レーゲルお姉さんと、丸太小屋の仲間たち
朝の森は、神秘的だ。
太陽の輝きが木々の間を潜り抜け、まだ居座っている朝靄を照らす。靄に反射した黄金のきらめきは、この時間にしか目にできない。
野宿であれば、身震いをしながら見つめる光景を、銀色のツンツンヘアーのお姉さんは、蹴散らして進んでいた。
ややスレンダーな、十八歳のかっこいいお姉さんの、レーゲルさんだ。
寒さや暑さから、ある程度守ってくれる魔法のローブはボロボロで、ローブの隙間から見えるズボンも、負けずとボロボロだ。
魔法の修行中の方々は、お家柄と言う例外を除いて、苦学生な日々を送っている。それは、普段は冷静なお姉さんという、レーゲルお姉さんであっても、例外ではない。
ふと、目の端で、小さな生き物の気配を感じ、立ち止まる。ねずみか、リスか、脅威を感じるものではなかったが、小さな違和感を思い出すきっかけになってしまう。
そんな、ばかなと
「《《アイツ》》って、やっぱり目覚めてた………?」
ネズリーの部屋にあった魔方陣は、小さなものだ。そこから想定される、ネズリーの意識を移した動物のサイズは、ねずみやリスである。
小鳥という可能性もあるが、間違えても、カサコソと動き回るヤツであることだけは『G』であることだけは、ないと願いたい。
もっとも、ネズリーが乗り移った動物を見つけても、あまり意味はなのだと、すぐに興味を失う。
レーゲルお姉さんには、考えねばならないことが山とあるのだ。
背中には、魔術師組合から預かった書類が、山積みだ。
組合に所属する魔法使いは、見習いであっても義務がある。それが、面倒な書類の提出なのだ。
しばらく、組合に顔を出せないという書類だけでも、全員分だ。大げさでも、山と積まれているに等しい。代筆も考えると、大変だ。
だが、あとで無断での音信不通を問い詰められるより、適当な理由を、あらかじめ提出していればいい。
間違っても、魔法実験を無断で行った挙句、アニマル軍団になりましたとは、言えない。
お姉さんは、町を振り返った。
「はぁ、イードレに会いたい」
恋人に会えず、ちょっと不機嫌な十八歳。
今朝もまた、ネズリーの様子を監視する日課を終え、修行中の魔法使いの義務として、組合に立ち寄ったばかりだ。
人間に戻ったのは、お姉さんが一人だけであるために、忙しい。
ネズリーが目覚めてはいないか、ならば、面倒ごとを押し付けてやるのにと思って、数日が過ぎた。
「ただいま~」
森を抜けると、ぽつんと、小屋が建っていた。
やや大雑把なつくりでありながら、森での暮らしには、むしろ趣があるというべきだ。
丸太小屋が、新築だ。
「お帰り、レーゲル姉」
「くまぁ~」
「わんっ、わんっ」
丸太小屋から、仲間達が現れた。
《《三匹とも》》、元気に尻尾を振って、お出迎えだ。クマさんのオットルと、駄犬ホーネックに、元気いっぱいの赤毛の妹分、フレーデルだ。
赤毛のロングヘアーのフレーデルちゃんを含めて、《《三匹とも》》元気にしっぽを振っているのだ。
幻想や、見間違いではない。フレーデルちゃんのお尻尾は、パタパタと、今日も元気だ。
ドラゴンの、尻尾である。
燃えるような赤毛のフレーデルちゃんは、頭痛の種を、可愛いお尻から生やしていた。尻尾の色も、髪の毛と同じく、燃えるような赤いうろこである。
術の暴走で、ドラゴンの尻尾が生えるものだろうか。むしろ、ドラゴンが人間に化けていたといわれたほうが、納得だ。
御伽噺だったか、そういった物語があるのだ。
まさか、ご本人ではあるまい。何千年前の物語であるのかは、不明だ。
本の虫、ホーネック君ならば、知っているのかもしれない。残念ながら、駄犬のままなので、確認できない。
まぁ、長い歴史を誇る王朝ですら、ドラゴンの長老の生きた年月に及ばないという。数百年前に生まれた童話の登場人物たるドラゴンが、目の前のフレーデルだとしても、驚かない。
レーゲルお姉さんは、パタパタと元気な尻尾を見つめて、つぶやいた。
「せめて、尻尾を隠す方法を思い出してよ。魔術師組合に顔を出さないのが多いと、私の肩身が狭いの。リーダーだろってさぁ」
フレーデルも、一応は人の姿である。
ただ、お尻からドラゴンの尻尾を生やしたままなので、人の住まいに近づくことは出来ないのだ。
そのために、レーゲルお姉さん一人で、森と町との往復だ。
眠ったままのネズリーの部屋の様子を見るためと、魔術師組合への言い訳にと、とっても忙しい日々を送っていた。
それなりに将来像を描いていた全てが、ガラガラと崩れ去っている予感を覚える。
ただ、確定する事態は、避けたかった。
「何で人間に戻れたのか、レーゲル姉が思い出したほうが、早くない?」
書類を袋から出したまま、動きが固まるレーゲルお姉さん。まさか、いたずらっ子のフレーデルちゃんに、正論を返されるとは、思っていなかった。
「くまぁ~」
「わん、わんっ」
一応は、言い訳の一言を記す必要があるため、クマさんモードのオットルお兄さんに、駄犬のホーネック君へも、書類が渡される。かろうじて、ペンだけは手に出来るのが幸いだ。
そろって、レーゲルお姉さんの顔を見つめた。
フレーデルちゃんの指摘の通り、レーゲルだけが元に戻っているのだ。何か、誰とも違う何かをしたはずなのだ。
最も、経験が、何も役に立たないこともある。
「自分で、自分に戻るしかないのよ………」
自らの意識を獣へと移し、操る魔法である。誰かが介入する余地は、そもそも少ない。
獣の姿となり、人であれば味わえない感覚を知ると、どうなるのか。
自由になりたい。
そのような願望は、誰にでもあるのかもしれないし、この術を成功させるための、資質なのかもしれない。
ただ、自由になりすぎて、人に戻れなくなるとは、思わなかった。
レーゲルお姉さんも、お世話をしなければならない。後始末をしなければならないという、いつもの癖がなければ、どうなっていたのだろうか。
苦労性と言うか、だからこそ、リーダーになっている。
「わんっ」
鳴き声が聞こえた。
違和感がする、人が、犬の鳴きまねをしたかのようだったのだ。
「レーゲル、みんな、戻った、戻ったぞっ」
うれしそうに、駄犬ホーネックが、吠えた。
駄犬の姿であっても、本にじゃれ付いて、幸せそうだった駄犬が、尻尾をパタパタとさせている。
そして、本も浮かんでいる。
フレーデルちゃんも、レーゲルお姉さんも、魔法を使っていない。駄犬モードのホーネック君が、魔法を発動させたのだ。
そして、しゃべっていた。
「………おめでとう」
「わーい、おめでとう、おめでとう」
「くまぁ~………」
祝ってもいいのだろうか、とりあえず祝福を言葉にするレーゲルお姉さん。まねっこのフレーデルちゃんは、いつも元気いっぱいだ。そして、クマさんのままのオットルお兄さんは、微妙だ。
オットルお兄さんは、クマのままだった。
ちなみに、今の彼らの住まい出る丸太小屋はほぼ全て、彼の手によるものだ。クマの身になっても、器用なところに変わりはないらしい。
ただし、クマさんだった。
駄犬ホーネックも、言葉を話せる駄犬に過ぎない。会話が成立しやすい、身振りでのやり取りよりは、はるかに楽であるものの、不思議図書館へ向かえるわけもない。
やはり、この中で一番、人間に戻りやすいのは――
「ドラゴンだったときの記憶は、忘れたまま………はぁ、これからどうしよう」
レーゲルお姉さんは、ため息をついた。
いや、考えたが負けな気がする。いっそ、ドラゴンの可能性があるフレーデルは、組合に報告して、神殿から人をよこしてもらうべきではないだろうか。
その判断は、フレーデルちゃんに任せられた。
当然のごとく、答えは否である。
ドラゴンとして過ごしていた記憶は戻っておらず、暴走魔法少女のフレーデルちゃんとしては、ことが大きくなると、困るという認識であった。
レーゲルさんも、オットルお兄さんも、ホーネックも、同じ意見だ。
アニマル軍団になった仲間たちを前に、もう少し様子を見ようという大人の判断で、現実逃避を決めた。
現実のほうが、やってきた。
「そうか、そうか、そら、ばれたら大変だぁ~な」
のんびりとした、老婆の声がした。
長いよれよれのローブを引きずった、いかにも魔法使いですという、ご老人が現れた。
髪の毛の色は、かつては鮮やかな紫色だったが、年齢を重ねたためにくすんでいる。そのシワシワなお顔は、どこに瞳が隠れているのか、判断しづらい。
むしろ、ミイラだ。
生きた年月が、シワに刻まれるとも言われるが、人としての寿命を超えて、生きているのではないだろうか。
その通り、二百歳の誕生日が、すぐそこと噂されている。このミイラ様こそ、アニマル軍団の、お師匠様でいらっしゃる。
「し、師匠」
「し、シワシワっ」
レーゲルお姉さんと、フレーデルちゃんが、同時に驚きの声を上げた。
フレーデルちゃんの言葉で、普段は、どのように呼ばれているのかが、よく分かる。とっさに妹分を叱ろうとしたお姉さんだが、すでに手遅れだ。
ミイラ様は、微笑んでいた。
レーゲル姉さんとフレーデルちゃんの二人は抱きあって、震えていた。
その背後のクマさんなどは、どのように隠れることが出来るだろう。小さな机に頭を突っ込んで、おびえていた。
駄犬ホーネック君は、耳と尻尾をペタンとして、机に突っ伏している。
もう終わりだと、悪ガキたちが震えていた。
「………ちょっと目を放した隙に、面白いことをしでかしたなぁ………」
シワシワに阻まれて、その瞳からは、感情を読み取ることが出来ない。言葉通りに、面白がっているかもしれない。しわがれた、老婆の声からも、感情を読み取ることが出来ない。
恐怖の、始まりだ。