ワニさんと、ドラゴン姉さん
森を進むと、唐突に草原が広がっていた。
それなりの広さの小川は、さらさらと涼しさを運んでくれる。何かが飛び跳ねた気配もあり、川の幸も豊富かもしれない。
真夏でも森の風は、草原に涼しさを運び、丸太小屋を建てるには最適な環境のようだ。
ドラゴン姉さんも、満足そうだ。
「みんな、おかえりぃ~………見ない子もいるね――お客様?」
赤毛のロングヘアーが、風にそよいでいた。
草原には、巨大なドラゴンの翼が影を落とし、丸太小屋メンバーも、すでにその影の下にいた。
ねずみは、おびえていた。
「ちゅちゅ、ちゅちゅっちゅ、ちゅちゅちゅううっ、ちゅうっ!」
「く、くまぁ、くまぁ」
「待って欲しいワン、このねずみは、ただのねずみじゃ――」
「おねえちゃぁ~ん、ほら、ワニさんっ」
「フレーデルは、ちょっと静かにね?」
カオスだった。
ねずみは、なにやら必死に訴えていたが、ねずみの鳴き声にしか聞こえないのだ。しかし、その中身がネズリーだと知った丸太小屋メンバーは、必死だ。
ドラゴン姉さんが、お出迎えなのだ。
なぜ、ドラゴンの翼に尻尾を生じさせているのか、分からない。しかし、警戒している、ドラゴンの力を放とうとしている、そんな状態にしか見えない。
ねずみが慌てた理由であり、丸太小屋メンバーが、焦った理由だ。
執事さんは、冷静だった。
「ベランナお嬢様、ただいま戻りました」
「………レーバス、この状況で、そのセリフ?」
メイドさんも、冷静だった。
パニックの度合いに、大きな差がある。だが、すぐにパニックが復活するだろう。木々のへし折れる音が、なにか巨大なものを引きずる音が、近づいてきた。
巨大なワニさんが、すぐ後ろだ。ベランナ姉さんは、上空からすでに、その影をとらえたようだ。
「へぇ~、なかなか――」
巨大なドラゴンの翼が、大きな影を作っていた。
10メートルを超えようというワニさんに匹敵する、巨大な尻尾も伸びている。それは、力の一端である。ドラゴンの姿を、少しだけ現していた。
何かを感じ取ったのだろう、楽しそうにお待ちかねであったのだ。
ミイラ様も、おいでだった。
「やれやれ、あわただしいご帰還だなぁ~」
杖をついて、気付けば丸太小屋メンバーの目の前にいた。
巨大な翼のお出迎えで、気付けなかっただけだ。さすがは、ドラゴンである、ミイラ様の接近に気付けないほど、驚かせたのだから。
そう、丸太小屋メンバーなら、真っ先に反応していい、恐怖の体現者なのだ。シワシワと深いシワのお顔は、どこに瞳があるのか、分からない。
しかし、わかる。
にっこりと笑みを浮かべ、シワを深くしたことで分かる。とても悪い予感なのだ。
「ネズリー………だな?」
ねずみは、凍った。
恐怖に震えることすら出来ず、凍りついていた。逃げ出したいが、体が動いてくれないのだ。
いいや、動くことができた。がさばさ、ばきん―—と、大木をへし折って、ワニさんの登場だ。
丸太小屋メンバーは、悲鳴を上げた。
「ちゅ、ちゅううううう」
「あ、ワニさんだぁ~」
「フレーデル、いい子にしてて、お願いだから」
「く、くまぁあああああ」
「わぉおおおおおん、だ、ワン」
10メートルを超える巨体である、森の木々にさえぎられると思ったが、木々を簡単にへし折ってまで、追いかけてきたのだ。
狙うのはねずみか、宝石か――
「大奥様、ワニ様のおいででございます」
「………レーバス、ボクの知ってるキミは、どこへ行ったんだろうね――」
執事さんは、丁寧に腰を曲げて、お客様の到着を告げていた。
背の高いスレンダーメイドさんは、遠い目をしていた。並みの相手ならば、余裕で翻弄する執事さんとメイドさんである。
人ですらなく、むしろモンスターと言うべきワニさんなのだ。現実を忘れてしまっても、仕方ないかもしれない。
ミイラ様は、のんびりしていた。
「おぉ~――都市伝説は、本当だったんだなぁ」
「へぇ~、人間の国にも、こんなのいるんだ」
ベランナ姉さんは、ワクワクとしていた。どこかで見た、雛鳥ドラゴンちゃんとそっくりな瞳である。
スケールが、違っていた。
10メートルサイズのワニさんを前にして、好奇心が旺盛な子犬のように、パタパタと、風を巻き起こす災害だ。
遊んでいいの――と、お出迎えモードのドラゴン姉さんは、災害だ。
突如として、ねずみは叫んだ。
「ちゅ、ちゅちゅちゅちゅ、ちゅちゅうちゅう?」
「………どうしたの、ねずみさん――あれ?」
「フレーデル、ねずみさんはいいから――あれ?」
「く、くまぁ~――」
「あの輝きは、あの夜の女の子だワン」
光るカーペットが、現れた。
しかも、10歳ほどの小さな女の子を載せていた。
この光景はどこかで見たことがある、ワニさんに追いかけられ、廃墟となった野外劇場に逃げ込んだ夜の出来事だ。
お嬢様が、宣言した。
「あぁあああ、見つけたぁあ」
頭上の宝石は、うれしそうだった。
ねずみは、大慌てだ。ワニさんという危険な存在の前に、またもやお嬢様が現れたのだ。
まだ太陽のある時間帯では、隠し立ては出来ないだろう。夢として、夢ですよ~、夢なんですよぉ~――と、催眠術をかけるように、枕元でお祈りをしていたねずみである。
今はそれどころではない、ワニさんが目の前なのだが………
「――ちゅう?」
「く、くま?」
「どうしたんだワン?」
「あぁ~、ワニさん、いっちゃうぅ~」
「フレーデル、おとなしくしてて」
丸太小屋メンバーが覚悟を決めていると、なんと、そのまま小川を泳いで、通り過ぎて行ったのだ。
ドラゴン姉さんの影におびえたのだろうか、とりあえず、見送っていた。
「またねぇ~、ワニさぁ~ん」
「もう、戻ってこないでねぇ~………」
「くま、くまぁ、くま」
「そうだワン、故郷へ帰っていくんだワン」
ドラゴン姉さんの翼と尻尾に驚いていたのか、小川から、故郷のニオイを感じ取ったのかは、分からない。
素直に小川に身をひたして、すいすい~――と、泳いでいった。おそらくは、そのまま川の流れにしたがって、はるか遠くの湿地帯を目指すのだろう。
ワニさんの、旅立ちだ。
「なぁ~んだ、通りかかっただけか」
「まぁ、こんなこともあるわな」
ベランナ姉さんは、やる気をすでに失っていた。翼も尻尾も消え去り、赤毛のロングヘアーが、夏の草原にそよいでいるだけだ。
隣のミイラ様は、安心したようで、少し期待はずれという、微妙なお答えだ。
態度を変えていないのは、執事さんくらいだろう。
「お達者で、ワニ様」
「ははは~、元気でねぇ~」
礼儀正しくお辞儀をして、ワニさんの後姿を、見送っていた。メイドさんは、もはや現実を忘れたい雰囲気だ。乾いた笑みで、手を振っていた。
パニックから一転、草原はお見送りの会場になっていた。
そんな中、ねずみは懸命に説得を試みていた。
「ちゅぅ~、ちゅうう」
「そうなの、ワニさんのお見送りだったの~」
お嬢様と、お話をしていた。
クマさんや駄犬に、ドラゴンの翼や尻尾を生やしたお姉さんもいるのだ。そのほかにも色々いたが、10歳のお嬢様の質問は、一つだけだった。
「お友達の、お見送り?」
「ちゅぅ~、ちゅぅ、ちゅぅ」
「そうなんだ、みんなと一緒にあそんでたのね」
「ちゅぅぅ~………」
見事に、会話が成立していた。
見守るアニマル軍団も、感心していた。
「すごいわね、あの子。ネズリーとお話してる」
「う~ん?」
「く、くまぁ、くまぁ~」
「やさしく、見守るんだワン」
ねずみは、必死に手を振って、お嬢様とコミュニケーションを取っていた。
なにやら、おまじないのような、催眠術をかけようとしているように見えるが、だれもツッコミを入れなかった。
「ちゅぅ~、ちゅぅうう~、ちゅう」
「うん、ちゃんと黙ってるから、ナイショだもんね?」
ねずみの身振りで、よく通じるものだ。オーゼルお嬢様は、ねずみさんとの秘密を守ると、約束してくれていた。
足元の、カーペットのように集まった宝石さんたちも、ピカピカとにぎやかだ。このままお帰りになったら、さぞ、目立つことだろう。
お嬢様は、やさしく手を差し出してくれた。
「じゃぁ、帰ろっか」
「ちゅぅ~………」
ねずみは、よたよたと、お嬢様のご命令に従った。
途中で立ち止まると、仲間達に振り向いて、鳴いた。
「ちゅぅ~、ちゅう、ちゅう………」
「はい、みんな、遊んでくれてありがとうっ」
お嬢様は、お姉さんぶっていた。
あるいは、保護者の気分であろうか、アニマル軍団に向けて、礼儀正しくご挨拶をしていた。
さすがは、騎士様のお屋敷のお嬢様である。つたないながら、礼儀が身についておいでだった。
ねずみは、手を振った。
「ちゅぅ~――」
「ばいばぁ~いっ――」
ねずみと魔法少女?の声は、青空へと消えていった。
アニマル軍団は仲良く手を振って、見送っていた。




