみ殺す恋人様と奥様。
一方、父には頼ってくれないのか――と、主様は寂しそうだ。
そして、ねずみ一匹は、どのように答えるべきか。
「ちゅぅ………ちゅうう」
ま、任せてください――
アーレックの野郎に成り代わり、胸を叩くしかないではないか。特に、心当たりがあるどころではない、犯人は、名探偵と言うか、ねずみなのだから。さぞ、透明モードの宝石は、大笑いに違いない。
あとは、しゃべる犬や、幽霊屋敷や、不思議な丸太小屋の住人に、下水のワニなどと、取り止めのない怪談話ばかりだ。
下水のワニなどは、どれほど古くから続く都市伝説なのか、みんなが知っている。おそらく、何度も現れては、消えていくのだ。豊かな水資源が故に、流れ着いてもおかしくなく、本当に目撃して、あるいは退治されていく。
つまり、常に、その可能性が否定できないということで………
「ちゅ、ちゅぅ~………」
ねずみは、決意した。
時折、下水で気になる視線を感じたが、次はもっと、気をつけよう。
小さなねずみ一匹だ、ワニさんが狙うとも思えないが、本当に、気をつけようと思った。ピカピカと光る、宝石もセットなのだ、目立つことに、違いはないのだから。