ねずみと、お嬢様と、風船 2
ねずみは、いやな汗をかいていた。
「ちゅ、ちゅちゅううっ………」
二本足で立ち上がり、そろり、そろりと下がりだす。オーゼルお嬢様が、こちらを見つめていたのだ、あの顔は、よく見るお顔なのだ。
これは、オーゼルお嬢様の作戦だったのだ。
ならば――
ねずみの判断は、少し遅かったようだ。
はしごに登り、風船を取り戻す作戦が始まる。
自分の失敗は、自分で補うのも教育なのだろう。危険に気をつけるため、教師ははしごの監督だ。お子様達も、言いつけを守って、一人ずつ回収している。
誰が、どの風船を手にしているのか、見分けがついているらしい。
風船に、自分だけが分かる模様やお絵かきをしている。それが、風船が渡された、最初の課題だ。
次に手紙を書いて、膨らませて――
ねずみは、見た。
ねずみだった。
いや、風船に描かれた、ねずみの顔が、こちらを見ているた。子供のつたないお絵かきであっても、ねずみだと分かる特徴は、しっかりと捉えられている。毎日、ねずみさんと一緒にいるおかげかもしれない、誰がこのようにわかりやすく描けるのか。
お嬢様の瞳も、ねずみのいる天井に、ロックオンだ。
天井に手を伸ばして、小さく、声をかけてきた。
「ねずみさん、おいで、助け出してあげるから――」
ねずみは、迷った。
天井に向けられた声を、無視することも出来る。そして、そのまま逃げ出せばいいのだ。お嬢様には気の毒だが、気まぐれな動物のこと、あきらめてもらえばいい。
そんなこと、できるわけがなかった。
「………ちゅぅ」
ねずみは、お返事をした。
宝石さんも、ぴかぁ~――と、お返事をした。
「みんなからは見えないから、出ていらっしゃい」
ねずみは魔法で、天井の板を、少しずらした。
ねずみなら、これで十分なすきまだ。宝石の力を借りれば、たやすいこと。そして、軽く浮かんで、風船の上へと降り立つ。
お嬢様が驚いてしまわないように、ゆっくりとだ。
顔を出すと、狙い通りだと、満面の笑みがあった。
「ちゅぅ~」
念のため、浄化の魔法を使った。
天井裏は、ホコリでいっぱいだ。お嬢様の手を汚すわけには行かない、目立たない光であるため、問題ないだろう。
そのまま、お嬢様が差し出した手の上へと降り立った。
ここで、事故が起こる。
お嬢様にではない、ねずみに――である。慌てたために、ロープが足に絡まったのだ。
教師の声が、原因だ。
「大丈夫、下りてこれないの?」
オーゼルお嬢様ならば、すぐに風船を回収、戻ってくると思っていた。しかし遅いために、教師が心配になったのだ。
怖くなって、下りられなくなったのではないかと。
「ちょっと手が届かなくて――もう、捕まえましたわ」
お嬢様ぶって、お嬢様はお返事をした。
とっさであるために、風船の握り手が、大きく揺れてしまう。そして、ねずみもあわててしまう。
落ちては大変だと、風船の陰から出てはいけないと………
幸い、お嬢様が陰になり、クラスのみんなからは見えなかったようだ。風船のひもを、しっかりと握っているだけだと。
その手のひらの中で、ねずみが絡まっているとは思わない。
「それじゃぁ、公園まで移動します。今度こそ手を離しちゃダメですよぉ~」
教師の声に、お子様達は元気にお返事をした。
元気だけは、よいお返事である。しかし、今度は誰も風船を飛ばさず、お出かけの時間となった。
「………ちゅぅ?」
ねずみは、お嬢様の小さな手のひらの中から、そっと外を見つめた。
夏の太陽は、今日も腹立たしいほどに、輝いている。今日も、雲ひとつない青空が広がっていた。
気配から、相棒の宝石は、しっかりと透明モードになっていると分かる。それは安心していい事態ではあるが………
じっと、自らの足元を見た。
「………ちゅううぅ~――」
何かが、絡まっていた。
それは、風船の紐であった。お嬢様がねずみを助け出す際に、偶然、絡まってしまったのだろう。
ただ、小さなねずみには、ロープのように頑丈だ。
ほぐさなければと、狭い空間で、身をよじろうとするが――
「ねずみさん、しずかにね」
お嬢様が、小声で命令を下された。
今は、移動の途中である。そして、授業の真っ最中である、ねずみがいると知られれば、大騒ぎになってしまうのだ。
ねずみは、黙るしかなかった。
ねずみの運命は、こうして決まった。




