ワニさん、森を行く
震える声で、ねずみは鳴いた、
「ちゅぅ、ちゅちゅちゅ、ちゅちゅうううう………」
振り向けなかった。
すでに、5歳児モードのフレーデルちゃんが、宣言していたではないか。『やっほぉ~、ワ~ニさんっ』――と、うれしそうに手を降っていた。
ドラゴンの尻尾も、元気にパタパタさせていた。
メンバー達は、涙目だ。
「ふふふふふ、フレーデル、あんた、やっぱりワニさんと遊びたかったのね」
「く、くくくくくくく、くまぁ、くまぁあああああっ」
「やっぱりだ、ワン」
宝石の輝きと下水と言えば、忘れていた。
全員、走った。
「ちゅっ、ちゅぅうううううっ」
「く、くまぁあああああああっ」
「ま、まただワンっ」
「ちょっとぉおおお、ネズリーぃいいいいいっ」
「わぁ~い、ワニさんだぁ~」
クマさんの背中の上で、お子様は一人、のんきなものだ。
残りのメンバーは、草原に向けて、ダッシュをかました。そう、草原までは5メートルもない、下水の出口での再会であった。
草原までは、すぐである。
ならば、下水という地下迷宮が縄張りのモンスターであるワニさんとは、ここでお別れのはずだ。もちろん、寂しいと思う気持ちもないし、出口からしばらくは、追撃をされる恐れもあるのだ。全員、全力疾走だ。
メイドさんと、執事さんもご一緒だ。
「ははは、お約束だよね」
「ははは、ドラゴンめ」
どこか、壊れていた。
さすがは、丸太小屋メンバーとご一緒するメイドさんと、執事さんだ。逃げ足の速さも、状況の一体感も、すばらしいものがある。
この中では、最も小さなねずみが不利であるが――
「ちゅぅ~、ちゅううう~」
お先にぃ~――
先頭を、走っていた。
ねずみの頭上の宝石は、神々しく輝いていた。
普段は、透明モードになるようにお願いするネズリーである。しかし、仲間達に自分の正体を明かすため、隠れなくてよいと告げていたのだ。
久々の活躍に、嬉しそうであった。
メイドさんは、びっくりだ。
「ちょ、ねずみって、あんなに足はやかった?」
「ははははは――ねずみは、すばやいのだ。メイド生活で、わすれたか?」
執事さんは、何でもご存知だ。
さぞ、ねずみに悩まされたに違いない。しかし、許容しているとは、なんとも懐の深い執事さんであろうか。
ワニさんが後ろに控えていれば、当然なのだ。
「ちゅう、ちゅうううう?」
つ、ついてくるだと?――
後ろを振り向くまでもなく、どしん、ずざざ――と、ワニさんの追跡の振動は、とても派手なのだ。
「ちょ、ネズリーっ、なんで連れてくるのよぉおおおっ」
「わぁぁあああい、追いかけっこ、追いかけっこぉ~♪」
「く、くまぁ、くまぁああああっ」
「お、おちる、フレーデルが落ちそうだワンっ」
フレーデルちゃんは、ご機嫌だ。
みんなが必死に逃走している中、ワニさんに向かって、元気よく手を振っていた。
まぁ、おびえてクマさんの首にしがみつくようなお子ではない。フレーデルなのだから、その気になれば、巨大な炎を生み出して解決なのだ。
まるで、ドラゴンのように………
「ちゅ、ちゅちゅう」
そ、そういえば――
思い当たることが、頭上の宝石である。
正体は、ドラゴンの宝石であろう。暗い下水の、広大なる空間にきらめく宝石だ。ワラワラと、100を超える団体さんでなくとも、目立ってしまう。
ワニさんの大きな瞳は、見逃すだろうか。
原因が、判明した瞬間だった。
「ちょ、ネズリーっ、なに言ってるのか、分かんないわよ」
「ん~、宝石さんを見てるみたいだけどぉ~」
「く、くまぁ、くまぁああ」
「だ、だから、落ちそうだワン。ちゃんとつかまるんだワン」
温度差はあった。
横では、メイドさんと執事さんが、仲良くうなだれていた。逃げながらだというのに、なかなかに器用なものだ。
「ね、ねぇ、なんで追いかけてくるのかな。下水のワニって都市伝説でしょ?」
「はははは、ドラゴンめ、どこまでも、ははははっは」
都市伝説の領域を超えて、森へと向かって一直線だ。
まぁ、下水で生まれた都市伝説であっても、どこからやってきたのかという答えは、目の前の小川である。
小さな小船なら行き交えるせせらぎは、清潔な水を町へと提供してくれる。そして、時々予想外も届けてくれる、ワニさんもこの小川を通って、下水という新天地を見つけたのだろう。
木々を押し倒して、ワニさんは走っていた。
ねずみが先頭で、頭上の輝きが、ワニさんを導いているのか。それとも、これを機会に、故郷の湿地帯へと、出発するのか………
「ネズリー、そっち、ヤバイよ。うち、うちがあるの」
「ねぇ~、おなか減った、おヤツまだぁ~」
「く、くまぁ?くま、くまぁ~」
「そ、それどころじゃないワン」
目の前に、丸太小屋が見えてきた。
無意識とは恐ろしいものだ、ねずみは、頭上の宝石さんを目指して、ひたすら足を動かしていた。
宝石が導いているのか、ねずみが動こうとする方向に、宝石がいるのか、それはわからない。意思の疎通が出来るようで、出来ていないのだ。
ねずみは、あわてた。
「ちゅぅ、ちゅううう、ちゅうぅ?」
ま、まさか、住んでるのか?――
借家は様々に、プライベートはバラバラだった仲間たちである。仲間といっても、しっかりと一線を引いていたのだ。
仲良く、丸太小屋にお引越しをしていたようだ。
そう思ったところで、ねずみは理解した。とてつもないピンチが、迫っているのではないか。動物に意識を移す魔法である、眠ったままの本体が大変なことになったら、大変ではないのか。
アニマルモードの仲間たちは、後ろにいる。
では、本体は、どこにいるのか。
「ネズリー、まって、みんながそこに」
「ん?………みんなここだよ?」
「く、くまぁ、くま、くまっ」
「そ、そうじゃないワン。眠ったまま――」
振動が、近づいてきた。
ワニさんは、ジャマになれば木々すらへし折って進んでいるのだ。10メートルを越える巨大モンスターであれば、不可能なことはないのだ。
モンスターが、現れた。
「ちゅっ、ちゅうううううううう?」
「ど、ドラゴン?」
「あ、おねえちゃん」
「くま………」
「終わった………ワン?」
ドラゴンの翼が、草原を覆っていた。




