ねずみと、アーレックと、騎士様のご家族
スタスタと、ねずみは光へ向かって歩く。
ここは壁の裏、ホコリにまみれ、もしかして、我が隣人Gと挨拶を交わすかもしれない、人の住まいにあって、人の領域ではない場所である。
ふと、木漏れ日が、まぶたを差した。
もう、夏も本格的になってきた。それでも、暑さと無縁であるのは、風通しもよく、そして地面に近いための、冷たい風のおかげだろう。
ねずみは、入り口に差し掛かる。
「ちゅぅ~………」
ぬんっ――
魔力を少し集中する。
本来は、長い呪文と集中によって達成される儀式であるが、ねずみは、ほんの少しの集中ですむ。ちょっとした、掛け声感覚だ。
うっすらと、ねずみの体が光る
頭上の宝石さんも、うっすらと光る。タイミングは、ばっちりだ。
「ちゅぅ~………」
ふぅ~………
ぱさぱさと、ねずみはハラを叩く。
四足歩行のねずみでは、ホコリやクモの巣がつくものである。魔法のおかげで、石鹸で洗ったあとよりも、清潔だ。
魔法は、すごいのだ。
この清潔さは、ご家族にも伝わっている。主のご一家と、テーブルの上で食事を取ることが許されるほどだ。
忙しい朝の時間など、別々に食事を取ることも多い。それでも、顔を見れば、朝のご挨拶をする間柄だ。
ねずみは、鳴いた。
「ちゅぅうう~」
ごきげんよう――
光あふれる世界へと、顔を出した。
四足歩行ではない、紳士として背筋を伸ばし、堂々と姿を現した。かつて、ここは机が放り投げられ、ねずみの通り道となった。
出会いの、名残りだ。
ねずみVS淑女達
あぁ、思い出しただけで、恐怖で体が震える。女性の怒りを買ったならば、どうなるか。恐怖のシーンは、昨日のように思い出されて、ふるえが止まらないのだ。
今では改築されている。 まるで、ドールハウスの入り口のような、屋根つき玄関だ。
三角形の屋根があり、小さな柱と、少しの階段がある。騎士様のお屋敷の入り口と、同じようなつくりだ。
玄関から足を踏み出すと、巨人の国に迷い込んだ気分だ。
入り口のサイズからして、そう感じてしまって、面白い。あるいは、ドラゴンの神殿に足を踏み入れた、人間であろうか。
ねずみは、鳴いた。
「ちゅう、ちゅう、ちゅううぅ」
やぁ、やぁ、おはようございます――
姿を現し、屋根の下から、周りを見渡す。偶然、料理をおいてくれる場面であれば、向こうも挨拶を交わしてくれる。
紳士たるもの、挨拶はするべきなのだ。
だれもいないと分かっていても、お屋敷にご厄介になっている身の上では、礼を失してはならない。
ねずみは、紳士なのだ。
気取って、鳴いた。
「ちゅうぅ、ちゅうう」
やれやれ、忙しいようだ――
優雅に、腰掛けた。
目の前には、お庭で開かれるガーデン・パーティーのようなセットがあった。
印象としてはそれで、小皿に料理が盛られている。ご家族のために作った料理の、あまりものだ。
かつては分量を考えず、山積みだった。今は、ねずみサイズの小さな小皿の上に、程よい分量だ。
「ちゅうう、ちゅうう、ちゅううう――」
これはこれは、朝から豪勢だな――
テーブルセットが、見事だった。
ねずみサイズと言うか、机の上には、しっかりとテーブルクロスまである。 いや、ねずみサイズと言うには、それでもやや大きいが………
この入り口と同じく、ドールハウスのセットであった。
女の子が二人いるのだ。オモチャとして、ドールハウスや、追加のティーセットなども、買い与えているようだ。
ねずみのために、ドールハウス専用の食器一式を購入したのかもしれない。あるいは、すでにお持ちのセットから分け与えてくれたのかもしれない。
紳士を気取って、鳴いた。
「ちゅう、ちゅううう」
では、いただこう――
ねずみは、優雅なしぐさで、ティーカップを持ち上げる。
小さな器である、すっかりと冷えてしまっているが、問題ない。すでに湯気が立ち上っている、後ろの宝石の人も、満足げだ。
瞬時に、熱を発生させ、飲み頃の温度にしたのだ。この光景を誰かが、特に大人たちが目にしていれば、驚いたに違いない。
いや、それとも、小さな湯気では、気付かないだろうか。ねずみは得意げに、あたたかな紅茶を口にする。
メニューは、野菜のスープに、パンに、スクランブル・エッグだ。
優雅なる、朝のひと時、本日の予定をおさらいしつつ、少しあわただしい足音を背景に、スープの味を楽しむ。
トーストは、カリカリとした歯ざわりが楽しく、バターの風味が、心をくすぐる。
ねずみは、お屋敷の人々が、朝のお出かけの準備に忙しい時間帯、のんびりとした朝食を取っていた。
今くらい、いいではないか。
ねずみは、少しの申し訳なさと、優雅な時間を過ごしている、優越感を同時に味わう。これから、大変なのだ。
ドラゴンの宝石が、悩みだ。
いや、ネズリー・チューターと言う魔法使いの少年も、気がかりだ。
生前の己である。そう思っていたからこそ、ねずみはのんびりと構えていた。ねずみ生活を満喫する、それは、開き直ったからこその決断だった。
実は、眠り続けているだけ、ねずみの夢を見ているだけであれば………
人間に、戻るべきなのか。
いや、そうだろう。意識を動物に移して、そのことを忘れたという大失敗は、それは失敗の経験として生かされる。危険性があれば、次の予防措置につながる。
口直しに、紅茶を一口すすって、ねずみは天井を見上げる。
「ちゅうう、ちゅうう」
おい、どうした?――
天井の代わりに、赤い宝石の姿がある。
相棒の宝石は、お屋敷のご家族と出会う――というか、天井裏や下水を移動する以外では、姿を隠してもらっている。ねずみが願わなくとも、最近では姿を隠してくれるのだ。
珍しく、姿を現していた。
ねずみが気を許して、優雅に食事をしている。そのために、安全だと判断したのかもしれない。ねずみの精神を反映しているのなら、ねずみの油断である。判断する材料はなく、ねずみにとっては、力を貸してくれる、頼もしい相棒なのだ。
たまに、やらかすだけだ。
そういえば、盗賊らしき四人組みとの対決でも、堂々と輝いていた。 目立つように、わざと、アーレックたちの目に触れるように………
巨大な足が、気付けば目の前だ。
「我が友よ、優雅な朝の時間を邪魔して悪いが………」
見上げる巨体が、目の前にあった。
190センチに届こうという背の高さは、頼りがいのある、筋肉のオマケつきだ。癖のある金髪は短く、天に向かってうごめいている。
雷神と言う印象が、もっとも強い。
チキンな野郎だと思ったこともあるが、それは、ねずみが苦手で、恋人のベーゼルお嬢様に頭が上がらず、恋人様の父親を恐れている姿を見たおかげだ。
公僕として、騎士としてのアーレックは、立派な若者なのだ。
ねずみとともに、いくつか事件を解決した。カーネナイ事件に始まり、黒幕であるガーネックを捕縛するためには、共同で戦った。
ドラゴン宝石を盗んだだろう、四人組との対決だ。
そう、その対決の最中、赤い宝石の輝きで――
「ところで、その宝石………」
ゆっくりと、巨体が指をさした。
ねずみは、ちょうど食事を終わり、優雅な、食後のお茶を楽しんでいたのだ。魔法によって、いつでも程よい温度である。
野生のねずみであれば、このような優雅な食事マナーを知るわけは無い。むしろ、熱いお茶は、苦手とするだろう。
ティーカップを静かに置くと、ねずみは手を足元で組んで、アーレックを見上げた。
「ちゅう、ちゅううう?」
それで、なにか用かね?――
紳士を、気取っていた。
優雅なる朝食を終えた、名残りである。
いつもは、無害なるねずみを演じることもあるというのに、どう見ても、紳士を気取る、ねずみである。
ねずみでは、ありえない。
それは、すでにアーレックは認識していたものの………
「いや、考えすぎだ、オレは何も見ていない」
アーレックは、今度は手のひらを目の前へとかざして、なにも見なかったアピールをしていた。
ねずみとしても、それは都合がいい。ネズリー少年へ戻るべきなのか、そして、ドラゴンの宝石の大群をどうするべきなのか。
考えることが、とても大きい。その上、アーレックに正体がばれるという事態は、避けたいのだ。
今までの生活が、消える恐れが、あるのだ。
ドラゴンの宝石と、自らの将来に悩む今、これ以上の問題は許してもらいたい。
アーレックの対応に、感謝である。
「ちゅう、ちゅうう」
まぁ、いいさ――
足元で手を組んだまま、ねずみは、優雅に鳴いた。
「ちゅうう、ちゅう、ちゅうううう?」
話は、他にあるのだろう?――
静かにアーレックを見上げたまま、ねずみは、やさしく続きを促した。いったいどこで覚えたのだろうか、紳士が若者へ問いかける姿である。
さぁ、話してみたまえ――と
アーレックは、やや間をおいてしまった。
「あ、あぁ、それで用件だが………ガーネックの件だ」
まとう空気が、公僕のものになっていた。
ガーネクの名前を出したことで、アーレックは少し、調子を取り戻したようだ。
子供もいるお屋敷である。ここでは詳しく話せないと、ねずみにも通じた。
「話し合いがしたい、また、執事の入るところへ………午後一だ」
ねずみは、了解の返事をした
ちゅ~――と




