天使達の、語らい
さわやかな初夏の風が、優しくカーテンを揺らす、ここは騎士様のお屋敷の食堂だ。八人ほどがゆったり座れる空間に、今は食器は下げられ、紅茶が二つだけ、並んでいた。
姉妹のために、用意されたものだ。
小さな女の子は、にこやかにお人形さんを抱きしめていた。
十歳に届いたか、とどいていないかと言う、まだまだ甘えたい、甘えさせたいという可愛らしい女の子である。名前をオーゼル。この騎士様のお屋敷の末のお嬢様だ。
柔らかな金髪のロングヘアーは、光に空けるとクリーム色に輝き、くりんとした大きな瞳は宝石のような緑色。まるでお人形のように可愛らしいと形容して、誰もがうなずくだろう女の子であった。
そして、甘えん坊のようだ、お人形さんを抱きしめていたのは、お姉さんのひざの上だった。
「ねぇ、ねぇ、姉さま」
ワクワクが止まらない、今にも走り出しそうに、そわそわ足を揺らして、姉を見つめた。
「ふふふ、なぁに」
優しく、お姉さんは微笑んだ。
こちらはそろそろ、女性と言われるようになるお年頃のお姉さん。まだ大人ではないが、あどけなさも残すお年頃の、長女のベーゼル様。
なお、サーベルの使い手だ。
朝食も終わり、食後のお茶も終えた、ゆったりとした時間である。学校に通うお子様は、あと少しで出発せねばならない。それまでのわずかな時間を、この姉妹はこのようにゆったりと過ごしているのだ。美しい絵画といえば言いすぎであろうか。しかし、天使達が戯れている、そんな絵図が広がっていた。
「死んだかな、死んだかな」
幻想を、返せ。
余人が聞き耳を立てていれば、そう思ったに違いない。可愛らしいお人形を胸元に抱いた女の子の口が、確かにそんなセリフを吐いたのだ。
「ふふふ………楽しみね、ギロチンがどすんって音をさせるのが」
ドキリとする。
それはもう、天使のような乙女から、ドキリとするセリフが零れ落ちた。
どうか、見逃してください、許してください。
この若い淑女のたたずまいに心をときめかせていた若者がいれば、ドキリと、心臓を串刺しにされたはずだ。
恐怖によって。
初夏の風が吹く、朝食後の、静かなるひと時。天使のような姉妹は、なんとも恐ろしい会話を続けていた。
「あの仕掛け、よく思いついたわね。さっすが、私の妹」
「うん、学校の図工の宿題、思い出したの」
何を教えているのだ、その学校は。
いいや、お嬢様が創意工夫をなさったということのはずだ。
この姉妹に限ったことだと思いたい、ビー玉を転がして、シーソーの要領で徐々に重たいものを動かしていく。
その工夫の賜物が、ねずみさんのギロチン台であった。
しかし、思惑とは、えてして当人達の思惑通りには運ばないものである。可愛らしい姉妹のねずみさん抹殺計画は、はたして………
* * * * * *
まざまざと、目の前には光景が広がっていた。
人々が、処刑場を取り囲んで、歓声を上げているのだ。それは、ねずみと言う紳士の、脳内の光景であった。
あの可愛らしい女の子が裁判官で、お人形さんの処刑人が斧を手にしている。我が隣人『G』は弁護人のようだ、地に伏して命乞いをしている。両手をこすり合わせ、身を震わせている姿が痛ましい。
一方の紳士たるねずみは、結果が変わろうはずがないのだと、処刑と言う運命を前に、凛としてたたずんでいた。
頭上の斧を見上げていたのだ。
ねずみは、静かに瞳を開けた。
「ちゅ~………」
頭上の斧だけは、現実だった。
斧の無言の主張に、ため息をついた。脳内で繰り広げられた処刑場の風景が、よみがえりそうだ。
だが、ねずみだ。
人様の都合など考えない、人間様の思惑通りに行かないのが、ねずみなのだ。
そそくさとご馳走が盛られた皿に到着すると、ねずみは両手に抱えきれないほどの食料を手につかんだ。これで罠が発動しそうだが、そうはならない。ねずみは、ただのねずみではないのだ。ねずみになる前は、ネズリーという魔法使いだったのだ。即座に仕組みを見破り、罠を作動させない程度に食料を頂戴した。
ねずみが皿の上にのし上がり、皿を傾ける。その重みで細い糸が外れ、イスの後ろの錘が落ちて、その錘が斧を支えている板切れを外す。なんとも手の込んだことだ。十歳に満たない女の子が考え付いたとは、この時のねずみには知る由もない。
「ちゅちゅ、ちゅ~ちゅ~、ちゅ~、ちゅちゅちゅちゅ~♪………」
鼻歌交じりに、ねずみは両手いっぱいに食料を頂戴する。破れた壁紙をピクニックのシートのように広げ、食料を山積みに並べる。
食事の時間だ。
残りはくるんで、ベッドルームに運び込めばいい。あの姉妹が悔しがる姿を想像すると、おいしさも増してくる。
そんなことを考える余裕が、ねずみにはあった。
カリカリカリカリ………
硬くなったパンも、野菜クズも、骨付き肉も、ご馳走だ。これで、食後のお茶が出れば文句はないのだが、さすがにねずみの身の上で、贅沢はいえまい。
その後、ねずみはのどの渇きを癒すために水場に向かった。昨日見つけておいた、水道の壁裏である。清潔な水が、ポタリ、ぽたりと滴り落ちていた。
清潔な、滴り落ちる水だけで、ねずみの喉を潤すには十分だ。
ねずみの優雅な一日は、こうして始まった。