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レンガの壁に、囲まれて


 頑丈がんじょうな、レンガ造りの壁がみえる。

 アーチを描いていれば、ねずみには見慣れた下水の風景である。しかし、ここは四角形で構成された空間だった。

 あるものは、木製の四角い椅子と、机。それだけではない、食欲をさそう、いい香りがただよっていた。


「まぁ、食え。はらが減ってるんだろう?」


 机の上に、コトンと、皿が置かれた。

 そうだ、そうだと、湯気も誘っていた。ねずみは部屋の壁に背もたれて、優しい瞳を、机にうなだれる青年に向けていた。

 皿の隣には、証拠品である金属で縁取られた、赤い仮面があった。

 仮面強盗団の、リーダーさんだった。


「そ………そんなほどこしなど………」


 食事をすすめられた青年は、最後の意地を通そうとした。

 ここは警備兵詰め所の地下にある、牢獄だ。

 ねずみがトコトコと付いてきても、うなだれる一方の青年には、どうでもよかった。

 共に水浴びをした仕草が、妙に人間っぽかったことも、どうでもいい。背中をタオルでごしごし洗う姿など、まるで人間だ。きっと、疲れがたまっていたに違いない。

 下水帰りの水浴びは、最高だった。

 個室に通されると、大切な自分の一部である、赤い仮面と再会した。誰かが汚れを落としてくれたのだ、泥が落ち、赤い輝きを取り戻していた。

 そこに、「まぁ、食え――」という言葉とともに、おいしそうな匂いの漂うお皿が置かれたのだ。

 お皿の名前を、懐柔かいじゅうと言う。

 ごくりと生唾なまつばを飲み込み、ふらふらとした目線が、湯気の立つ皿に向かってしまう。とっさに目を閉じたのは、最後の意地だ。目を閉じても、ゆらゆらといい匂いのする湯気が顔をなでて、誘惑してくる。


「わ………私は、負けない………」


 声は負けそうだが、戦っているのだ。

 よく働いた後に、おいしそうな匂いが目の前に漂っている。生唾なまつばを飲み込んでも、恥じることはない。

 これは、本能なのだからと。

 最大の正直者は、青年の胃袋だった。


 ぐきゅ~………――


 空腹だと、メシを食わせろと、魂の叫びが、ハラから聞こえた。

 優しい沈黙が、部屋に満ちる。目の前にある、おいしそうな匂いを漂わせる、皿のせいだ。


「まぁ、いいから………朝から、何も食ってないんだろ?」


 皿の上には、庶民の味方、ぶつ切りポテトの山盛りがあった。

 蒸したポテトをぶつ切りにして、鉄板の上で油と出会い、こんがり焼き色を付けられている。

 その隣の鉄板では、分厚くスライスされた上、短冊に切られたベーコンが、カリッカリでお待ちかねだ。それらは皿の上で出会い、風味付けのバターがたっぷりと、そして香味野菜が盛り付けられていた。


 それだけではない、ポーチドエッグまでが乗っかっていたのだ。ねずみは食堂にて、その職人技を目にしていた。調査のため、偶然訪れた食堂の技だが、普段お目にかかれない職人技は、目の端でながめていても、感心させられる。

 ぐらぐらと煮えたぎる湯に向かって、新鮮な卵が、ぽたりと落ちる。それも一瞬、お玉でを描いてかき混ぜ、かき混ぜ渦巻く中で形を成す。それをさっとお玉ですくって、ポテトの山に盛り付けるのだ。さらに贅沢ぜいたくなことに、チーズまでもかけられていた。


 たっぷりとだ。

 ポテトの熱と、卵の熱に当てられ、とろりと溶けて、混ざり合う様を見よ。

 あぁ、なんとも安っぽく、なんとも贅沢ぜいたくな一品であろうか。ねずみは、ごくりと、生唾なまつばを飲み込んだ。


 青年も、ごくりと、つばを飲み込んだ。

 ねずみが人であれば、互いにバツが悪そうに笑い合うところだ。


「おいおい、せっかくの料理が冷めちまうぜ」


 皿を机に置いたおっさんは、とことん、優しい笑みを浮かべていた。なかなか懐柔されない青年への苛立いらだちなど、微塵みじんも感じさせない声だった。

 苛立いらだつ要素がない、と言うほうがいい。むしろ、笑い転げたい気持ちを、必死に押さえつけて大変だ。


 それもそのはず、この仮面強盗団は、自ら犯行現場に出頭してきたのだ。

 ねずみを追いかけて、銀行地下の下水の鉄格子を持ち上げて、顔を出したのだ。その姿は正にドブネズミ、ただし、仮面つきだ。


 しかも、ねずみが連れてきたのだから、あの光景を思い出すだけで、いつまでも笑うことが出来るだろう。思いもよらない、証拠の品まで手に入った。


 ねずみがかぶっていた、指輪であった。


 細やかな装飾が施された、それなりの品だ。家紋が施されていた所を見ると、貴族様か、名のある家の持ち物に違いない。


 それは、地位の象徴。

 それは、富の象徴。

 そして、自己紹介。


 盗品の可能性もあるが、犯人達のあわてぶりから、黒幕様につながる品に違いない。黒幕を捕まえて、初めて事件は解決なのだ。

 考えをめぐらせたおっさんは、少しまじめに語った。


「今回の事件はな、誰も死んじゃいない。それどころか、ケガ人さえいない」


 ゆっくりと、横を向く。

 尋問じんもんではなく、皮肉でもなく、確認のようだ。


「おかしいと思ったんだ。はだしでみ込んでみたが、おかしいって」


 壁を見る。

 太陽の光が、強く鉄格子の影を落としていた。

 明りを取り入れ、風通しをよくする役割があるが、小さな窓だ。万が一にも脱走を防ぐためだった。


 小さく、笑った。

 丹念に削り、爆薬に見せただけの炭であっても、燃えれば危険である点には、変わりない。しかしながら、爆発的に周囲を巻き込むほどではない。むしろ、パニックになって、人々が押し合った場合が、危険だ。


 作用したのは、恐怖であった。

 それが、けが人ゼロの理由。そこまでを計算に入れていたとすれば、今回の黒幕は、なかなかの策士だ。ぜひとも、ぜひとも詳しくお話を聞きたいものだ。

 いやもう、本当に。この取調室で、じっくりとお話を聞きたくて仕方がなかった。


「指輪の持ち主のこととか、今回の計画を考えたのが誰なのか、聞きたいことは色々あるけどよ、あぁ~あ、もう冷めてきてるぜ」


 出前の品は、先ほどまでは、熱々の湯気を上げていた。

 しかし、説得の合間に、徐々にその湯気はおとなしくなっていった。まぁ、猫舌であれば、ちょうどよい温度と言うことだ。

 ちょうどよい、ホクホク、カリカリであろう。


「お前はまだ若い。きっとやり直せるさ。人を殺してないし、注文どおりに、演じる度胸もある。ほれ、朝からがんばって演じてきたんだ。もう、いいんだよ」


 説得するための言葉であるが、本心でもある。誘惑に負けた愚か者は、どこか応援したくなる。罪があり、罰があれば、その次は?


 まじめに、出直せ。

 傲慢ごうまんではなく、本心で応援したいのだ。罪を犯した事実は背負ってもらわねばならないが、つぐなえないたぐいでもない。


 ぐきゅ~――


「ははは、はらは正直だな、おい」


 しばらく笑った。


 ねずみも、やさしく笑った。

 落ち込んでいた仮面のリーダーも、ばつが悪そうであるが、笑った。

 そして、ついにフォークに手を伸ばした。

 フォークの先に、一口分のいもがあった。芋の山から取り出したところで、湯気が思い出したかのように、立ち上る。


 ホクホクとした、いもかがやき。

 こんがりとした、油のこんがり。


 仮面を脱いだ青年はごくりと、生唾なまつばを飲み込む。

 ねずみも、ごくりと、その様子を見守る。

 もはや、目の前で説得を試みた警備兵のおっさんの姿は、映っていない。青年の目に映るのは、いもの山だ。


 青年はとうとう、口に入れた。

 ホクホクとした熱が、さくっとした歯ごたえが、口に広がる。ねずみにも想像が付く庶民の味の、塩気と、油のうまみはもはや、止まらなかった。


「そうそう、若いヤツは、たんと食わないとナ」


 豪快な食べっぷりを、おっさんはにこやかに見守った。

 ねずみも、にこやかに見守った。

 お昼前に発生した事件から、まだ、わずかしか時間は経過していない。気付けば少し遅い、昼食の時間帯。実行犯のリーダーの青年は、ただひたすら庶民の味方を口に入れ、ハラに満足感を与え続けていた。




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