晩御飯は、金勘定が終わってからです
夕焼けの明かりが、小窓から机を照らす。
少しかび臭い、レンガの壁に囲まれた倉庫の机の上は、鈍く輝く金属でいっぱいだった。
名家として知られたカーネナイの敷地にある、植物のツタに覆われた倉庫であった。
敷地は広大で、数十部屋はあろうかと言う大きなお屋敷に、屋根つきの通路の先にある離れと、そして、ここが倉庫である。
廃墟に、悪党が住み着いたのではない。落ちぶれたカーネナイの名前と屋敷を受け継いだ、カーネナイの若き当主フレッドが、足掻き、守ろうとしている場所であった。
今は、古びた横長の机の前に突っ伏していた。
作業のためには夕日では心もとないと、ゆらゆらと、三本のロウソクが揺らめいている。暮らしが今より厳しくなれば、このロウソクは一本に減るだろう。カーネナイの若き当主フレッドは、目の前の海をながめていた。
「これが全て銀貨であれば………なぁ、メジケル。俺たちはどこを襲ったんだっけか」
見渡す限りの、銀の海。
それは、雪景色を例えて使われることが多いが、富の比ゆにも、用いられる。銀色の海、一面の銀とはすなわち、富の証。
机の上という狭い空間でも、一面の銀を並べられる富豪は、数えるほどしかいない。カーネナイの若き当主、フレッドは、本日その光景を見る事になっていた。
強盗と言う、決して世間様に知られてはならない所業を、気のよい若者達に手伝わせた結果である。紹介されて、互いに引いてはいけない一線を話し合って、入念な準備と言う、こしゃこしゃと、木炭を削った日々が懐かしい。
それは、成功したかに思われた。
途中までは。
あのねずみが、現れるまでは。
「………青の海?ですな、フレッド様」
そばに控えている執事が、冷静に観察をしていた。
目の前に広がっているのは、銀の海ではない、青の海といった光景だった。
もちろん、なみなみと水が満ちた空間と言う意味ではない。鈍い青色、緑色といったほうが近い光景が広がっていた。
コインが、さび付いた色だった。
銀ではない、青く輝くコインといえば、決まっている。
「………銅貨ばっかだ。それも、みんなさびてやがる………うちに、ちょうどいいか?」
青銅とは、よく言ったものだ。
純粋な銅に、わずかに合金されて、強度を増している金属を青銅というが、青かった。最初は黄金の輝きを誇り、犬の顔が彫刻された銅貨は全て、青色だった。
銀行の支店長が、大笑いをしていた理由である。
「廃棄、回収予定の小銭の山を、間違えて奪ったのでしょうな」
執事が、冷静に感想を述べる。
古くなり、流通させるには限度を迎えたコインは、定期的に回収される。とはいえ、何と言う偶然だろうか。小さな銀行に、これほどの山積みが、常にあるものか。
本当に、すごい偶然だ。帳簿の上での損失は、ゼロだ。支店長は今頃、うまい酒を飲んでいるに違いない。手元には、薄っぺらい犯罪小説もお供にあるだろうか、ジャンルは、銀行強盗か、狂気の殺人者か。
「………支払いには、よさそうですな。痕がつかないということで、納得するでしょう」
皮肉にも聞こえるが、ただの事実である。指摘を受けたカーネナイの若様はうなだれる。そして、それでも使えるコインだと、金勘定を始めた。
お支払いに、必要なのだ。
「二百五十、二百六十、二百七十………」
金勘定は、主の務め。
それは、楽しみだと同時に、悲しい作業だ。目に前に山と詰まれるコインの数々は全て、消える運命なのだ。
しかも、カーネナイの若様にとっては、減る一方どころではない。借金に借金を重ねたため、また借金をせねばならないと、突きつけられる行いであった。
そうして追い詰められた挙句に、とうとう犯罪に手を染めたのだが………
「十枚ずつ数えても、時間がかかるものだな………」
三百枚目を数え終え、ひとまず小袋に入れ替えた。
間違えて崩れては、またも、数えなおしである。それは、勘弁して欲しい、今日は本当に、疲れているのだ。苦労して数えても、手のひらにこぼれるほどの、袋が一つだった。
「では、これは職人達への支払い分に………」
忠実なる執事は、慣れた手つきで紙切れをはさみながら、ひもでくくりつける。証文や、請求書と言った紙切れであった。
これで、この袋の中身はカーネナイの若き当主、フレッドの物ではなくなった。数えるたびに減っていく、血と汗の結晶たちだ。
しかも、盗品。
情けなく、涙が零れ落ちる。
「銀貨って………銅貨で何枚分だっけか………」
わかっていながら、フレッドは訊ねずにはいられなかった。コインの山に顔をうずめていながら、とてもはかなく見える。その現実を、認めるための儀式なのだ。
「十二枚です。銅貨が三百枚なので、銀貨二十五枚………待ってもらっている分の、一人分の賃金です」
執事様は、淡々《たんたん》と、答えた。
ずっしりとした重さが、悲しくなる。請求書、借用書の束から一枚を、ようやく小袋に貼り付けたばかりであった。
「支払いに、あと何袋だ?」
十枚ずつ銅貨を数えながら、フレッドは訊ねた。
もはや、数を口にする気力もない。増えていくのであれば、百、二百と増えていくのは楽しみだが、減っていくのだ。
「待ってもらってますからね………全部ですかね」
六十枚目で、銅貨の山は崩れ落ちた。
気力をそがれたフレッド様が、突っ伏したためだ。ジャラジャラと、机からこぼれそうになる青の海。まだ背後に残る袋を含めて、全て利息に満たないかもしれない。せめて、職人への支払い分は、あって欲しい。本来、最も分け前を与えるべき仮面の強盗団、かつては青年演劇団の連中は、牢の中なのだ。
こうなっては、どうなってもいい。そんなヤケが少し混じっていた。
「………銀行強盗までして、支払いだけで、吹っ飛ぶってか………」
涙が、銅貨の山に吸い込まれていく。これで、ますます銅貨の山の色が、青く染まっていくだろう。そのうち、緑になるに違いない。
いや、ほぼ緑も混じっていた。
「彼らは、本職の強盗ではありませんし………むしろ、表立って人々の注目を集め、その間にコインの詰まった袋を盗み出した行動力は、ほめるべきでしょう」
笑われる側のカーネナイ一味としては、ただただ、うなだれるしかなかった。
借金取りたちの冷酷な笑みが、職人達の、たのんますという顔が重く、押しかかる。
「………なぁ、あのタルの中身で支払うって………アリと思うか?」
フレッドは、銅貨の山を手のひらでジャラジャラともてあそびながら、後ろを振り向く。手のひらに、さびた銅の香りが広がっていく。背後のタルを作るために作った借金と、その利息に消える香りである。
執事が答えようとしたところ、フレッドはつぶやく。
「あ………小銅貨も混じってた」
犬の銅貨よりも一回り小さい、ねずみの顔が彫刻された銅貨があった。
さびて少し大きくなっていても、間違いに気付けるサイズの違い。犬の銅貨の八分の一の価値である。まさか、先ほどの袋にも、まぎれているのではないか。そんな悪い予感が、ジャラジャラと目の前に広がっていた。
「まさか………数え終えた分にも?」
執事メジケルからも、冷静なる僕の顔が、外れそうになった。
一滴、汗がこぼれていた。
「いや、それはないが………」
いいながら、ざっと手のひらで広げだす。
数えるためのスペースに、ジャラジャラと広がる青の海。手のひらで数えながら、十枚ずつ束を作りながら、はっきり違いがあると分かる。さび付いて、多少形が変わった程度で間違えるわけはない。ねずみに、犬の銅貨のサイズははっきりとしている。まさか銀の狼と、あってほしい熊の金貨の輝きは、そもそも違う。
「あぁ、足りない。小銅貨まで混じってたら、絶対、足りない。また、借金だぁ~」
ぶつぶつと、銅貨の山を作っていくカーネナイの若様。最小単位のねずみ銅貨まで混じっていれば、積みあがった山が小さく見える。
小銭も積もって山になっているが、ねずみ銅貨八枚で、犬銅貨の一枚分なのだ。
「………あの男も来るので、新たな借り入れは出来るでしょう」
「また、何か言い出すだろうな。銀行強盗に雇ったあいつらも、あの男に借金してて、オレのところに回されたって話だ………次は、何をさせられるかな………」
不安を口にしながらも、カーネナイの若き当主、フレッドの手は止まらない。犬の銅貨を六十枚まで数えて、ようやく狼の銀貨で五枚分と言う区切りだ。
数えても、数えても、緑色の山は減ってくれない。
そして、数え間違えなど許されない。食事の前に手を洗っても、このさびた香りは落ちてくれないだろう。思ってしまったために、腹の虫がなった。
「はぁ、ハラ減った………」
「時間が迫っております。お食事は、金勘定のあとでお願いします」
仕分けを終わらせねば、夕食にありつくことも出来ない。夕焼けが、緑色の山を、黒く染めていた。
その様子を、涙をためて見つめている瞳があった。
心は紳士の、ねずみだった。
「………ちゅう」
目を細めた拍子に、哀れみの涙が一滴、ねずみの頬を伝った。
眼下に繰り広げられる、哀愁漂う執事と黒幕とのやり取りを、目にしたためだ。
貧しさに、負けた。
それは、仮面の強盗たちだけではなかったのだ。目の前にいるのは、落ちぶれた家を受け継いだ若者と、律儀に忠誠を尽くす執事である。
指輪の紋章から、カーネナイの名前が浮上。取調室で得た情報から、ようやくこのお屋敷に到達、人の気配を追ってレンガの倉庫に到達してみたものの………涙なしには、見ることの出来ない光景であった。
「………ちう?」
疑問がわいた。
彼らがニセガネ事件と、仮面強盗団の黒幕であることは、間違いない。
それでも、どこかおかしかった。
仕組まれたように思えたのだ。
人を傷つけない作戦は、彼らの立案であろう。だが、彼らに仮面の強盗団を紹介したのは、いったい誰なのか。
『あの男』とは、誰なのかと。
夕焼けが、最も強く輝く時間帯、疑問はそれとして、ねずみは住処に戻ることにした。
食事の時間だった。




