ねずみと、お嬢様と、風船 1
教室の天井を見つめて、オーゼルお嬢様は、ポツリとつぶやいた。
「………ねずみさん、心配してきてくれたの?」
学校の教室は、大騒ぎだ。
クラスメイトが魔法少女デビューをしたと、夏の暑さを忘れる騒ぎで、話題の中心のオーゼルお嬢様は、らしくなく戸惑っていた。
一人、落ち着いた状態だからこそ、気付いたのかもしれない。天井の輝きに、宝石の色に覚えがあったことも理由だ。
ねずみさんが、いるのか――と、つぶやいてしまったのだ。
この騒ぎである、オーゼルお嬢様の小さな声は、誰の耳にも届かないはずだ。みんなは、わいわい騒いでいる状況である。
しかし、遠慮なく顔を引っ付けてくるのが、お子様だ。
ツインテールちゃんが、気付いた。
好奇心が旺盛な子犬のような女の子である、パタパタと落ち着きのないお子様だ。まるで、犬の耳や尻尾があるのではないか、そんな印象のお子様だったが、耳は本当によいようだ。
「ねずみさん?」
つぶやきを、聞かれていた。
隣にいた、ヘイデリッヒちゃんと言うポニーテールちゃんの耳にも、届いてしまった。
「ねぇ、ねずみさんって?」
「え、ねずみ?」
「どこ、どこ、ねずみさん?」
「あれ、あれじゃない?」
「え、みえないよぉ~」
お子様達が、ヒートアップだ。どこだろうかと、ねずみさんを探せと、あちこちを見つめるお子様たち。
ねずみは、大慌てだ。
「ちゅ、ちゅぅうう、ちゅうううううぅ~」
なっ、なんてこったぁああああっ――と、頭を抱えて、のけぞった。
宝石もびかぁ~――と、力強く光って、感情の高ぶりを表していた。
これで、目立たないわけがない。
教室のお子様達は、はっきりと、なにかがいると目撃してしまった。ささやかな隙間であっても、宝石の輝きが、ちらりと、光ったのだ。
見逃すわけはない、好奇心が旺盛なお子様は、教室の中にどれほどいるだろうか。
今は、クラスメイトの、ほぼ全員だ。
「ねぇ、天井になんかいる、なんかいる」
「ねぇ、ねぇ、ねずみさんって、ねずみさんって?」
「「「ねぇ~、ねぇ~」」」
もう、止まらない。
このまま、ねずみはお子様達の前に引きずりだされてしまうのか。大人たちが気遣って放置してくれたが、ねずみ生活は、終わってしまうのか。
この騒ぎは、果たして――
がらがらがら――と、教室の扉を開けて、騒ぎの終了の合図が現れた。
「はぁ~い、みなさん、授業の時間ですよぉ~」
先生の、登場だ。
ねずみは、助かったと思っていた。しかし、お子様達の目線は、とりあえず席に戻りつつも、天井に集中だ。
先生は、なにか見つけたと思うだろうが、子供の興味はいくらでも変化する。それこそ、ねずみがいたというだけで、大騒ぎだ。
新たな興味を、箱に一杯に持ってきていた。
すでに、何割かのお子様の興味は、箱に向かっていた。
「それでは、今日の授業はお手紙です。みんなぁ~、遠くのお友達へのメッセージ、ちゃんと決めてきましたかぁ~?」
何かを、机に置いた。
そして、取り出すしぐさから、子供達に配るもののようだ。ねずみのいる天井からは、残念ながら見えなかった。
いや、順に配られてきて、正体が分かった。
風船だった。
「これから、この風船を膨らませて、遠くのお友達にお手紙を届けましょう」
学校の行事のようだ。
手紙をくくりつけて、偶然、発見されることを楽しみにする。風の流れを把握しやすい季節につき物だ。
相手からの返礼は、風が変わる季節である。
「お手紙をくくりつけた風船は、みんな一緒に飛ばしますからね。かってに飛ばしちゃ、だめですよぉ~」
先生の言葉に、お子様達は元気にお返事をする。
ほほえましい光景だと、ねずみは、目を細めて見つめていた。ほほえましく、懐かしく、とても遠い記憶に思えた。
少し気が早いのではないか、ねずみとなる前は、まだ少年と言う年齢であった。それでも、目の前のお子様達のように無邪気だったのは、ずいぶんと昔のことなのだ。
そして、チャンスだった。
「ちゅちゅう、ちゅう」
後ろの宝石に向けて、ねずみは鳴いた。
子供達の注目は今、風船にある。ここは天井裏なのだ、壁をはがすような事故が起こらない限り、見つかるはずがない。
宝石の光が漏れていても、わざわざ探すことはないはずだ。
今の間に、逃げ出そうと………
「あっ――」
誰かが、声を上げた。
そして、謎の球体が、自由を得た。
楽しみを込めて、すでに風船は膨らませていたのだろう。そして、風船のひもを片手にお手紙を書いていたところ、逃げられたのだ。
子供の手である、しっかりと握っていても、他に注意が向けば、手放しても仕方ない。そして、天井に向けて、一直線だ。
面白そうだと、仲間達があとに続くのは、当然だ。次々に膨らんでは、天井への冒険に旅立つのだ。
止めるようにとの教師の声が、届くはずもない。
子供なのだ。
普段の光景から大きく変わり、天井では、風船の群れが騒いでいる。それはそれは、面白い光景だろう。先生のお怒りが待っているなどと、思いもしない。
お外に出てから手を離すより、マシだろうか。
今の間に―――と、ねずみがふと、下を見たときだった。
こちらを見て、オーゼルお嬢様が微笑んでいた。どこかで見る、お姉さまそっくりの、なにかを企んでいる笑みであった。
「ちゅちゅちゅ、ちゅぅ~っ!」
いやな予感しか、しなかった。
そういえば、最初に手を離したのは誰だろう。わざとらしく、声を上げて風船を飛ばしてしまった、そのお声は、誰のものだったのだろう。
オーゼルお嬢様は、微笑んでいた。




