ミイラ様と、魔術師組合と、ドラゴンの宝
ローブ姿の老婆が、よいしょ、よいしょと、杖を突いて歩いていた。
引きずるような長いローブから伸びる、杖を突く手は、ミイラのようだ。
親切な人物が見れば「おばあちゃん、だれか連れはいないの」――と、不安に思うほど、よぼよぼとしている。
あくまで、見た目に限った話だ。
そして、誰も、そのように心配の声をかけることはない。親切な人がいないわけではない、おせっかいだと承知で、声をかける人はいるものだ。
空中に駆け上がれる人物が、いないだけだ。
見た目はミイラの老婆は、空中を、ひょこひょこと、歩いていた。
まるで地面があるように、カツン、カツンという音まで響かせているのは、お遊びである。それほど、老婆にとっては空中のお散歩が日常と言うだけだ。
地上も、空中も、同じと言うレベルの使い手は、ごくわずか。
目的地に、到着したようだ。
がん、がん――と、窓を叩いた。
『魔術師組合』と、大きく看板がかかっている建物の、三階の窓だった。 ベランダからお越しになったほうが、まだ常識があるというもの。
偉い方の執務室に、直接お越しだった。
「し、シワシワ殿っ!」
部屋の主が、驚きに叫んだ。
突然、背後の窓が叩かれたのだ。 そして、何事かと振り向けば、ミイラがいたのだ。 驚きから、つい、本音が出てしまうのは、しかたない。
見た目は、あんたもそろそろシワシワと呼ばれるという五十代。カラスの足跡を気にしていたのは、懐かしい思い出で、すでに諦めがついている。
しかし、御年二百を迎えようというミイラ様の前には、小娘に等しい。魔術師組合の、今の組長さまが、おびえて、あとずさった。
窓が、勝手に開いていく、ミイラ様の魔法であろう。
「………おやまぁ、泣き虫のベルティアちゃん、組長になっても、相変わらずだなぁ~」
にっこりと、シワシワの瞳が細められた。
組長さんは、その奥に光る輝きに気付いて、青ざめる。アニマル軍団だけが、マイムマイムの洗礼を受けたわけではないのだ。
数十年前は、さぞ、悪ガキとして、人日を困らせたに違いない。クモのマイムマイムを味わったことも、一度や、二度ではないはずだ。
地面から首だけを出して、数十匹、数百匹の、種類も豊富、サイズも豊富なクモの方々に、顔の上を這いずり回られれば、発狂は確定だ。
正気を保った猛者が、ここにいる。
「いやぁ、懐かしいお話で………ところで、お師匠様は神殿めぐりに向かわれたはず。早くとも、お戻りは来月と伺っておりましたのに」
笑っているうちに、ご機嫌を取らねばならない。
いつもは、えらそうに椅子にふんぞり返っている淑女が、大変腰を低くしていた。
だが、どうされたのかと言う言葉は、口から出ることがない。その質問をしてしまうと、取り返しのつかない厄介ごとに巻き込まれるにちがいない。その予感から、質問は先送りになっていた。
予感は、経験から導かれる、精度の高いものだった。
今の地位は、厄介ごとを解決する責任者である。いや、そのために、聞きたくないのが、人と言うものだ。
話したくなるのも、人と言うものだ。
「恐れ多いことになぁ、ドラゴン様の神殿に、盗人が入ったんだわ。無人の倉庫って使い方だったんだが、油断だったなぁ………」
まいった、まいったと首を振る、ミイラと言われても納得の老婆さま。あまり、あわてている様子はない。二百年近い年月を生きておいでならば、多少のことでは、驚かないのだろう。戻ってくれば、弟子たちがアニマル軍団になっている世の中なのだ。
対して、組合の責任者の『泣き虫のベルティアちゃん』という女性は、顔を青くしている。
あぁ、大変だと。
まるで、災害がやってくるという予言を受けたかのようだ。
そして、その通りである。
「まさか、盗まれた財宝を追って、ドラゴン様の軍勢が、街へ………」
街に、モンスターが向かっている。
それだけでも、警戒態勢を敷いて、領軍との合同作戦を行う事態である。
ドラゴンと言う存在が訪れれば、街を捨てる覚悟が必要だ。本気で敵対していなくとも、巻き添えでも、大変だ。どれほどの被害がでることか、想像するだけでも、恐ろしいのだ。
そのために、互いに適度な距離をとる必要があると、神殿が作られた。互いの住まいも、徒歩で一週間は、緩衝地帯を設けている。基本は、広大な森林や、砂漠地帯を境界としている。
ドラゴンの翼では、数十分から、数時間と言う距離に過ぎない。
ミイラ様は、のんびりと口を開いた。
「いや、こそ泥がこっちに来たなら、よろしくという程度だ。まぁ、昔、むか~しからの、約束どおりだなぁ………」
むやみに争いを起こすつもりはない、それは分かるが、限度もある。
品物によっては、ドラゴンの戦士が直接、制裁に訪れることもあるのだ。対応を任された立場では、気が気ではない。
街を一つ滅ぼす力は、若輩のドラゴンでも有している。悪気がないが、力が強すぎるために、加減が難しいのだ。
そのために、自らが使いと決めた人物に力を与える。牙やうろこなど、自らの一部を武具の材料として提供するなどと言う関係が生まれた。
老婆の杖は、古木に見えるが、ドラゴンの角であった。
そして、盗まれたという品々は、そうした、魔法に関わるもの。どれ一つとして、宝物なのだ。
この街の魔術師組合の組長と言う地位にいる淑女は、立ち上がった。
「では、組合の総力をあげて――」
「いや~、目立つだけだ………ほうっておけ、ほうっておけ」
ミイラ様は、手をひらひらとさせ、その必要はないと答える。
「こういったことは、相手が思いもよらん出来事が、何とかするもんだ。それこそ、ワシらでも、思いがけないことが、なぁ~」
すぐに解決できるにこしたことはない。それでも、騒いで、盗人に感づかれれば、探す時間がかかってしまう。
こちらが気付いていないと装って、販路を見つけ、品物が動くのを待つのだと。
そのつもりなのだが、まさか、お弟子様がその騒動の中心に近づいたとは、気付くよしもない。
ちゅぅ~――と、ネズリーというねずみが、その品物を手にしていた。