名探偵、ねずみの誤算
白亜のテラスに、初夏の日差しが影を落とす。
庭に植えられている木の陰が風にそよぎ、影もそよいで、光っている。午後のお茶には少し遅い時間帯だが、そろそろ熱くなる時間帯、このテラスで静かに本を読むのは、心地よさそうだ。
今は無人であるが、奇妙な音が響いていた。
カリカリカリカリ………
ねずみの仕業だった。
ニセガネの銀貨を、ぼんやりとかじっていた。
アーレックは、少しねずみに期待しすぎているようだ。調査のために町中を駆けまわっていると思っていたが、お屋敷に戻っていた。
ストレス解消のためにも、硬いものをかむのが、ねずみである。 誤算が続き、無心にカリカリ――としていただけだ。
飼いねずみは、かじり石や、かじり木が与えられるという。騎士様のお屋敷では、ニセガネの銀貨が与えられていた。
ニセガネに気付かせてくれた、褒美だった。
「おや、ねずみくんも、戻っていたのか」
主様が、戻ってこられた。
まだ、お子様は学生さんで、特に、下の娘さんなどは、まだまだ甘えたい、甘えさせたいお年頃だ。
夕食の時間だけでも過ごしたいのが、父親としては、当然の気持ちなのだろう。この時間には、いつもお戻りなのだ。
一方、上の娘さんのベーゼルお嬢様などは、日々、婚約が寸前のアーレックの野郎を連れてくる、難しいお年頃だ。父親として立ちふさがるのも、当然なのだ。
すでに、認めている関係とはいえ、父親の悩みは尽きないようだ。
今は、ねずみの悩み事を心配してくれていた。
「なにか、悩み事かね………こんな場所で銀貨をかじるなど、珍しい………」
ここは、お屋敷の一階テラスへと続く部屋である。
そして、ねずみ専用の入り口がある部屋でもある。
壁に穿たれた穴は、入り口と分かる装飾がなされている。ねずみとの初対面の事件において、ベーゼルお嬢様が机を投げた結果である。
修繕するよりもと、三角屋根の玄関を模した、ドールハウスの入り口が付けられたのだ。
ねずみが、このお屋敷の一員である証だ。
「最近はよく、アーレック君の肩に乗っているそうだが………事件は、難航しているようだね」
ねずみは、ごまかそうか、少し迷った。
その仕草がすでに、ごまかしていると教えている。どこのねずみが、小首をかしげたまま、考えるというのか。
ねずみは、コインを足元に置いた。
かじった残骸を思い出し、魔法で回収、専用の入り口へと、ほうり込んだ。
主様の目には、不思議な光景であろう。魔法のように、ねずみ専用の入り口へと、転がっていったのだ。
主様は、何も言わなかった。
ねずみも、何も言わなかった。
「キミは名探偵だと、アイツは言っていたな。カーネナイ事件も、本当は、キミの手柄だと。我が家の銀貨にニセガネが混じった、それを気付かせてくれたのも、キミだ………だが――」
黙り込み、見つめる主と、ねずみ。
がんばりたまえ――とは、目上からの気遣いであり、命令でもある。ねずみとは、主従ではない。
では、無理をするな――と言いたいのだろうか。ねずみはしばし見詰め合いながら、ひと声だけ、鳴いた。
「ちゅぅ~」
分かってますよ――
伝わったのか、分からない。
ひと声鳴いたねずみは、気まぐれな野生の生き物のように、入り口へと消えた。
しゅるんと、尻尾が滑らかな円の残像を残して、ニセガネの銀貨もろとも、その場から消えていた。
「あぁ、がんばりたまえ………」
主のつぶやきは、壁裏をまっすぐに進むねずみには、すでに、聞こえていなかった。それでも、応援を受けたという気持ちは、ねずみにあった。
このお屋敷の主は、自分を、ただのねずみではないと気づいる。それでも、騒ぐこともなく、受け入れてくれた。
かつて、ネズリー・チューターという魔法使いの少年だったねずみは、決めていた。
ねずみ生活のために、このお屋敷のみなさまを守るために、がんばろうと。
悪者を、やっつけようと。
「ちゅぅっ~」
もう、いいぞ――
背後の気配に向け、鳴いた。
宝石は、うれしそうに、ピカピカと光った。宝石にとって、透明状態は、ストレスがたまることなのだろうか。透明化を解除したときは、うれしそうに見える。
そんな、バカな。
ねずみは思いながらも、魔法の宝石であると、考えることを放棄した。ねずみの心に反応して、光っているだけに違いないと………
小さく、掛け声をあげた。
「ちゅぅ………」
壁を、ちょろちょろと、登りきった。
これだけで、人間であれば大冒険だ。先が見えない絶壁を、ねずみは苦もなく登りきった。
宝石の作用だろうか、ねずみの通り道は少し、清潔感がある。近頃姿を見ない、我が隣人『G』も、どこかへ引っ越したのだろうか。ねずみの食べ残しを狙って、こちらを見つめているのかもしれない。
などと、ぼんやり考えている間に、お部屋に到着だ。
主の書斎の、屋根裏部屋だ。 知らぬ人が見れば、お屋敷の隠し財産でも見つけたのかと、思いそうだ。
ニセガネの銀貨が、山積みとなっていた。
隣には、絵本のクマさんが刺繍された、ハンカチがあった。ねずみがシーツとして使うことを許された、このお屋敷の下のお嬢様、オーゼルちゃんのお気に入りの一品であった。
そのため、ちょっとした追いかけっこがあったのも、いい思い出だ。
「ちゅぅ………ちゅう、ちゅう、ちゅう………」
なぁ、お前は、どう思う――
ベッドに横になったねずみは、宝石を見つめた。
手紙で、キートン商会の危機と、ガーネックの陰謀を伝えた。これで、勝手に解決するだろうと思っていたのだ。
カーネナイの執事さんを、野に放った。
キートン商会の主の、人生をかけたバクチを応援しようと考えた結果だった。
あのガーネックを捕らえるためには、手が足りない。そして、ネズリーが知っている凄腕のうち、自由に動けるのは、犯罪者だけだ。
脱獄犯として、どこかに隠れながら、動いているのだろう。
罪を重ねさせて申し訳ない気持ちだったが、それしか出来なかった。そして、執事さんは決意してくれた。
もう、安心だと思っていたのだが………
「ちゅぅ~………」
ねずみは、己の読みの浅さに、頭を抱える。
宝石も、ねずみと共に、ベッドの上でのた打ち回る。本当に、お調子者の人格でも乗り移ってるのではないか、ねずみは、何度目かになる疑念を抱いた。
「………ちゅぅ~」
お前は、何者なんだ――
お前が言うなと、宝石が見つめている気がする。
ネズリーと言う少年の記憶を持つ、ねずみである。あるいは、生まれ変わった、ねずみ生活を満喫している、魔法使い。
どちらでもある、それが、今のねずみの結論である。
「ちゅう………」
ねずみは、ゆっくりと起き上がった。
昨夜の、ガーネックのお屋敷での出来事だ。
ガーネックの書斎に忍び込もうとしていたタイミングで、ガーネックの執事さんに見つかってしまった。
ねずみがいなくとも、見つかったのだろうか。宝石の輝きが部屋から漏れていた件とは、関係ないだろうか。
それでも、邪魔をしたようで、申し訳ない気持ちだった。
そして、昨夜の会話を思い出す。
――見逃してやる………その赤い宝石が証拠だ、オレはもう、ガーネックとは縁を切る
宝石の輝きは、執事さんを撤退させる威力があるということだ。魔法使いしか扱えないので、魔法使いが怖いとでも言うのか。
それとも、その背後にいる存在か………
ねずみは、とても恐ろしい事件に巻き込まれた予感に、震えた。
宝石も、ピカピカと、空中で、小刻みに震えた。
「ちゅぅうううぅ」
お前のことだよ――
ねずみは思わず、ツッコミを入れた。