ねずみと、夏の夕暮れ
広大な洞窟を、ねずみは走る。
大げさな表現で、ねずみは気分を盛り上げていた。
そして、間違ってはいない。ねずみと言うサイズに関わらず、巨大なレンガのアーチがどこまでも続くのだ。地下迷宮と言う言葉は、人の手で生み出された、人ならざるものたちの領域だ。
最近までは、ワニさんもいたのだ。
ねずみは、鳴いた。
「ちゅぅ~、ちゅううう、ちゅう~」
しかし、いないとなると、寂しいものだ――
立ち上がって、彼方を見つめていた。
10メートルを超える巨体なワニさんに、なぜか気付かなかった時期もあった。むしろ、なぜ見過ごしていたのかと言う答えが、広大な地下迷宮と言う、迷宮だ。
広大すぎて、10メートルを超える巨体すら、見逃してしまったわけだ。
今は、里帰りで湿地へと向かった後であり、安全だ。
ねずみは、走った。
「ちゅちゅう、ちゅう~」
ははは、まさかな――
勝手な妄想で、空想といってもよい。
そうして、面白おかしいうわさ話が出来上がる。灰色のポニーテールちゃんと言うヘイデリッヒちゃんは、そんな噂を集めるのが大好きだ。
最新の情報を仕入れては、みんなに自慢するのだ。
不思議が隠れているために、バカにはできない。
丸太小屋においては、貴重な情報源でもあった。大人が見逃してしまう、常識で考えて、切り捨ててしまう情報も、しっかりとつかんでくれるのだ。
不思議な2組の皆様とは、そうして遭遇できた。下水の幽霊の噂が発端で、ドラゴンの宝石ではないかと言う噂に引き付けられて人々だった。
では、ほかには?
ねずみは、立ち止まった。
「ちゅぅ~………ちゅうう」
目を凝らして、魔法を使って、周囲10メートルと言う広大な範囲を探った。目視するには近すぎる範囲も、手のひらに収まるサイズのねずみには、広大だ。
まして、暗闇の下水であれば、10メートルの周囲の気配を探れるだけで、十分だ。
そして――
「ちゅぅ~」
満足そうにうなずくと、駆け上がった。
ここからは、ねずみの拠点である、騎士様のお屋敷である。最近は魔法少女として力を目覚めさせたオーゼルお嬢様の住まいでもある。
さっと排水溝まで上がると、ねずみは小石を移動させた。
「ちゅぅ~………ちゅうう、ちゅうう」
そして、念じた。
魔法の一種である、ねずみよけのまじないだった。ねずみを下水から上げないためのもので、通常、街中でねずみを見かけることは、ほとんどない。
ねずみは、そのために小石を移動させて地上へと顔を出し、改めてまじないをかけていたのだ。
まじないを確認すると、大きく伸びをした。
「ちゅぅ~、ちゅうう~」
魔法の輝きが、ねずみと、そして背後の宝石をリフレッシュさせた。浄化の魔法により、下水の汚れはすっきりと消え去った。
姿はねずみだが、心は紳士であるためだ。
続いて、ねずみは、せせらぎへと向かった。
小さな噴水から流れている、清潔なるせせらぎである。ちょっとしたお洗濯にも、便利である。
魔法を使ったのだが、気分としての水浴びも、欠かさないねずみであった。
「ちゅぅ~、ちゅううう、ちゅう~」
宝石も、水浴びに参加していた。
少し大きな屋敷であれば、どこにでも噴水がある。清潔なせせらぎは、街中でも見かけることが出来る、水が豊かな土地柄なのだ。
遠くの湿地へも繋がっており、おかげでワニさんが姿を現したのだが、今はもう、安全だ。
そして、一言。
「ちゅ~………」
顔が、緩んでいた。
もうすぐ、夕食である。
キャンドルに火がともされ、優雅な時間が始まる。魔法によって肉体が守られているねずみは、すぐに冷たさを忘れ、そして、毛皮はふわふわに乾燥されていた。
満足そうに、ねずみは標的を捉える。
「ちゅうう、ちゅ~」
身支度は整った。
食堂の付近へと、ちょっと足を伸ばした。
スープがぐつぐつと香りを漂わせる。酸味がさわやかに、熱い季節に食欲をそろそろと誘ってくれる。
厨房から、今日も元気な声が響いていた。
「チーフ、あのでっかいヤツ、お嬢様とは婚約したんですよね。なんか、今さらって感じっすけど」
「まぁ、お嬢様のイタズラで、最初っから義父上って呼んでたからな。けど、これからは堂々とお義父上様って呼ぶように………って、結婚してからか」
「あぁ、そんで、旦那様のご機嫌が――」
使用人の皆様は、大忙しだった。
そして、未来の旦那様?である、アーレックの話題をしていた。毎日のように夕食に現れるのは、デートの時間がないため、お嬢様のお誘いだろうか。
まるで家族のような付き合いで、正式に婚約を果たした今は、確定だ。
領主様の夏のパーティーにおいての婚約の儀式は、公に発表したに等しい。これで破局など、まず、ありえない。
すでに、熟年カップルの様子を持つアーレックとベーゼルお嬢様であるが、だからこそ、父親としてはつらい立場のようだ。
ねずみは、皆様の待っているダイニングルームに向かうと、思い知った。
「………ちゅううっ!」
フルアーマーが、現れた。
夕方とはいえ、正気だろうか、全身をアーマーにした主様が、仁王立ちをしておいでだった。
片手には、槍も持っており、臨戦態勢であった。
騎士の家であり、フルアーマーも、槍もまた、飾り物としては珍しくなく、儀式として身につけるのも自然である。
ただ、ディナーを前にする姿では、ないはずだ。
「あなた、毎回毎回、暑さに気をつけて下さいね?」
「アーレックも、あんまり驚かなくなったし」
「暑くないの?」
奥方と、娘様たちはあきれておいでだ。
父親の心を、誰が知る。婚約をしたことで、どこか安心していた様子であったが、いざ、婚約が決まったとなれば、気持ちは別にあるらしい。
ねずみは、心を落ち着けた。
「ちゅぅ~、ちゅうう、ちゅ~」
ビックリした、主様か――
調子に乗ったアーレックの野郎には、よい薬だろう。本人は調子に乗っているつもりはなく、実際、そうなのだろう。
だが、ついに婚約できたという気分は、隠しきれるものではない。傍から見ると腹立たしくなるのも、人情だ。
くやしいのだ。
ねずみとて、雰囲気を守り立てるために、光の粒を振りまいたものだが、現金なものである。
それが、人なのだ。
ねずみだが、男心は複雑なのだ。
「あぁ~、ねずみさんだ」
オーゼルお嬢様に、気付かれた。
魔法の宝石を、すでに隠すつもりはないようだ、下僕のように、20ヶほどの宝石が、ふわふわと付き従っていた。当番の護衛のように、残るは屋根裏であるねずみの部屋で待機しているらしい。
隠し事をしていたようで、ねずみは申し訳ない気持ちだった。
なにより、お嬢様を不思議な事件に巻き込んだことは、本当に申し訳なく………
「ちゅうう~?」
空中に、浮かんでいた。
皆様に誠心誠意、謝罪の言葉をかけるべく、浮き上がったわけではない。オーゼルお嬢様による、イタズラであった。
今まで、魔法を使うことができなかったのだ。子供らしく、絵本は大好きで、絵本のような魔法を使ってみたい気持ちは、しっかりと持ち合わせていた。
ご家族も、気付いた。
「むむ、ねずみ君か………アーレックの若造は――」
「あらあら、中に浮かぶなんて、本当に不思議なねずみさんね」
「いえ、これはオーゼルのイタズラ………ううん、不思議なねずみさんね~?」
「うん、ねずみさん、すごいのっ」
ご家族は、とっても仲良しだ。
ねずみが魔法を使うなど、ありえない。それが常識だが、オーゼルお嬢様の魔法と言うよりは、納得らしい。
イタズラが成功して、オーゼルお嬢様は満面の笑顔であった。
むしろ、そちらが目的だ。
「ちゅぅ~、ちゅうううう、ちゅ~」
ねずみも、もちろん同意である。両手を大きく広げて、魔法を使っていますアピールをしていた。
背中の宝石も、ついでに輝いているが、お遊びだ。
そこへ、アーレックが到着した。
「………どういう状況だ?」
190センチに届きそうな金髪の青年は、立ち尽くしていた。




