表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
38/205

ハンカチと、ねずみと、追いかけっこ


 名探偵を気取ったねずみ。


 それは大げさな物言いでありながら、アーレックの言葉によれば、あながち間違いではないらしい。

 少なくとも、ただのねずみではないことは、お屋敷の全員が認めている。そして、アーレックの言葉は、驚きの事実まで伝えている。


 カーネナイ事件の解決の、真の功労者は、このねずみだと。


 半信半疑でありながらも、アーレックが友と認めたのだ。ねずみが怖かったはずのアーレックが、肩に載せた。そして、指輪を託したのだ。


 このお屋敷において、ねずみは家族となったのだ。


「♪ちゅちゅ、ちゅ~ちゅ、ちゅ~ちゅちゅちゅちゅ~………♪」


 それから数日、ねずみは堂々と、お屋敷の中を歩くようになっていた。

 ねずみの通り道からは、ギロチンのように君臨していた斧の罠も解除され、ただの食料の提供場所となっていた。

 今、小さな女の子の目の前の光景のように。お庭に姿を現すことも、珍しくない。


「ねずみさん、お洗濯してるの?」


 お屋敷の下の娘のオーゼルちゃんは、お友達のお人形さんを抱きしめて、しゃがみこんだ。お屋敷の庭園にある噴水から、常に流れ出る清潔な水の流れに、ねずみはいた。初夏の行水をしているわけではない、お洗濯をしていたのだ。


 ありえない。


 道行く人がこの光景を目にすれば、指を刺し、目を見開いて驚くことだろう。しかし、このお屋敷の住人にとっては、驚くには値しない事態である。


 ねずみは、ただのねずみではない。

 

 アーレックの手のひらの上で、指輪を両手で差し出したねずみだ。今のように、せせらぎでお洗濯をしている姿を見ても、驚くには値しないのだ。

 ねずみは、可愛らしいお嬢様に、ご挨拶をした。


「ちゅう」


 威嚇いかくでも、命乞いでもない、優しい鳴き声だった。


 やぁ、お嬢様——


 そういった、お隣さんへのご挨拶だ。お洗濯の途中で、ねずみさんは腰を伸ばして、やさしく鳴き声を上げた。すぐにお洗濯に戻ろうとするねずみだったが、オーゼルちゃんのにこやかな声に、さえぎられた。


「ねずみさん、名探偵なんだって?」


 お洗濯に戻ろうとしていたねずみは、再びその手が止まる。

 悪い気がするわけがない、栄誉の称号で呼ばれたのだ。ねずみは、照れくさそうに、鼻をこする。


「ちゅ~………」


 いやぁ、それほどでも―—


 ねずみは、まんざらでもないらしい。

 清潔な水のせせらぎは、ねずみにとっては腰までつかる深さである。洗濯物も全身を水につけて、足で踏んづけて洗う規模である。


 人であれば、シーツを洗うという仕草だろう。

 ねずみの足元では、シーツが優雅に泳いでいた。


「じゃぁ、私の探し物、どこか分かるかな~」


 おや、ご依頼ですか?


 ねずみは小首を傾げて、少女を見上げる。ご厄介になっているお屋敷のお嬢様のお頼みなら、喜んで引き受けましょう。

 ねずみは、紳士を気取って、胸を張っていた。

 

 どんっと、胸を叩いて、鳴いた


「ちゅ~、ちゅうう、ちゅう」


 どうぞ、お任せください―—

 

 腰をまっすぐにして、その足元では、すっかりと汚れの落ちたシーツが泳いでいた。可愛らしい刺繍ししゅうは、少しほつれていても、その原形は失っていない。

 可愛らしく簡略化された、クマさんの笑顔があった。


 オーゼルちゃんは、たずねた。


「私のお気に入りのハンカチなの。クマさんの顔の」


 オーゼルちゃんは、それはそれは、可愛らしい笑みを浮かべていた。

 だが、このお屋敷に長く関わっている人物なら、この笑顔を知っているはずだ。誰かさんとそっくりの笑顔で逢った。


 何かを、企んでいる。


 それはもう、恐ろしい何かを企んでいるという、お姉さん譲りの笑みであった。

 おや、お姉さんまで後ろにいた。奥様までおいでだ。


「ちゅ………」


 ねずみは、一歩下がった。


 いやな予感を覚える程度に、この状況に覚えがあった。今はまだ、武器を手にしておいではないが、いつ武器を手にしてもおかしくない雰囲気だった。


 ふと、足元を見る。


 刺繍ししゅうされた、可愛らしいクマさんが、笑顔だ。オーゼルお嬢様がお探しのハンカチは、ねずみの足元で、泳いでいた。

 ねずみが、シーツとして頂戴した日から、行方不明だったらしい。


 このお屋敷にご厄介になった初日、寝床の確保のため、小さな布切れを拝借はいしゃくしたのだ。自分はねずみなのだ、物を盗んでも、なにがおかしいだろうと。


 屋根裏ではホコリとクモの巣と、汚れるのは早いもの。清潔を心がける心は紳士のねずみさんは、お洗濯に精を出していたのだ。

 ただのねずみではない、顔を見せただけでは、もはや命の危険がないと思ったために………


 清潔を取り戻したクマさんは、笑っていた。

 ねずみは、涙目だ。


「ちゅ………ちゅう、ちゅっ、ちゅう~」


 こ、これは違うんです。何かの間違いなんです―—


 魔法の力がなくとも、ねずみのこの言葉だけは、女性たちに届いたであろう。動かぬ証拠を足元に、ねずみは静かにあとずさる。


 オーゼルちゃんの可愛らしいお顔が、にっこり笑顔から、変化を始めていた。宝石のような緑色の瞳に、涙をたっぷりとたたえたお顔になっていた。


 あぁ、この顔に覚えがある。爆発まで3、2、1………


「ねずみさんの、ばかぁぁああああっ!」


 ねずみは、脱兎だっとのごとく逃げ出した。


 とっさにシーツを背負い、まるで、マントをひるがえした怪盗だ。名探偵を気取ったねずみから、今度は怪盗と、忙しい。これが、ねずみの日常だ。


 だが、こんな暮らしも悪くないと、ネズリーは思った。


 ねずみに生まれ変わったのは、認めようではないかと。そして、第二の人生………と言うより、ねずみ生活を、謳歌おうかしようと。


 仲間が、ネズリーを元に戻そうとして、アニマル軍団になっているなどと、知る由もない。


 今はただ、逃げていた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ