カーネナイの若様と、アーレックと、ねずみさん
ベーゼルお嬢様がさもしいパーティーで退屈していたころ、恋人であるアーレックの野郎は、とある個室を訪れていた。
カーネナイのための、個室であった。
手には、湯気を上げる皿があった。
「まぁ………食えよ」
とん――と、静かに机の上に皿を置くと、ゆらゆらと、食欲を誘う香りが、部屋に満ちていく。
その湯気に、さもしいチョッキのフレッド様は、笑みを浮かべた。
「………どうした、名家のご子息の口には、合わないか?」
「………落ちぶれた――と、素直に口にしてもいいぞ。餓える恐怖を知らないだけで、贅沢だ。そんな日々だったからな」
湯気の誘惑を前に、姿勢はしっかりと、アーレックに向かい合う。知らない人物が見れば、人質にされた名家の若様と、恫喝する用心棒である。
アーレックにそのようなつもりは一切ない、協力者に向けた、差し入れだった。
みんな大好き、大衆の見方、芋の山だった。それも、ポーチドエッグにチーズに、ベーコンがトッピングされている、豪華なる一品である。
「あいつ、しっかり食べているか………そう思うとな………」
フレッド様は、フォークを手に取った。
カーネナイの跡取り息子のフレッド様は、囚人の食事かと心配される食生活で、お育ちになったのだ。これから下水の大冒険と言う出来事を前にしない限り、しっかりと食事を取る人物なのだ。
今も、心配事はそれとして、しっかりとポテトの山を腹に入れる。
その様子を見つめていたアーレックは、ゆっくりと本題に入る。
「メジケル………だったな。あんたの執事さん………いったい、どこで拾ってきたんだ。俺と互角………いや、加減されてたんだろうな。ナイフを抜いてなかったんだから――」
カーネナイのお屋敷にある、レンガ造りの倉庫の出来事だった。
カーネナイ事件を解決へと導いた出来事だ。功労者だと、アーレックがお褒めの言葉をいただいた。しかしその現場へは、ねずみに導かれた。
そのため、アーレックは手柄と言う言葉に、いささか抵抗を覚えている。だが、犯人達と対決した事実は、事実なのだ。
執事さんとは、わずかな時間であっても、戦ったのだ。
こぶしを交わし、武器をかわし、互いに決め手にかける戦いだった。決着させたのは、フレッド様の言葉だった。
もう、やめよう――と
言葉を発した主は、芋の山を口に運んでいる。あの時では、思いもしないと、アーレックは話を続ける。
「しっかし、あんたの執事さんが脱獄するとはな――」
事情を耳にしても、とても信じられないのだ。
主を見限って脱走した。
そういう人物であれば、あの場面で逃げればよかった。アーレックは一人であり、主を見捨てて逃げ出すのは、あの時だったのだから。
そんな人物ではなく、そして、主従の絆は今も続いているのだ。ならば、何か理由があるはずだと、手掛かりを取り出した。
ニセガネの金貨を、静かに机の上に置いた。
「ねずみがかじったような跡がある………まぁ、お前に聞きたいのは山々だが――」
アーレックは、振り向いた。
入り口を見たのではなく、自らの肩を見たのだ。
そこには、アーレックの小さな相棒がいた。
「………ちゅう?」
小首を、傾げていた。
はて、何のことやら――と
これが、人間相手の場合は、なんとも白々しいと、怒鳴ってもいい場面である。どう見ても、貴様が手引きしたのだろう、吐きやがれ――と。
だが、ねずみだ。
今までの出来事から、どう見ても、ねずみが脱獄させた犯人だ。ニセガネの金貨を発見、証拠として執事さんに提出したとしか考えられない。
今は、主であるフレッド様を介して、当局の手にわたっている。
ただ提出しただけでは、公の方々は、動けない。そのために、自由に動ける人物を、動かしたようだ。
それが、執事さんなのだ。
「………いい、お前はねずみなんだ。ニセガネをかじって、怪しい匂いを追いかけるまでは理解するが………どうやって、カギを開けたんだ」
頭に手を置いて、考えるアーレック。
すでに、常識の範囲を逸脱したねずみさんである。
それでも、魔法のように空を飛んで、レンガの塀を飛び越えたわけでもなければ、犯人を捕まえたわけでもない。
きっかけを、くれただけだ。
ニセガネの銀貨のかじりあと
カーネナイの倉庫への案内
偶然が重なったとして、ありえなくはない。ねずみの鳴き声で驚いて、婚約指輪が宙を舞ってしまったことも、その指輪を、両手で手にして、頭にかぶったことも………
「ちゅう?――」
どうした、アーレック――
ねずみが、そう言った気がするアーレックさんは、お疲れだ。自分が捕らえた犯人のうち、一人が脱走中なのだ。心中は、穏やかではないだろう。
脱獄するとは、思わなかった。
それなりの場所で、お休みいただいていただけだ。
大変、お仕事に熱心な執事さんだ。強制的な休暇を取りやめて、お使いに向かわれたのだから。
カリカリカリカリ――
ベーコンの破片を、とてもおいしそうに食べる音がする。
それは、気のせいに違いない。目の前の出来事であっても、ねずみの動作はとても小さな音でしかない。
それだけ、ここが静かな証拠だ。
フレッド様がフォークを置いた音も、よく響いた。
「ガーネックが、動いてるんだ。まだ、自由に………」
ようやく開いた口は、最後まで言い終わらないままに、閉じられた。
しかし、その言葉だけで、十分だ。
ガーネック相手には、証拠があっても慎重を要する。いったい、何を企んでいるのかすら分からない。
脱獄中の執事さんもまた、どのように動いているのだろうか。
アーレックがまず、予想を口にする。
「キートン商会で罠をはるか、ガーネックのところへ踏み込むとか?」
強引すぎるので、それは無理だ。ただ、突撃捜査の誘惑は、抗いがたいアーレックである。あの執事さんと共に突撃すれば、何とかなる気がするのだ。
アーレックはすぐに、頭を振った。
「だめだ。令状もないのに家捜しなど、出来るわけがない」
そう、公の方々では、何も出来ない。
ねずみは、顔を上げると、鳴いた。
「ちゅう――」
信じよう――
そう言ったのだと、アーレックも、カーネナイの若様も思った。
もしかすると、おいしいベーコンだったという感想かもしれないが、ねずみに答えを期待しては、ならないのだ。
ちゅぅ――としか、鳴かないのだから。