表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
31/205

立ち上がった、チキン


 雷神様が、現れた。

 

 190センチに届こうという青年アーレックが、樽の隙間から飛び出し、仁王立ちをしていた。 


 あのごっつい体を、よくタルの隙間すきまひそめていたものだ。フレッドだけでなく、諜報員の印象の執事も、驚いたと言う表情をしていた。

 ガーネックと言う借金取りがいることによって、意識がそがれていたのだろう。ガーネックと言う借金取りの恐ろしさを、またも見せ付けられた気分だ。


 ねずみは、不気味な、言い知れない恐ろしさを、ガーネックに抱いていた。


 悪魔だと。

 今回、ねずみが関わった事件の、本当の元凶であるに違いない。この悪魔を何とかしなければ、同じような事件が、またどこかで起こるかもしれない、何とかすべきだと。


 だが、今はまずい。

 大変、まずいと思った。


「このニセガネ………銀行強盗の件もだが………話してもらうことが、色々ありそうだ」


 アーレックは、手にニセガネの銀貨を一掴み、握り締めて突き出した。


 ねずみは、あわてた。

 まさか、ここでチキンなハートのアーレックが姿を現すとは、思っていなかった。

 やむを得まいと、ねずみも姿を現す。

 頭に、アーレックの婚約指輪をかぶって。


「あっ、こいつっ」


 カーネナイの若き当主、フレッドが立ち上がった。


 頭に冠をかぶったこの姿は、見間違えようはずがない。昨日、仲間たちがつかまった原因を作ったねずみである。


 八つ当たりの自覚はあっても、このねずみの邪魔さえなければ、彼の計画に従った青年達は、いまだ自由の身であったはずなのだ。


 贅沢は敵であっても、ささやかながら、宴会を開くつもりだった。そして、気のいい青年たちは、その余韻を胸に、旅立つのだ。故郷へ小金を持って帰るのか、あるいは、役者としての、新たなスタートか、少なくとも、牢獄ではなかったはずだ。


 ねずみが、すべての計画を台無しにしたのだ。


「ちゅぅ、ちゅう、ちゅぅ~!」


 フレッドの怒りを受け、ねずみは答えた。


 今は、お前の相手をしている暇はないと。

 カーネナイの若き当主、フレッド様が理解したのかは、別問題だ。ねずみは、言い放つと、目の前で立ち上がったチキンを見つめて、己の未熟に歯ぎしりをした。


 アーレックを、あなどっていたのだ。

 体がでっかいだけで、ねずみにおびえる、チキンなハートの青年だろうと。隠れて、やり過ごす慎重さを持っているだろうと。


 違った。

 ハートはチキンの青年、アーレックは、ねずみが苦手なだけなのだ。


 あと、恋人さまと、そのご一家に頭が上がらないだけなのだ。

 そうでなければ、サーベル使いの長女様との付き合いをお許しにはならぬはず。


 ねずみは、アーレックを誤解していたと、後悔した。


 相手は追い詰められている、どう出るか分からない。アーレックは腕に自信があるのだろう、優れた体格だけではない。壁を軽々と飛び越えた身のこなしからも、自信は過信ではないと伺える。


 しかし、素手であった。


「おとなしく同行していただければ、手荒なことはしない。さぁ、どうする」


 怒鳴り声ではないが、はっきりとした、威圧を放った。


 これが普段の、公僕としてのアーレックの姿だ。

 小太りの借金取りは、固まったまま、動けない。裏側にどっぷりと浸っていそうな部下の二人は、せっせと金を集め始める。このあたりは、修羅場しゅらばの経験をにおわせる。


 一方、ねずみに気を取られていたカーネナイの若き当主フレッドは、やはり動くことはなかった。


 動いたのは、忠実なる執事だった。


「やむをえません。相手は一人です」


 アーレックの前に立ちはだかり、武器を構えながら、主に告げる。


 お前は本当に執事なのかと、ねずみは突っ込みたかった。執事は、懐からナイフを取り出すと、暗殺者の雰囲気に変わったのだから。


 たいへん、まずい。


 いくらチキンが優れた体格と、すぐれた運動能力の持ち主であっても、素手なのだ。こんなところで勇気を出すなら、チキンなハートのままで、いて欲しかった。


「ちゅ~、ちゅちゅ、ちゅ~、ちゅ~っ!」


 お前は逃げろ、あとはオレが何とかする――


 ねずみは、がらではないと、自らの蛮勇ばんゆうに焦りながら、叫んだ。

 タルの上で、仁王立ちになって、両手を振り上げて………だが、チキンと執事、戦いを決意した二人の世界には、ねずみ一匹すら、入る余地はなかった。


「そうか、戦うのか」


 こぶしを握るアーレック。


 刃に対して、こぶしとは自殺行為。ねずみは、おとなしく降伏するように、さらに声を発しようとする。


 しかし、遅かった。


「やめるなら、今だ」


 執事が、今度は忠告を与えた。


 言葉は、短い。

 そして、沈黙。

 ねずみは、固唾かたずをのんで見守る。


 もはや、自分が何をしても、二人の戦いを止めることが出来ない。出来ることとすれば、この二人の戦いの決着を、見守ることくらいだ。


 だが、それで終わるつもりはなかった。


 ここでアーレックが命を落とす事態になれば、屋敷の人々に申し訳がたたない。いざとなれば、執事の手に噛み付こうと。相手が、アーレック一人だと思っていることを、後悔させてやると………


 まずは、アーレックが動いた。


 手の中の銀貨を執事に投げつけ、同時に駆け出した。

 相手が油断している間に、距離を詰めようとしたのだ。並みの相手なら、視界をさえぎられたすきをつかれただろう。


 しかし、執事は動じることなく銀貨を受け、やはり駆け出した。


 この間は、一瞬。

 相手が動じなかったことに、今度は、アーレックが動揺どうようしてしまうだろうか。


 アーレックは、違った。


 想定済みなのか、優れた格闘センスのなせる業か、動揺することなく、まっすぐに突き進む。

 二人のこぶしが触れ合う距離になる。


 どちらも、並みの腕ではないようだ。アーレックは、わずかに体をひねることで、執事の刃を交わした。その頬から、ぎりぎりの隙間すきまで、空気を切る、執事の刃。


 ひねった勢いで、アーレックはこぶしを叩き込む。


 巨大なこぶしが、今度は執事の顔を狙うも、執事もまた、わずかに胸をそむけることでこぶしを交わすことに成功する。余裕の表情が憎らしく、さらに執事は、半身を回転させた勢いで、改めてやいばを振るった。


 ここで、ねずみは気付く。


 執事の持つ刃が、どこかおかしいと。

 ナイフの刃が、刃ではない、鞘に納まったままだった。アーレックの目的は捕獲であり、殺害ではない。


 対する執事もまた、殺害の意図はないようだ。互いにルールを決めたわけではないが、これが、戦いと言うものか


 そこへ、主が声をかけた。


 弱々しく、殴り合いの最中には、聞こえるはずのない声だった。

 しかし、声は聞こえていた。



 もう、やめよう――と



 終わってみれば、演舞を見せてもらったような動きだった。


 どちらも、優れた技術の持ち主であったおかげかもしれない。そのために、小さな停止の命令にも、即座に従うことが出来たのだ。


 念のため、アーレックは距離をとり、タルの横に戻っていた。

 執事が、寂しげに振り向く。瞳には、まだ、何とかなるかもしれない。あきらめないで欲しいという気持ちがこもっていた。


「貧しさに………負けんたんだ」


 主のフレッドは、かすかに左右に頭を振りながら、告白する。


 短かった。


 だが、それが全てだろう。

 借金を返すために、ニセガネを造ろうとしたと、続けて告白した。もう終わりだ、そんな気持ちで、ニセガネの詰まったタルを見つめていた。


 詳しくは出頭してもらってからであるが、突き詰めていけば、そういうことだ。


 貧しさに、負けたと。


 背後では、私は無関係ですのでと、金の詰まった袋を抱え、借金取りご一行様がお帰りだ。

 ガーネックという名前と顔は、覚えた。アーレックも姿と名前を確認しているので、あとで出頭を命じられるはずだ。


「いえ、時代が悪かっただけです………」


 主のあきらめに、執事もやいばを落とす。


 時代が違えば、この執事も武力を振るうことはなく、主を守る、すばらしい執事として人生を終えたはずだ。

 落ちぶれ、落ちるところまで行き着いた家を継いだ、最後の当主。それが、フレッド・カーネナイと言う若者だ。

 話は後で聞くと、冷たく言い放つことは、アーレックには出来なかった。


 それでも、一言だけ言いたくなったようだ。


「いや、あんたら、ねずみに負けたんだろ?」


 世間の風が、さびしく吹いていた。


「ちゅぅ~………」


 言ってやるなと、ねずみは小さく、鳴いた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ