ドラゴンの尻尾と、ドラゴンのよだれ
ドラゴンの存在は、誰もが知っている。
だが、自分の目で見て、触れあったことのある人物が、どれほどいるだろうか。この王国では、神殿に仕える魔法使いたちだけである。
魔法使いの頂点の一つである。
銀色のツンツンヘアーのレーゲルお姉さんもまた、目標は高く、神殿に仕える魔法使いであった。
魔法の力があるのだ。ならば、いつかドラゴンの神殿に向かって、この国の歴史より長く生きた存在に、近づいてみたいと思うものだ。
それが、このような暮らしだとは、思いもよらなかった。
「人間になったドラゴンのおとぎ話………まさか、本当とはね………」
妹分の尻尾を洗いながら、ため息をついた。
おとぎ話は、大昔の話であろう。しかし、実話だったのかもしれないと、目の前の赤い尻尾を見て、ため息をついたのだ。
お手入れは、もう慣れた。
ドラゴンのお世話など経験がないが、フレーデルの長い赤毛を洗った延長だと思えば、慣れるまで時間は必要としなかったのだ。
今は、共に裸足で川に足を突っ込んで、お洗濯中だ。
お姉さんはついでに、汚れがちな妹分フレーデルの尻尾のお手入れをしていたのだ。
尻尾は子犬のようにフリフリとして、せっかくタワシで泥を落としても、意味がない気がしてきた。
「ほら、尻尾、動かさないの」
「はぁ~い」
乙女の柔肌に、頑丈なタワシがちょうど良い。
フレーデルの髪の毛と同じく、赤く燃えるような色合いの、ドラゴンの尻尾だ。燃えるような赤いうろこがびっしりと生えた、それでもとげとげしさや、荒々しさは見られない。
まだ幼いらしく、ところどころ、産毛がある。鳥であれば、雛鳥から翼へと生え変わる途中の印象だ。
針金のように細長く頑丈で、かつ、毛皮のように柔らかい不思議な毛並みだった。
やはり、タワシが一番だ。
「どこまでがドラゴンの皮膚なんだろう………不思議だわ」
「うん、不思議、不思議ぃ~」
「いや、あんたのことだから………」
やや小柄な14歳というか、12歳のまま変化していないようなフレーデルちゃんは、マイペースだった。
よく、お昼寝もする。
眠り続けて、そのうちにコケでも生えるのではないか。丸まったトカゲの印象のドラゴンから、目が覚めれば落ち着きのない子犬と言うのが、フレーデルちゃんである。
いっそのこと、ペットを飼うように首輪でもつけてやろうか。それは、ドラゴンの尻尾が生える以前から、幾度となく考えていたことであった。
「くまぁ………」
クマさんが、レディーの入浴中に現れた。
いや、入浴中ではなくお洗濯の途中である。
器用なことだ、クマさんは二本足で歩き、洗い終わった洗濯物を受け取っては、物干しに干していた。
オットルお兄さんだった。
仲間内では最年長だと大人ぶる、でっかい悪ガキの印象の青年は、とても器用だった。
クマさんの姿でも、家事全般、得意らしい。
そして、着替えやシーツなど、彼らの住まいから持ち寄ったのは、レーゲルお姉さんである。
リーダーらしく、細やかな気配りや手続きは、さすがである。
唯一、人間に戻った事が、最大の理由である。
そういえば、あと一匹駄犬がいた。
知的にめがねをかけて、本を読むのが忙しいようだ。ただ、度数があわなければ、むしろ目を悪くするのではないだろうか。
「わんっ………わんわん」
心配無用、だてメガネだと、駄犬は仰せだ。
先日、公園で腹を抱えて笑っていた駄犬ホーネック君は、何とか命を取り留めたようだ。きりっとした太い眉毛に、ついでに、巻き毛カールのお髭つきだ。
ご近所の悪ガキの仕業としか思えない、落書きがされていた。
今は、ワンとしか答えない。さすがに、口を滑らせては、命が危ない目にあって、昨日の今日である。
むしろ、この程度の罰ですんで、運がいいと思うべきだ。
ちょっと、水に映る己を見ることが、つらいだけだ。
この姿で、これから街へと情報収集へ向かうのかと思うと、物思いにふけりたくなるだけだ。
結局、人間に戻れたのは、レーゲルのお姉さんただ一人であった。
そのために、魔術師組合への顔見せや、いつもはオットルお兄さんやホーネックが引き受ける雑用にと、そして、レーゲルお姉さん自身への課題と、大変忙しい。
お姉さんは、大変なんだぞ――と、年下の彼氏君に甘えてもいいではないか。馬鹿にした愚か者へ、ささやかな仕返しをしても、いいではないか。
レーゲルお姉さんは、両腕を伸ばして、宣言した。
「ふぅ、お洗濯、終わりぃ~」
「おわりぃ~っ」
フレーデルちゃんも、まねっこで大きく伸びをした。
やっと一息つけると、涼しい風の吹く草原に、横たわる。
お嬢様であれば、ここでピクニックシートでも広げるのであろうが、そんな余裕はない。それに、ここは野生の王国の、森の中なのだ。野生に戻るのだ。
まぁ、少し油断をすると、野生の獣のエサとなってしまう、危険な場所でもあるが………
その不安は、少しも感じていない。
森の王者のクマさんが小屋の番人をしており、なにより、最強の種族であるドラゴンのお尻尾を、子犬のようにフリフリとさせている女の子がいるのだ。
森の獣は、恐れて近寄らない。
人の世界にも、獣の世界にもなじめないのか。そう思うと、少し寂しく………
「あぁ~、なんでこのままって、結論してんのよ、私は………」
レーゲルお姉さんは起き上がると、頭を抱えた。
まだ、さほど日がたっていないにも関わらず、アニマル軍団で人生終了の気分になりかけていた。
ヤバイ、私――と。
魔術師組合への顔出しに、色々な調整にと動き回り、やっと一息を就いたというのに、苦労人であった。
だからこそ、みんなのお姉さんで、リーダーなのである。
時々、甘えん坊モードであっても、お姉さんである。
ゆらゆらと、ドラゴンのお尻尾が、揺らめく。初夏の日差しを受けて、心地よさそうだ。
そう、ドラゴンなのだ。
「あんた、ドラゴンなら、すごい魔法使え………るわよね、炎とか、空飛ぶのとか」
レーゲルお姉さんは、ほのかな期待を抱き――すぐに消し去った。
頼りたい気持ちが湧き上がった瞬間に、消し飛んだのだ。魔力が強いことと、魔法が使えることはイコールではない。フレーデルちゃんは、人間の頃より、並外れた魔法の力を発揮して、暴走してきたのだ。
今は、野生に戻って、無邪気にはしゃいで………寝息を立てていた。
「もぅ、よだれたらして………」
乙女として、ちょっとは気にすべきお年頃でありつつ、フレーデルの実年齢は、いくつなのだろうかと、お世話をするお姉さん。
昔からの付き合いも、せいぜいが数年であるのだ。
やや小柄な14歳と思っていたが、12歳の少女の姿から、ずっと変わっていないという表現が、正しく思えてきた。
少女の姿に化けていただけなら、成長するわけもない。
人の寿命では、ドラゴンが生まれて、成人するまでを見届けることは出来ない。神殿に仕える、数百年と言う年齢を生きる魔法使いで、あるいは………と言う時間を生きる種族である。
今の時間を、この無邪気なドラゴンの女の子は、覚えているのだろうか。乙女の先輩として、よだれをそっとぬぐった。
ドラゴンの宝石は、『ドラゴンのよだれ』とも呼ばれていると思い出す。
小さく、つぶやいた。
「はぁ、これがドラゴンの宝石になれば………」
「――ならんよ」
ぞっとして、レーゲルお姉さんは、後ずさった。
恐怖を抱く、シワシワ様のお声が、頭上から聞こえてきたのだ。一切気配は感じなかった、長い魔法のローブが、空中から垂れ下がっていた。
気配を消したというより、空中をお散歩で、近づいてこられたようだ。
ミイラ様が、現れた。




