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優雅なる、翌朝


 男は、一冊の本を手にして、仁王立におうだちをしていた。

 

男と言うより、少年だ。

 ねずみは、これは生前の自分なのだろうと、感じていた。半分割れた鏡に映るのは、十六歳か、十七歳あたりの、ボロボロの衣服の少年だった。

 貧しい暮らしに違いない、部屋の壁紙がはがれ、木製の壁地が出ていた。服装も、やはり貧しさを現す。ボロボロのマントに、更にボロボロの衣服の少年は、本を高らかとかかげて、自信にあふれた笑みを浮かべていた。


 ついに力を手に入れたとでも言いたいのか、実際にその通りかもしれない。野心にあふれる若者に特有の、怖いもの知らずの、怖いもの見たさの顔だった。


 ――さぁ、新たな力を、このネズリー・チューターの手にっ!


 大げさにのたまうと、そのまま魔法を発動………させることなく、さて、どうすればいいのかと言う態度で、胡坐あぐらをかいた。

 見ている身としては、ずっこけたくなる姿である。ネズリーと名乗った少年は胡坐あぐらをかいて、本を丁寧ていねいに読み始めた。

 道を歩けば、一人か二人は魔法使いに出会う世の中である。少年は、その修行中の身であるようだ。


 ねずみは、納得ができた。魔法の力があるために、生まれ変わっても記憶を維持いじしているのだと。

 ならば、多少なりとも魔法の力も受け継がせて欲しかった。明日は知れない、ねずみの身の上なのだ。

 ぼんやりと過去の自分を見つめていると、魔法が発動した。

 書物から、自分が実験したい呪文を見つけたようだ。意識を集中し、自らと本とが輝きだす。

 そして魔法の材料だろうか、生けにえだろうか、小さな何かが目の前にあった。光に包まれてよく見えない、あまりにまぶしく、瞳を閉じた。

 

意識は、ここで現実に引き戻される。


「ちゅぅ~………」


 もう朝かと、ねずみは緩やかにまぶたを開けた。


 朝の日差しが、まぶたをなぞっていた。

 ぼんやりとした巨大な木枠が目に映り、再びまぶたは閉じられる。これが、今の暮らしであると、少し自らを哀れみたくなった。クモの巣がかかった、広大すぎる屋根裏である。

 とはいえ、生前の自分の住まいも大差のない、ボロではなかったか。むしろ、ここのほうがまだ立派ではないか。


 しかし、眠たかった。


 お疲れなのだ。

 だが、これは何かをなした後に特有の、心地よい疲れだった。主に、あごが疲れた。ガリガリガリと、ニセガネをよくかじったものだ。

 ねずみはしばし瞳を閉じたまま、眠りの余韻を味わう。どうせ起きねばならぬのだと、ねずみの思考は動き始めていた。屋敷に住まう紳士であれば、本日の予定を頭の中で確認をするところであろう。

 自らの役割はなんだろうと、ニセガネの顔を思い出す。かじられ、片方の耳がかけた、情けない銀貨のお姿を思い出す。

 ねずみは、起きねばと、柔らかな刺繍ししゅう入りのシーツを無造作に追いやった。

 そして、背伸びを一つ。


「ちゅぅ~………」


 だらしなく声が漏れたが、許して欲しい。惰眠だみんをむさぼりたい誘惑にられながら、ねずみはゆるりと身を起こす。

 ねずみらしく、拝借はいしゃくした品々で巣をつくり、眠りについたのだ。生粋きっすいのねずみであっても、持ち運べる布切れやわらなどで巣を作る。生前はネズリー・チューターと言うらしいねずみは、さらにこだわっていた。

 ちょうどよい小さなシーツがあったので、失敬しっけいしたのだ。


 恐れ知らずに、ご家族の衣類を盗んだのではない。初夏の風に吹かれていた洗濯物から、すっと飛び立った一枚の布切れを発見したのだ。

 動物のキャラクターが刺繍ししゅうされた、ハンカチである。

 持ち主に心でわびながら、自分はねずみなのだと、開き直ってもいた。

 それに、ここはお屋敷なのだ。ハンカチの一枚を失ったとしても、何も問題はないだろうと。


 今は、優先すべきことがあった。

 食事である。


「ちゅ?」


 ねずみは、操られるように歩みを進める。

 呼ばれているのだ。

 おいしい匂いが、漂ってくるのだ。眠っている間に食事の用意がされていたのか、そうと勘違いするほどに自然に、ねずみはすたすたと歩を進める。


 においは、下から来ていた。


 天井裏なのだ、匂いが下から来るのは、当然である。お呼ばれをされたわけではないのだが、当然のように、ねずみは歩みを進める。広々としたベッドルームから足を踏み出した。


“結界”を、またいだ。


 無意識のことである。ネズリーは、己の爪で傷つけた自称ベッドルームの範囲を決めた線を踏まないように、またいだのだ。

 とたんに、何かがカサカサカサ――と、目の前を横切った。ねずみと、どちらが嫌われ者なのか、

黒い影であった。


『G』と、近年では呼ばれているようだ。


 野生のねずみであれば、食料がやってきたと、追いかける状況である。しかし、ねずみの心は、紳士であった。見なかったことにして冷静を装い、歩を進めた。

 ここで悲鳴でも上げればどうなるか、足元から刃が現れても、驚かない。昨日は弓矢が、サーベルが、斧がおそかってきたのだから。そういえば、この屋敷の主は、やりを構えていなかったか。


 思い出し、身震いをした。


 己がいつ殺されても不思議ではない、恐怖の屋敷にいるのだ。

 そして、思い出させてくれる。

 おいしそうな匂いが、食事の時間だと、呼んでいた。

 気持ちを入れ替えると、ささっと階段のない、下り道に到達する。下り道というか、直角真下の、崖だった。


 苦もなく下ることが出来るのは、さすがはねずみである。とても身軽になったと、自分はどこか超人になった錯覚さっかくを覚え、生前はネズリーと言うねずみは壁をすり降りる。

 匂いの元まで、あと少しだった。

 ねずみにとっては、天井が見えないほど広大なる薄暗い通路を進むと、木漏れ日が、まぶたをなぞる。

 空気孔のおかげで,うっすらと光があるのだが、まぶしいほどだ。

 まるで、刃で開けられたような木漏れ日が教えてくれる。ここは昨夜のお茶会が行われたテラスにつながるリビングルームである。


 匂いは、その向こうからただよっていた。

 机によってうがたれた大穴から、そっと外を見る。如何にねずみが手のひらの上に乗るほど小さくとも、サーベルや弓矢、斧の空けた隙間すきまでは、潜り抜けることが出来ない。そのため、ねずみが壁の内側と行き来できる場所は、ここのみ。


 料理が、用意されていた。

 量からして、ねずみのために用意されたものらしかった。小皿に、山盛りになっていた。残飯ざんぱんに過ぎないが、ねずみに身をやつした身にとっては、立派な食事であった。パンの固い部分に野菜クズと、肉の切れ端。ねずみにとってはまさに、食べきれないご馳走ちそうの山なのだ。


 感激した。


 そうか、分かってくれていたのかと。

 だいぶ、空腹のようだ。ねずみから冷静な思考は、吹き飛んでいた。わざとらしく、壁の隙間から、匂いが漂うように配置されていたというのに、警戒心など皆無であった。このまま食欲に任せ、野生のねずみよろしく、タタタタタと、壁から這い出し、小皿にまっしぐらでもおかしくはない。


 しかし、心は紳士のねずみである。まずは二足歩行に切り替え、衣服ではあるまいに、腹をパンパンと叩いて、ホコリを落とした。

 紳士として、汚れた身なりで人前に出るべきではない。そんな気分で、静かにうがたれた穴から、顔をのぞかせた。


 やぁ、皆様、おはようございます。

 ねずみは告げた。


「ちゅう~」


 誰もいないことは、鋭敏えいびんな感覚で、すでに把握していた。

 にもかかわらず、後ろ足で立ち上がり、紳士を気取って身なりを整えたのは、ひとえに屋敷の人々に対する敬意からである。

 例え目の前にいなくとも、常に紳士であるべきだと、それがネズリーと言うねずみの持つプライドである。


 一歩、足を踏み出す。

 と、頭上の変化に気付いた。


 やぁ、みなさん。


 そんなつもりで、優雅ゆうがに歩を進めたおかげで、気付けたのだ。目の前に用意されていたのは、料理が盛られた小皿だけではなかった。あの小さな女の子の愛用の品が、そこにはあった。

 お茶会にまで連れてきていた、可愛らしい女の小型のお人形さんではない。フリルはおそろいのスカートがふわりと舞って可愛らしかったが、そうではない。あの小さなお手々に握られていた品が、他にあるのだ。


 頭上でギラリと、輝いていた。


 分厚く幅広いを描いた、金属の塊。一撃の威力は骨をも砕く、斧である。どこで手に入れた知識だろうか、ひもで、動く仕掛けになっていた。

 これはまるで、そう………アレである。


「………ちゅ………ちゅ………ちゅう!?」


 ギロチンが、用意されていた。




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