アーレックと、ねずみと、婚約指輪
ごっつい青年アーレックは、幸せの絶頂期にいた。
「おめでとう、アーレック、お手柄ね」
「おてがら、おてがら」
ねたましい、片膝をついて、両手に、花という姿だった。
騎士様のお屋敷において、ごっつい青年アーレックは、恋人様と、その妹様に抱きしめられて、祝福を受けていた。
カーネナイ事件の解決に貢献した、その一日が終わった。改めてご挨拶にと、恋人様のお屋敷にお邪魔したところであった。
そこで、手柄の報告がなされたのだ。
報告の主は、何と、お義父上さまだ。いつもは緊張気味で付き従っていたアーレックを、一人前と認めたわけだ。
「さっすが私のアーレックね、恋人として、誇らしいわ」
恋人様の活躍に、喜ばないわけがない。
妹さんはお姉さんの真似っ子であるが、家族以外の男性に、気安く抱きつくわけはない。それほど、信頼をしている、親戚のお兄さん感覚である。
惜しみない称賛の嵐の中、アーレックは一人、つぶやく。
「いや、手柄は俺一人だけのものじゃないが………」
ねずみの協力があった事実を、どう説明しようか。
お義父上様の手前であるため、アーレックはあまり、頬を緩めてばかりもいられない。恋人様のベーゼル様も、おしとやかなお嬢様の演技に戻って、妹も静かに引き離す。
それでも、手柄を立てたアーレックへ向けられる目線には、いつもと違う輝きがある。今は、珍しく頼もしそうに自分を見るまなざしに、酔っていたい。犯人と対峙したのは、事実なのだから。
今のオレは、チキンではない。
今なら、お義父上のまなざしすら、怖くない。
あくまで、今のこと。
気持ちが高ぶっている、今のこと。
ならばと、アーレックは思い切る。
「それより、話したい事があるんだ」
片ひざをついた姿勢のままで、懐から、小箱を取り出した。
今朝方、背中を丸めて悩みに悩んでいた品である。ねずみが、魂からの雄たけびを上げた、人生の勝ち組の証である。
妹様はきょとんとしたお顔であるが、大人たちは分かっていた。
「あらあら、何かしらね、あなた」
「ふん、今日ばかりは、アイツの好きにさせてやる」
娘さんを、目の前で奪われるシーンである。
お義父上様には面白くないだろが、すでに、お義父上と呼ばせている。
なぜ、そう呼ばれるようになったのか。いつの間にか――と言う、男一人に、女三人のご家族では、いつものことである。
いつものことでないのは、チキンなハートの大柄の青年、アーレックである。
結婚は先のことでも、婚約者として門戸をくぐる日がやってくるのか、その運命は間近に迫っている。
期待に胸が高まる。もうすぐ訪れる未来の自分に、婚約指輪をささげ、感動にベーゼルが涙するシーンを思い描いて………
「あれ………?」
ここで、固まるアーレック。
小箱を空けて、思い出す。中身が空っぽである、今朝の光景を思い出して、冷や汗が、だらだらと流れる。
ねずみに指輪を奪われたあと、自分は果たして指輪を返してもらっていたのかと。
そもそも、指輪をかぶったねずみは、あの事情聴取の後、どこへ行ったと。
「ちゅぅ~」
声がした。
片ひざを付いたまま、アーレックが冷や汗を書いていたときだった。アーレックの肩から、指輪をかぶったねずみが現れた。
「ちゅうっ」
やっと、出番か。
そう言った気がする、ねずみはずっと、アーレックのそばにいたのだ。
時にその肩に、時に背中に、巨体のアーレックに気付けるわけもない。肩から腕へと、ちょろちょろと、手のひらの上へと進み出る。
そして、指輪を頭から外すと、結婚式の付き添いよろしく、指輪を両手に抱えたのだ。
あぁ、助かった。
ねずみを見て、アーレックは思った。
今の今まで、この小さなケダモノのことが苦手だった。なぜか、巨大な怪物が現れたかのような、恐怖を感じていたのだ。
今は、頼もしい相棒が、傍らにいてくれる気分だった。
ありがとう、友よ。
そんな気分でしばし、ねずみを見つめると、アーレックは改めて顔を上げた。
きりっとした、男前の顔で――またも、固まった。
「うふっ、素敵なお友達ね?」
指輪を送るべき相手、愛しいゼーベル様が、にっこりと笑っておいでだ。
これは、アーレックが日々こき使われる、よく見る、イジワルを思いついた顔だった。
そして、告げた。
「ごめんなさい」
思わぬ言葉が、ベーゼルお嬢様の口をついた。
さも悲しそうに、顔を背けて。とても、わざとらしく。
アーレックの瞳に、涙があふれる。きりっとした男前の顔は消えうせ、この世の終わりといった、情けないお顔であった。
隣の妹様は、きょとんとしている。
奥様は、にっこりしている。
なぜか、義父上様だけが、おどろきに目を見開いていた。ご自分の娘のイタズラでありながら、この場においては分からなかったようだ。
気に留めた風もなく、サーベル使いのベーゼル様は続けた。
「ねずみさん、気持ちはうれしいわ。でも、人と獣、身分が違いすぎるもの」
あぁ、分かったと、お義父上も納得をなされた。
これは、イジワルだと。
楽しんでいると。
「本当は、別の人から貰いたかったんだけど、いつくれるのかしらね~?」
男アーレックにとっては、希望の言葉だった。
この期に及んで、他の誰かなどありえようはずもない。これは、アーレックに向けての言葉である。
ベーゼルお嬢様が勝ち誇ったお顔であることが、大変に不安であった。
ねずみに婚約指輪を盗まれた。それは、アーレックの失態である。アーレックはただ一言、許された言葉を口にする。
そう、下僕が口に出来る言葉は、ただ一つなのだ。
「………はい」
ねずみは、腹を抱えて大笑いだ。
ざまぁみろと、全身が語っていた。この仕草でも、先ほど指輪を渡したことからも、人のようだと気付いて欲しい。
しかし、今は、アーレックの行く末で、頭がいっぱいだった。
アーレックの戦いは、これからだ。