ねずみと、風船と、空の旅 VS カラス
おげんきでぇ~――
ねずみは、大きく手を振っていた。とある夏の日、雲一つない青い大空へと向けて、風船の皆様は、旅立ちの日を迎えた。
ねずみも、ご一緒だった。
「………ちゅぅ~」
どうしよう――
風船のひもを握って、足元を見つめていた。
即座に、後悔した。
町並みはすでに小さく、巨大な建物である領主様の館ですら、判別できない。むしろ、町そのものが、絵本に描かれる小さな町だ。
背後では、ぴか、ぴか、ぴか――と、ねずみの心音を表すように、宝石が輝いていた。もしかすると、地上から見えるかもしれない。そんな心配が不要ではないのか、それほどに高い雲の領域へと、足を踏み込んでしまった。
孤独なる、大空の旅立ち。
そんな勇敢なねずみではない、小さな、小さなねずみさんなのだ。小さな宝石一つでも、ねずみの胴体ほどのサイズである。空の旅を共にしてくれる仲間がいるだけで、とても助かっている。
いや、ねずみと宝石だけではない。
「ちゅぅううう~」
壮観だなぁぁ~――
見渡すと、まだまだ元気な風船の皆さんが、ご一緒だ。その数は、学園のお子達全員ではないかと思うほど、たくさんだ。
まだ、旅立ちからさほど時間が経過していない。そのうち、空気が抜けて脱落する風船も出てくるかもしれないが、できれば、脱落なく到着したいものだ。
学校行事として、皆さん、ご一緒に風船を空へと旅立たせたのだ。お手紙が足元にくくりつけられている。希望を込めて、お返事と言う楽しみを心待ちに、気の早いお返事に思いをはせた、夢が託されたのだ。
準備をしていると楽しみで、そして、お返事が来るかもしれない季節は、新たに楽しみとなる。
空を飛べない限り、簡単に行き来できない場所なのだ。
獣人の国への、メッセージである。
人と近しい、しかし、人と異なる獣人と言う種族が住まう土地は、人間には少々、厳しいといわれている。
半ば、絵本にでてくる怪物の住まいのイメージだ。
もちろん、手紙のやり取りが出来るだけあって、国と言う形は、あまり変わらない。獣の耳と尻尾があるだけだ。
地平線から、見えてきた。
「ちゅぅ、ちゅううう、ちゅうう………」
ふ、遠くまで来たものだ――
ねずみは、目の前の山々が、すぐ、手が届きそうな場所と言う錯覚に陥っていた。
もちろん、錯覚である。それでも、直線距離を安定速度で移動する風船は、馬でパカラッ、パカラッ――と急ぐ旅路よりも、早く目的地に到着しそうだ。
足元がおぼつかない不安は、はるか彼方に見えてくる山々と、その先に待つ道の国への好奇心が覆い隠してくれる。
残る不安は、風船の寿命だ。
こればかりは、偶然の要素に頼るしかない。まさか、運が悪く嵐に見舞われれば、どれだけの風船が生き残れるだろうか。
または――
「ちゅぅ?」
黒い雲が、近づいてきた。
いいや、雲ひとつない快晴である。遠くには雨雲が見えるが、はるかに遠くの出来事で、しかも、足元の森から近づいてくるようで――
バサバサバサ――と、羽音が聞こえる気がした。
ねずみは、叫んだ。
「ちゅっ、ちゅううううっ」
あ、あいつらはっ――
宝石も、びかぁ~――と光って、警戒を表していた。しかし、むしろ黒い雲の興味を引いたかもしれない。
黒い雲は、叫んだ
カァアアアア――
カァアア、カァアアッ――
カァ、カァ、カァ、カァアアア――
「ちゅっ、ちゅうううううっ!」
カ、カラスだぁあああ――
宝石の輝きは、さらに激しくなる。これが警告として、カラスの群れが立ち去ってくれればいい。
しかし、野生の生き物は、縄張り意識がとても強いのだ。しかも、カラスという鳥は、とても頭がいいことで知られている。
光るものも、大好きだ。
さらに、好奇心が旺盛と言うことで――
カァアアアア、カアアアアア――
カァアア、カアアア、カアアアアアッ――
カァアアアア、カアアア、カァツ、カァツ――
風船の群れVSカラスの群れの激闘が、始まった。
「………ちゅううう」
終わった――
片足が絡まり、両手でしっかりと握ったロープは、さらに上にあるねずみの絵が描かれた風船とつながっている。
ねずみが、多少余計な重量であっても、手紙を隣国へ届けることを想定している。風船の浮力は、かなり強力だった。
あるいは、後ろの宝石が魔法の力を貸してくれているかもしれない。しかし、風船の飛行能力を強化しているに過ぎない。
では、風船が破裂したら?
「ちゅうううううっ!」
やめろおおおおお――
ねずみは、涙目だった。
背後にいた宝石も、なぜか、ねずみを隠れ蓑にするように、べったりとくっついていた。まさか、カラスに狙われているのが自分だと気付いたのだろうか。
なら、光ることを抑えて欲しい、背中越しでもはっきりと分かる。びかっ、びかっ――と、激しく明滅を繰り返していた。
あるいは、ねずみの背中に隠れて、威圧しているのかもしれない。やるのか、やるのか――と、チンピラの光景が目に浮かぶ。
ねずみは、肩越しに振り向いた。
「ちゅぅ~………」
あのぉ~――
まぶしい輝きの合間に、情けない自らの顔が映ってしまう。これは、宝石とねずみが一心同体と言うことを示しているのか。
ねずみは、何も言うことなく、改めて前を向く。
カァアアアアッ、カアアアアアッ、カアアアアアッ――
カァア、カァ、カアアア、カアアアアアッ――
カァアアアア、カアアア、カァツ、カァツ、カッ――
なにやら、大騒ぎだ。
ばさばさと、羽音だけで鼓膜が破れそうなほど、迫力がある。街中においては、朝のゴミ出しの時間を狙って、群れを成してこちらを見つめるヤツラだ。
5羽程度なら、ホウキを持ったおば様の突撃で蹴散らされる。すぐに戻ってくるため、意味がないと言うか、それでも、ヤツラは頭がいいのだ。
そう、頭がいいのだ。
「ちゅううううううっ!」
ねずみは、悲鳴を上げた。
なぜ、ねずみの風船だけが、無事だったのか。
なぜ、ねずみの周りの風船たちが、最初に犠牲になったのだろうか。先行していたいくつかは助かったようだが、ねずみの周りの風船たちは、かなり犠牲となっていた。
そう、ねずみの周りの風船が、狙われたのだ。
ねずみを守っていた風船たちは、奮闘むなしく落下中であり………
ねずみは、おびえて叫んだ。
「ちゅ、ちゅうう、ちゅうううう」
先ほどまでの騒ぎが、ウソのように静まり返っている。カラスの群れの羽ばたきだけで、ばさばさとうるさく、耳をふさぎたいほどだった。
今は、大きく翼を広げて、ねずみの風船を中心に円を描いて滑空していた。
黒い雲の中に、風船が一つの状態だ。
運良く、カラスの襲撃を逃れた風船の皆様は、そのまま風に乗って、遠くへと向かっていくだろう。
ねずみも、その仲間に加わりたいが、なぜか、自分だけ特別扱いだ。
と言うより、徐々に森に近づいている気がする。
「ちゅぅう………」
まさか――
これが、狙いか
見上げると、小さく、風船に亀裂があった。即座に落下と言う傷ではない、しかしながら、傷が広がっていくと、危険だ。
描かれていたねずみのイラストも、情けなさそうに、ガリガリにやせている。恐怖によってしぼんだように見えたのは、気のせいだろうか。
ねずみも、同じ表情に違いない。
カァアアアア~、カアアアアッ――
カァアア、カアアア、カアアアッ――
カァア、カッ、カッ、カアアア、カァツ、カァツ――
まるで、盗賊に囲まれた旅人の気分だ。無力なる旅人ねずみは、大笑いをする盗賊の群れに囲まれて、震えているのだ。
旅の仲間と共に――
「ちゅうっ!」
ねずみは、叫んだ。
とっさの思いつきで、ヒントは、哀れにしぼんでいく風船である。弱っているのなら、力を与えればいいのだ。
情けなくガリガリに痩せてしまったねずみのイラストが、徐々にふくよかさを復活させていく。
ねずみの後ろの宝石も、輝きを増していく。
「ちゅうううう、ちゅうっ――」
魔法使いを、なめるなっ!――
片手でしっかりとロープを握りながら、ねずみは大きく腕を広げていた。これは、勝利の宣言である。
宝石も、激しく輝いていた。




