ねずみと、悪夢と、ネズリー少年
カリカリカリカリカリ――
天井裏の広大な空間に、不気味な音が、こだまする。
ねずみが硬いものをかじる音だった。夜中であれば不気味で、足元の書斎に人がいれば、大変に不安に思わせるだろう。
夜ともなれば無人で、それでも、ねずみは時間帯に気をつける。
今は、朝だ。
銀貨をかじって、前歯のお手入れの時間である。
それにしては、少し乱暴だ。固いものをかじるのは、ねずみのストレス解消にもなるなのだ。
悪夢が、理由だ。
「ちゅ、ちゅぅうううう~………」
こ、こわかったぁ~………――
ねずみは銀貨を見下ろすと、ぞくりと震えた。人間であれば、冷や汗でぐっしょりと言うところだろう。夏も暑い季節であっても、寒さに震えるのだ。
ミイラ様が、夢に出たのだ。
「ちゅう、ちゅううう、ちゅううううっ」
い、いったい、どうして――
夢に登場した場所は、お久しぶりの、ネズリー時代のボロボロのお部屋であった。さもしいながらも、心は豊かであろうという、涙ぐましい努力の要塞だ。
隙間風を防ぐために、雑誌の風景画や静物画をぺたぺたと貼り付けた。それはもう、絵画を壁に飾るがごとく工夫をしたのだ。
貧しさに、拍車をかけた。
優雅なる午後のお茶のために、奮発して、色合いが悲しくなったティーセットを購入。飲み口の損傷など、気をつければ問題ない。白い下地に、上品な花柄はとても優美であった。お茶の葉も気の毒に、二度、三度と抽出され、さらに乾燥して、もう一度か、二度ほどはお湯にさらされる運命なのだ。
魔術師組合から支給される手当ては、貧乏学生を宿命付ける。小遣い稼ぎのお手伝いでは、とてもまかないきれない。
お手伝いの機会が、毎日あるわけでもない、おかげで貧乏学生は、貧乏なのだ。
それでも、学ぶ機会が与えられて、手当てを支給されるだけ、ありがたいと分かる良識はあった。
懐が、寒いだけだ。
そんなネズリー少年の日々を思い出すのも、久しくなかった今日この頃だったのに………
ねずみは、身を震わせた。
「ちゅうううう、ちゅううううう~」
おそろしやぁ、おそろしやぁ~――
ミイラ様が、夢に出たのだ。
夜も夜中、月明かりが窓辺からわが身を照らす時間帯、ぬっと現れたのは、大妖怪様だった。御年は、200の大台に杖を突いているだろうミイラ様は、ミイラと呼ぶにふさわしい、ガリガリの、シワシワのお姿なのだ。
もしや、肉体はすでに滅びているのではないか。そして、ミイラとなって復活しているのではないか。
そのような冗談が、ありえる大魔法使い様なのだ。
むしろ、ミイラ様なのだ。
そんなお顔が、アップで夢に出たのだった。眠る自分を、じっとのぞき込むような恐怖だった。
『――はぁ~、なるほどなぁ、レーゲルが言ったとおり、以前のネズリーより、はるかに力があふれて………ったく、予兆はもっと前からあったろうなぁ~――』
大きなフードに、顔の半分を隠されたミイラ様だ。アップでなど見たくはない、悪夢に出る光景だ。
せめて、昼にお出まし願いたい、いいや、それはそれで、恐ろしいに違いない。杖を突いて歩く音、その音だけで、恐怖を思い出すのだ。
教えは厳しいと言うか、恐怖だったのだ
ただし、その程度でくじけるようなら、魔法使いを志しはしない。いずれは、最強の存在といわれるドラゴンの神殿へと向かうのだ。人々が災いと呼び、恐れる存在を前に、日々を過ごし、災いを日常とする日々が、そこにあるのだ。
魔女のもたらす恐怖など、子供の遊びだ。
そのように強がらねば、やってられない、試練の日々は、懐かしく――
「ちゅ、ちゅうう、ちゅううう、ちゅうううう」
ねずみは、震えた。
おかしい、今朝も朝から暑いというのに、夏風でも引いたのだろうか。獣医さんのお世話になるには、あまりに小さな体が震える。
そもそも、小さなねずみに夏風などあるのだろうか………ねずみ生活を始めて、一ヶ月を超えただろう、日記をつけていないので、分からない。
宝石が、近づいてきた。
「ちゅう、ちゅううう、ちゅう?」
なんだ、おまえも悪い夢をみたのか?――
ありえないと思いつつも、ねずみが見た悪夢を、宝石もまた見てしまったという可能性はあった。
魔法に、意識を乗せる術もあるのだ。
遠くへと『声』を届ける魔法が有名だ。優れた術者は、となりの国の魔術師と会話をすることが出来るという。
宮廷魔術師が、重宝される理由の一つだ。
防衛の切り札として、魔術師達を従える存在としても、そして、通常なら不可能な、となりの国との、魔法を用いた対話など………
早馬で一週間と言う距離を無視して、隣に座っている友人に話しかけるように、隣の国の国王と対話することが出来るのだ。
魔法の水晶であったり、鏡であったり、水鏡であったりと、魔術師の好みと使い道によって多種多様であると聞く。
ほかには、他人に意識を移して対話させる術もある。
もちろん、動物に意識を移して――
「ちゅう、ちゅうう」
そ、そんなバカな――
そう思いながらも、ねずみは思い出した。ネズリー・チューターと言う、十七歳の若造の愚かしさを。
生前の、自分の姿だ。
大げさに魔法の本を掲げて、自らに酔いしれていた。自分は酔いしれているからいいが、他人が見たら、どのように思うだろうか。
ねずみは、もだえた。
「ちゅ、ちゅう、ちゅ、ちゅううううっ」
や、やめてくれ、み、見ないでくれぇ~――
ねずみは、ニセガネの銀貨を抱きしめて、ごろごろと転がり、もだえ苦しんだ。あれが、かつての自分かと思うと、身もだえをして、のた打ち回る。
魔法の力を扱う。
それだけで、うらやみを受ける、尊敬を受けるものだ。だれもが持つ才能ではない、持たざるものからすれば、羽ペンを浮かべる程度の初級魔法でも、立派な魔法なのだ。
そして、それはスタート地点だ。
古い魔法の本の中から、自らが興味を持つ、あるいは再現が出来る魔法を選び取り、再現する。
そうして、我が物とする。
膨大なる実験と経験、さらに数え切れない失敗と犠牲の上に、新たな魔法が構築されるという。
その集大成が、魔法の本である。
ネズリー少年が、夢の中で掲げていた本である
では、中身は?
実験した、内容は?
「ちゅう、ちゅちゅ、ちゅううううううっ」
あ、あれはまさ、まさかぁあああああっ――
ねずみは、もだえるのも忘れ、今度は頭を抱えた。
忙しいことだ、生前の己だと思っていた姿は、もしかして………
思い出したことは、きっかけ一つで、次々と思い出される。魔法使いの見習い、ネズリー少年は亡くなってしまった。
死んで、ねずみに生まれ変わった。
ねずみ生活、始めました――
そう思っていたネズリーであるが、実は違うのではないか。光っていた魔法陣の中に、一体何がいたのか、ちょうど、心当たりがある。
ねずみである。
「ちゅ、ちゅうう、ちゅううう、ちゅううううううっ」
ま、まさか、まさか、まさかぁあああっ――
頭を抱えて、起き上がる。
うなだれて、つんのめる。
相棒の宝石が、気付けば目の前でねずみを覗き込んできた。ねずみが横目で見つめると、こちらを見つめ返す己の、ねずみの姿が映る。
おい、大丈夫か――
宝石さんが首をかしげて、こちらを見つめている。そんな印象を受ける、実際には、宝石がねずみに近づいただけだ。声をかけられたことは一度もなく、ねずみの勝手な解釈なのだが………
すでに、ねずみの人格を投影しているようにも見える。そもそも、何者かの影響を、最初から受けた宝石の可能性もある。
ワラワラと、宝石の皆さんも輝きだす。
いったい、どうした、どうした――
屋根裏部屋が、ちょっとまぶしい。ねずみは、おかげで悩みが軽くなった。もっと大きな悩みが、目の前に広がっているからだ。
「ちゅううう、ちゅううううぅ………」
こいつらも、何とかしないとなぁ………――
おかしな四人組が、隠し持っていた宝石である。まともな連中には見えない、アーレックを超える巨漢な乙女に、ゴキ○リのように壁を這い回る、ぼろ布をまとった男に、手下らしき男。
そして、荷物を背負った、煙幕か何かを投げた男。
盗賊だ。
怪盗………と言うには、変人だ。
マヌケな四人組なのかもしれない、ともかくも、ネズリーが大立ち回りをしたあの日、宝石の皆様が、ねずみの後ろに行列を組んで、ついてきたのだ。
盗賊と、宝石。
では、盗まれたものではないのか。
どこから?
赤く輝く、魔法の宝石など、それが大量に存在する場所など、心当たりがひとつしかない。ドラゴンの神殿である。
ドラゴンである。
「ちゅううう~………」
たいへんだぁ~――
頭を、抱えた。
もはや、自分がどのような状況なのか、眠ったままなのか、魔法実験の失敗ではないのか。これからどうなるのか………
そんなネズリーの疑問は、些細なことだ。
ドラゴンの宝石が、目の前に輝いているのだから。
それも、たくさん、本当に、たくさん………
「ちゅうううううううう………」
たいへんだぁああああ――
ねずみの苦悩が、夏の日差しにこだました。




