ねずみと、夢の中のお姉さん
たまに、妙な夢を見ることがある。
だが、ねずみには分かっていた。これは、生前の自分の記憶、ネズリーという魔法使いの少年の記憶であると。
自らが、ひび割れた鏡を前にして、名乗っていた。
ネズリー・チューターだと。
これが、自分だと思うと、恥ずかしくて頭を抱えたくなる。魔法の力が増すほどに、操る魔法の種類が増えるたびに、うぬぼれが増して、大魔法使いになった錯覚が、少年の心をくすぐるのだ。
さぞ、調子に乗りやすい少年だったに違いない。そろそろ、落ち着きも覚えていい十七歳あたりの少年は、暮らしはとっても、寂しそうだ。
魔法の才能を持っている。それだけで、魔法が使えるわけがない。努力と言う対価を必要とするのだ。
だが、その環境は、結構厳しい。
確かに、この国を始めとして、魔法使いはどこであっても、優遇されている。しかし、学問や芸術の才能を育むための援助と、大差ない。
さもしい、賃貸住まいである。
壁紙は外れ、木目がちらほらと見える。目隠しのためか、雑誌から切り抜いたらしいイラストを貼り付けて、快適な絵画の空間を演出していた。
上品なティーカップが、涙を誘う。
上品な、午後のティータイムを味わうことが目的だったに違いない。それは、ささやかな贅沢、己へのご褒美だったはずだ。
なのに、ティーポットは古びた買い叩き品であり、茶葉などは、まともに見ることも出来ない惨状だ。
茶葉を、何度も、何度も、何度も使っているのだ。挙句は、欠けた食器の上で、乾燥させている。出がらしより、さらに薄いお茶のために違いない。
おや、恋人でもいたのか、クールなお姉さんがこちらを見つめる。
「――あれ、いま、目が覚めた………って、そんなわけないか」
残念、恋人と言うより、頭の上がらないお姉さんだ。
懐かしい、銀色のツンツンヘアーのお姉さんが、チラッとこっちを見ていた。横たわる弟分が、いつまでも眠ったままだと、あきれているような………
ベーゼルお嬢様といい勝負の、キツそうな性格だ。しかも、ツンツンヘアーのお姉さんにも、恋人という名前の下僕がいたはずだ。
仲間内では、よく、笑い話に………
そう、友人だった。
ネズリーを含めた、五人の仲間たち。
リーダーは、目の前にいるツンツンヘアーの、レーゲルお姉さんだ。ここにはいないが、他に、兄貴面をしているオットルに、本ばかり読んでいるホーネック。それと、最強の魔力を誇る、フレーデルちゃんがいた。
よく、五人で魔法の自慢や、実験をしていた。
そう、新たな魔法を自慢しようと、魔法の本を手にしたのだ。
そのあと………
「………ちゅ~………?」
目が、醒めた。
ベッドルームを照らしていた朝の光が、クマさんの笑顔を照らしている。
色々あって、このお屋敷の下の娘、オーゼルお嬢様のハンカチは、ねずみに与えられることになった。
これ以上の悪さをしないということを条件に、お許しの言葉と共に、下されたのだ。
大切に使おうと、ハンカチと言うシーツをなでていると、ねずみはふと、今の夢が気になった。
今の光景は、なんだったのかと、ねずみは首をかしげる。
夢の出来事と言われれば、その通りだと答えるしかない。夢とは、過去の出来事だけでなく、こうなるかもしれない可能性もまた、理不尽に見せるはずだ。
なって欲しくない、自分が恐れている事態も、見せるのだが………
しかし、仲間のリーダーであるお姉さんが、自分の部屋で世話を焼く。そんな奇妙な夢を見るなど、本当に、不思議な夢だ。
仲間達との日々に戻りたい。そんな、無意識に閉じ込めていた未練が、今の夢を見せたのか。
「ちゅ~………ちゅうっ」
ねずみは、念じた。
細長い指を伸ばし、コインの山に向けて、念じた。
すると、ねずみの目の前に、ふわふわとコインが浮かんで、やってきた。
ねずみの肩幅まである、銀色のコインであった。見ると、狼の顔が彫刻されている。
この王国の、銀貨のデザインだ。
これ一枚で、新人の警備兵や、平均的な肉体労働者の一日の収入に値する。
ねずみは、優越感に浸るように、笑みを浮かべながら、しばし銀の狼と見詰め合って………ガリガリと、かじりだした。
夢のことは、夢と割り切ろうと、気分転換だ。
毎朝の、お手入れでもある。
ねずみの歯が頑丈であるといっても、金属をかじり取れるはずがない。これは、ニセガネだ。
ニセガネであっても、ねずみさんの前歯のお手入れには、十分だ。
それが、ねずみの前に、山積みになっている。カーネナイ事件で鋳造された、ニセガネである。
ねずみの歯は、死ぬまで伸び続けるために、常に硬いものをかじって、削り続ける必要がある。さもなければ、噛みあわせが悪くなり、さらに悪化すると、ものを食べられなくなって、餓死をする。
普通は、かじり石や、かじり木を用いる。ねずみの飼い方と言う本を参考にした、お屋敷の主様の、気遣いである。
「ちゅぅ~………」
こんなものかと、ねずみは鳴いた。
前歯をさすりながら、一部が欠けた銀貨を、満足げに見つめる。小さな悩みも、少しは収まった。ねずみにとって、かりかりとかじる行為は、ストレス解消にもいいらしい。
ふわりと、銀貨が元の山へと戻っていく。
散らかしたくない。せっかく、シーツをお洗濯したばかりでもある。手に取ったときと同じく、魔法の力でニセガネの銀貨を空中に浮かべた。
魔法だった。
今までは、使う力があると、思い出せなかっただけだ。コイン一枚なら、浮遊させ、移動させる力がある。カーネナイ事件で、この力が目覚めていれば、もう少し楽に解決へと迎えたのではないか。
そう思いながら、笑った。
そんな、ばかなと
ねずみが魔法を使えば、事件どころではない。ニセガネの事件など吹っ飛んで、パニックが起こっただろう。
人前では、めったなことでは使うまい
ねずみは誓うと、立ち上がった。
「ちゅちゅ、ちゅぅ~、ちゅ~♪」
ツンツンヘアーのお姉さんは、自分の下へ来てくれていた。それは、夢で見ただけであるが、仲間だったのだ。もしかすると、心配させている、悲しませているかもしれないと。
なら、手紙を送ろう。
お姉さんは、確か、片づけをしながら、口にしたのだ
『早く、目覚めないかな』――と
もう、ねずみとして生まれ変わった我が身ではあるが、生前の友人に、元気で過ごしていると、一言なりとも、伝えたかった。
羽ペンで、文字を書く程度なら、出来るのではないか。捨てている紙やインクの残ったビンでも拾ってこようと、ねずみは決めた。
まずは、朝食のためのお部屋へと向かった。