最終話 ねずみと、夏休み
日差しが、強い影を落とす。
窓辺から外を眺めると、青々とした草原が、本日もよい天気だと教えてくれる。早朝の涼しい時間の余韻は、ますます短くなっていた。
騎士様の家の、夏の朝の光景であった。
ねずみは、ため息をついた。
「ちゅぅ~………」
恵まれた暮らしの証が、目の前に広がっていた。
ドールハウスの三角玄関の前で、朝食セットが並んでいた。
白亜のテラスと繋がるお部屋の壁には、ねずみ専用の出入り口がある。壁に開けられた穴を加工した、贅沢なるドールハウスの玄関口と言う、出入り口である。
ご家族と食事を囲む日もあれば、出入り口に食事の準備をしてくれる日もある。贅沢に、ドールハウスのテーブルセットが用意されていた。
やさしい甘みの野菜スープには、干し肉の切れ端が嬉しい。クラッカーは、食欲がなくなる季節において、歯ごたえで後押しをしてくれる。
ねずみは、ティーカップを手に取った。
「ちゅぅうう~」
感謝の言葉と共に、湯気が立ち始めた。
色々と忙しくなってきたが、今この時は、優雅な時間に浸りたかった。
“ヤツラ”という、ドラゴンとの戦いに人生をかけた皆様は、続々と集まってくるらしく、頭を抱えている人たちは、上に行くほど増えているようだ。
ねずみは、立ち上る湯気の香りを楽しんでいた。
白亜のテラスへ続く室内は、涼しげな風が吹く。すぐそこに木が植わっているおかげでもある。炎天下を横目に、涼しげなティータイムが楽しめそうだ。
巨体が、陰を落とした。
「我が友よ、いつもながら優雅と言うか、不思議と言うか――」
アーレックの、お出迎えであった。
190センチに届こうという巨体は、肩幅も比例してごつく、そして鈍重とは無縁の運動神経のよさは、格闘技に威力を発揮する。
このお屋敷の長女のサーベル使いこと、ベーゼルお嬢様の恋人だった青年であり、つい最近の儀式によって、婚約者へとのし上がった野郎である。
お義父上さま――と、いまだに苦手であるのは仕方のないこと。本日も町の平和を守るために、お出かけなのだ。
事件が終っても、新たな事件が待っている。
ねずみがアーレックとコンビを組んだ事件は、解決された。カーネナイ事件と言う、ニセガネの銀貨の鋳造および拡散と、そして資金調達のための銀行強盗を、中心となった人物の名前を取って、そう呼ぶ。
落ちぶれた名家カーネナイは、いまは領主様の裏側の入り口として、そのお屋敷には不思議が集まっていた。
ねずみも、その一員だ。
事件が名探偵を呼んでいるのだと、気取っていた。
「ちゅぅ~、ちゅううう、ちゅ~」
どうした、なにか事件かな?――
アーレックを見上げることなく、ねずみはティーカップを傾けた。
気安い関係だから許される、尊大な態度であった。優雅な時間をさえぎられることを、ねずみは好まない。そんな上流階級を気取って、香りを楽しみ、体も温まる。
ありがたいことに、お屋敷は、まだ早朝の余韻を確保している。熱い紅茶が、おいしいのだ。
アーレックは、肩を落とした。
「いや、気にするのはよそう。例の件に関わっているんだったな………」
色々と考えをめぐらせて、答えを出していたようだ。
カーネナイ事件をきっかけとして、ねずみはアーレックとコンビを組んで、カーネナイ事件の黒幕であるガーネックにまで、たどり着いた。
その後は平和が続くと思った矢先の、ドラゴン事件である。噂が噂を呼び、ドラゴンの恩恵を預かろうと、色々と集まっていた。
空回りもあったが、だが――
ティーカップを置くと、ねずみはアーレックを見上げた。
「ちゅぅ~、ちゅううう、ちゅ~、ちゅうう、ちゅ~」
両手を組んで、静かに見上げていた。
隣では、宝石さんがふわふわと、ねずみの相棒が浮かんでいた。アーレックには、どのように伝わったか、それは分からない。
ゆっくりと、しゃがんだ。
「まぁ、そういうことだ………すっかりオレも裏側の担当になっていてな、元々、職務で知った話は家族にも話せないだろ。おかげで、ベーゼルに――」
個人的な、相談事があったようだ。
アーレックは町の平和を守る側におり、生まれも手伝って、幹部候補といった日々である。今は、領主様の裏口であるカーネナイの屋敷にも顔を出す日々である。ドラゴンの噂が広まっている今日この頃、忙しいのだろう。
そのおかげで、婚約者様が不機嫌なのだ。ご機嫌を取ることも叶わずに、贅沢な悩みと言うべきか、同情すべきか………
ねずみは、新たに現れた影を見上げた。
「あぁ~ら、ねずみさん、今日はアーレックとお出かけなの?」
「おでかけなの?」
お嬢様たちが、腰に手を当てていた。
アーレックの相談事である、恋人から婚約者へと地位を上げたご令嬢と、その妹様がセットで現れた。
巨体アーレックがおびえて震えるのは、哀れと言うしかない。にっこりとした笑顔の裏側は、ねずみの目にもはっきりと見えていた。
ご機嫌が、悪そうだ。
「すまん――実は………実は………」
アーレックは、即座に土下座をした。
仕事だ――
この一言で済ませてよく、済ませるしかなく、大変だ。
仕事の内容を簡単に語ることが許されない。それが、アーレックのおかれた立場である、婚約者であるベーゼルお嬢様にも、よくお分かりのはずだ。
それでも不機嫌を態度で表すのが、婚約者と言うものらしい。
お嬢様は、にっこりと微笑んだ。
「いいえ、お仕事なのはわかっていましてよ?」
「わかっていましてよ」
姉妹そろって、腕を組んだ。
言葉から、態度から伝わってくる、立場が強いことを分かった上で、イジワルをしているのだ。
妹のオーゼルお嬢様は、こうして知恵をつけていくのだ。
将来が、大変そうだ。
「ちゅぅ、ちゅう、ちゅううぅうぅ、ちゅううう」
まぁ、まぁ、事情があるのだ、許してあげては――
仲立ちをしようと、紳士を気取って笑みを浮かべたねずみである。ティーカップを持ったまま、仲介者を気取って、片手をおもむろに前に突き出していた。
その辺で、許してやってくれないか――と言うしぐさである。言葉が伝わらなくとも、伝わっているだろう。
婚約者を得たアーレックへは、男として嫉妬を覚えつつ、逆らえぬ日々を目の当たりにして、涙が溢れる光景である。
そのため、ついつい、余計な口を挟んだわけだ。
「あら、ねずみさんもよ」
「どうなの、ねずみさん?」
オーゼルお嬢様が、まねっこをやめた。
これは、まずい状況である。お怒りが、ねずみにも飛び火したようだ。
オーゼルお嬢様が腰に手を当て、見下ろしてきた。姉のベーゼルお嬢様の真似かもしれないし、母親の真似かもしれない。ねずみが不審な動きを見せれば、問い詰める日々なのだ。
ねずみは、顔を背けた。
「ちゅちゅ、ちゅううう、ちゅう~、ちゅちゅちゅぅぅ………」
ティーカップを傾けて、ごまかすしぐさである。気付けば、相棒として隣に浮かんでいた宝石さんは、姿を消していた。
ねずみの背後に、隠れていた。
ねずみの言葉は分からずとも、言葉がすぼんでいる様子から、顔をそむけつつ、ティーカップを傾けるしぐさから、伝わるものがある。
姉妹そろって、改めてポーズを決めた。
「まぁ、今は許してあげる」
「ねずみさん、あとでお話しましょうね?」
腰に手を当てた仁王立ちで、仲良し姉妹が微笑んでいた。
ねずみとアーレックは、お返事をした。
「はい――」
「ちゅぅ~――」
アーレックは地面に、ねずみはテーブルに頭をつけて、お返事をした。
そっくりのしぐさに、姉妹も少しは機嫌がよくなったのだろうか、しかし、油断をしてはいけない。追撃の口実を、お嬢さま達に与えてはいけない、気配がなくなっても、アーレックとねずみは、頭を上げることができなかった。
夏休みは、まだ始まったばかりである。遊びたい盛りのお嬢様を放置しているわけではないが、いつも一緒に遊べるわけでもない。
申し訳なき持ちで、恐る恐ると顔を上げる。
「ちゅぅ、ちゅうう、ちゅうぅ~」
はぁ、お互いに、大変だな――
冷めた紅茶を、一口飲んだ。
「我が友よ、油断をするな………夏休みなのだ、夏休みなのだ………」
経験済みらしいアーレックは、夏休みを強調した。
ねずみには分からなかったが、放置した結果を思い出しているのだろう、そろそろ暖かくなってくる時間帯に、アーレックはさっそく汗をかいていた。
ねずみの背後では、恐る恐ると、宝石の人が顔を出していた。
ピカピカと、輝いていた。
だいじょうぶか――
そのような気遣いをしているのかもしれない、あるいは、よかった――と、他人事で、安心のため息を吐いているのかもしれない。
ねずみは、ゆったりと背もたれに背中を預けて、外を見つめた。
「ちゅぅ~」
強い日差しは、白亜のテラスをまぶしく輝かせ、陰はくっきりと濃くなり始めた。少しのんびりとしすぎたかもしれないと、残っていた紅茶を飲み干した。
そして、立ち上がった。
「ちゅぅ~、ちゅうう――」
さぁ、でかけるか――
背中で腕を組んで、アーレックを見上げた。向かう先は、領主様の裏口となっているカーネナイの屋敷であろう。蒸し暑いが、アーレックの肩に乗るしかない、ねずみの声に気付いたアーレックは、やっと顔を上げた。
「あぁ、いくか」
そっと、巨大な腕を差し出した。
そのようなことをしなくとも、ねずみは勝手に足から背中へ、そして肩へと駆け上がる。浮遊すら出来るねずみである。
ねずみは、駆け上った。
アーレックの行為を無碍にできない、いまは、このお屋敷のお嬢様に頭が上がらないコンビである。
相憐れむ関係は、友情といっていいのだろう。
「挨拶をしてからだな、まずは――」
少し、気が重たそうなアーレックに、ねずみは笑みを浮かべた。
「ちゅぅ~」
がんばれ――
とん――と、アーレックの頭に手を置いた、そのしぐさで伝わっただろう。宝石も、ふわふわと楽しそうに、アーレックの頭の周りを回っていた。
バカにしているわけではないが、アーレックは返事をせずに、立ち上がった。
「あぁ、今日も忙しくなるぞ」
ねずみは、ちゅ~――と鳴いて、返事をした。
そう、ねずみにも分かっている。これから、もっと忙しくなる。ドラゴンが現れた、ドラゴンと戦いたい人々がいる、その中心が、ねずみたちなのだ。
場所は、今のところは丸太小屋であるが、街中では災害となる。名探偵として、ねずみは知恵を絞らねばならないと、背筋がまっすぐと伸びてくる。
人間だったことなど、すっかりと記憶の隅に追いやられている。魔法使いの見習い、ネズリー少年に戻るてだてがない以上、そして、命に不安がない以上、するべきことは、ひとつだった。
ねずみ生活は、まだまだ続くのだ
『生まれ変わったのはいい。だが、ねずみだ』
~完~
お読みいただき、ありがとうございました。