ねずみと、メッセージの返事
薄暗い空間を、ねずみは走る。
四速歩行であるため、泥が跳ねれば顔に当たる。できれば、顔にはついて欲しくないものだが、仕方ない。
水浴びの誘惑もあるが、炎天下の地上を走っていれば、さらにその誘惑は強いだろう。下水は地面の下にある。夏の太陽に照らされる石畳に比べれば、天国だ。
そんなことを思いながら、ねずみを顔を出した。
「ちゅぅ、ちゅううぅ~」
日差しが、まぶしいぜ――
ねずみは、太陽を睨んだ。
涼しい下水から顔を出すと、太陽を恨めしく思う季節になってきた。
冬は暖かく、夏は涼しいというダンジョン――ではなく、下水の移動は、魔法による洗浄ができなければ、やっていられない。
魔法の輝きが、ねずみを覆いつくした。
「ちゅぅ~」
ふぅ~――
リラックスをした、心地よさそうな鳴き声だった。
後ろ足で立ち上がると、ねずみは前足で胸元を払う。すでに魔法で清潔になったのだが、これは気分と言うか、癖である。
清潔には気を使う、紳士なねずみなのだ。
ネズリー少年が眠り続けるお部屋は、はるか頭上にある。仲間の一人であるレーゲルお姉さんが、たまに訪れているはずだ。
目的地はもうすぐだと、再び駆け出した。
そして――
「ちゅうう、ちゅうううぅ………」
まだ、返事はないか………――
ねずみはネズリー少年の腹の上によじ登り、メッセージを見つめていた。手に握られているメモ用紙には、何も記されていなかった。
自分が書いたメッセージが、そのままだ。
ネズリーは、ねずみとして生きている。
ドラゴンの宝石を発見、共にいる。
そして、返事を書くようにと記したのだが………
「ちゅぅううぅ~」
そうだったぁ~――
ねずみは、失態を自覚した。
返事が仲間からのものなのか、確かめる術がないのだ。
ニセモノの返事におびき出され、宝石を奪われる恐れを、考えていなかった。ねずみは仲間の筆跡を覚えているわけではない。
その気になれば、誰もが入ることの出来る部屋なのだ。
ねずみの残したメッセージも、誰もが読むことが出来る。もっとも、ねずみになった。ドラゴンの宝石と共にいるというメッセージを本気にするとも思えないが………
ねずみは、頭上の相棒を見つめる。
「ちゅう、ちゅうう?」
なぁ、どう思う?――
頭上の宝石は、ピカピカと輝いて、のんきなものだ。
ここは、数少ない、自由に光り輝くことが出来るお部屋である。ねずみの言葉が届いているのか、怪しいものだ。
ふわふわと、部屋の中を飛び回り始めた。
ねずみは、ネズリー少年の上に座り込む。
「ちゅううぅ………」
どうしよう――
最大の失態は、正体の暴露である。
正義の味方は、正体を知られてはいけないのだ。
自分の身を守るためにも、関係者を守るためにも役に立つ。それは、名探偵の捜査活動にも、大変に有利なのだ。
ねずみになっている。
この秘密を、強みを、自ら捨ててしまったのだ。
言葉通りに、ねずみ一匹逃してはくれない包囲網が敷かれてしまう。ただの人間には不可能な色々は、魔法と言う力があれば、可能なのだ。
魔力を持つねずみを探そうと思えば、いくらでも………
気配に、ねずみは顔を上げた。
「………ちゅう?」
ねずみは、腕を組んだまま、ロングヘアーなお姉さんを見つめていた。背の高い、スレンダーなお姉さんだ。
そして、メイドさんだった。
「………ねずみ?」
メイドさんが、見ていた。
ねずみが部屋に現れた。メイドさんとしては、掃除用具を手に追い掛け回すか、悲鳴を上げるかのどちらであろう。
ねずみの経験上、ナイフが飛んできても不思議に思わない。
窓から現れたメイドさんは、目線を上げた。
「………宝石?」
宝石を、見つめていた。
うれしそうにピカピカと赤く輝き、部屋の中を自由に飛び回っていた。
ねずみの相棒であり、ここは自由にしていいお部屋であるための、自由なる空中のお散歩であった。
ねずみは、鳴いた。
「ちゅちゅちゅ、ちゅううう、ちゅちゅちゅうう。ちゅううちゅううっ………」
ままま、待ってください、誤解なんです。宝石が飛ぶなんてこと………――
ねずみは両手を大きく挙げて、ぶんぶんと振り回した。
待ってくれ、誤解だと、あなたの見間違いだと――
この行動が、メイドさんにどのような印象を与えるのか、ねずみには考える余裕はなかった。とっさのことであり、焦った頭では、ろくなことを考えないものだ。
メイドさんは、ねずみを見ていた。
「………ねずみさん?」
恐る恐ると、つぶやいた。
少年のような声で、ねずみに向けて、問いかけた。
ねずみは、お返事をした。
「ちゅう、ちゅちゅう。ちゅちゅちゅうう、ちゅうう」
そう、そうです。どこにでもいる、ねずみなんですっ――
両手をぶんぶんと振り回し、手の前で腕を合わせて、命乞いをしていた。
相棒の宝石も、いつの間にかねずみの隣で光っていた。ねずみの命乞いに合わせるように、弱々しくピカピカと点滅した。
強烈な光で威嚇するよりはずっと良いのだろうが………
メイドさんは、手のひらで、顔を覆っていた。
「なるほど、あんたがネズリーだね?」
ため息をついていた。
ねずみは、息が止まりそうだった。相棒の宝石さんも、ドキッ――と、大きく輝いた。本当に、ねずみの気持ちを表してくれる相棒である。
言い逃れなど、できるわけがなかった。
「いや、勝手に部屋に入ったことは謝るけどさ………とにかく、だれでもメッセージを読むことが出来るから、返事については、ちょっと考えようよ」
いいメイドさんのようだ。
ねずみは、希望を込めた瞳で見上げた。
宝石も、ぴかっと、うれしそうに輝いた。そして、主を変えたかのように、メイドさんの周りをうれしそうに飛び回った。
尻尾を振りながら駆け回る、駄犬のようだ。
ねずみも、ゴマをすっていた。
「ちゅううぅ~、ちゅちゅう、ちゅう~」
いやぁ~、美しいメイドさん、さすがですねぇ~――
お辞儀をして、メイドさんに敬意を表していた。
紳士を真似て、お辞儀をしたのだ。
どこのねずみが、紳士のようなお辞儀が出来るというのか、片手を前に、片手を後ろにして、瞳を閉じて、お辞儀をしていた。
メイドさんは、あきれたままだ。
「ねずみが、そんな人間の動きが出来るわけが――とにかく、ボク以外に見た人間がいないとも限らない。だから――」
自分達にしか分からない合図や、宝石の受け渡しをする秘密の場所を考えるべきだ。ねずみが、それが分かれば苦労をしないという指摘であった。
秘密の暗号など、持ち合わせていない、気楽な学生気分の、修行中の魔法使いである。国からわずかな補助をもらい、貧しい住まいに日々を送る………
ねずみは、思いついた。
「ちゅうう、ちゅうううう………」
そうだ、この姿で………――
ねずみの姿で、仲間たちと再会していた。
マヌケな連中を思い出したのだ。アニマル軍団となっていた、ねずみの仲間達である。
なぜか、分かったのだ。
クマさんに、駄犬に、そしてドラゴンの尻尾を生やしたフレーデルちゃんに、ただ一人、人間のままのレーゲルお姉さんだ。
ワニさんとの追いかけっこの後、かろうじて逃げ延びて………
「なにか、思いついたようだね」
メイドさんは、静かにねずみを見下ろしていた。
ねずみは、ふっ――と、笑った。
その通りです――と、格好を付けていたのだ。
宝石も、うれしそうに光っていた。




