しゃべる犬さんと、ポニーテールちゃん
小さな女の子が、小石をけりながら、石畳を歩いていた。
元気なく垂れ下がっているポニーテールが、元気のない犬のようだ。噂が大好きな女の子、ヘイデリッヒちゃんは、ご機嫌斜めだった。
「本当だもん………」
ヘイデリッヒちゃんは、確かに見たのだ。
クラスメイトが、空を飛んだ。昨晩の騒ぎに窓から外を見れば、輝きが空を飛んでいたのだ。ヘイデリッヒちゃんがその正体を知ったのは、距離と言う偶然もあるが、それだけではない。いつも、突っかかる相手と言うか、ライバルと言うか、そういうクラスメイトなのだ。
これは、大事件である。
さっそくみんなに話をして、驚かせよう。期待に胸を膨らませた朝の時間から、ご機嫌斜めが始まった。
夢の話だと、思われたのだ。
ヘイデリッヒちゃんは本当に夜空を飛ぶクラスメイトを見たのだから、悔しさで、いじけていても仕方ない。空を飛んだご本人である、フレーデルちゃんが夢と思っていたので、仕方ない。
ねずみは安心しただろうが、ヘイデリッヒちゃんは、ご機嫌斜めが継続中だ。もっとも、ここでめげるヘイデリッヒちゃんではない。
「あ………もう待ってる」
目当てを見つけると、小走りになった。
こうして寄り道をするのが、いつもの道である。ヘイデリッヒちゃんは、自らの足で噂を探しているのだ。
メインは、奥様の井戸端会議が行われる場所であった。
だが、この時間帯には、奥様方は忙しい。今のヘイデリッヒちゃんのお目当ては、奥様方ではない。
一匹の駄犬が、待っていた。
「お嬢様………ワン」
しゃべる駄犬だった。
後ろ足で立ち、前足でゴマをする駄犬だった。ねずみが見れば、哀れみに涙が止まらないだろう。
ねずみの仲間の一人、駄犬ホーネックである。
人の姿であった頃は、本を愛するというか、愛が重いと知られているホーネックは、駄犬の姿になっても変わるわけがない。ホーネックの身分証をくわえて、不思議図書館と呼ばれる、魔術師組合が管理する図書館へと足を運んでいた。
ついでに、噂話を集めるのだ。
ヘイデリッヒちゃんとは、そうして出会った。
「あんた、本当にしゃべれるのにね?」
ヘイデリッヒちゃんは、かばんに手を入れると、クッキーを取り出した。駄犬には餌をあげねばなるまいという、心やさしいお嬢様である。
「クッキーだワン、ありがとうだワン」
人の尊厳は、どこへ行った。
仲間たちがいれば、情けなさに頭を抱える姿である。しかし、子供の優しさを無碍にすることも出来ない。わざわざ駄犬ホーネックを探し出し、餌付けをしてきた心優しいお嬢様なのだ。
しゃべる姿を、目撃されたためだ。
それ以来、ずっと探していたという。
奥様方の井戸端会議に聞き耳を立てていたところを発見されて、ほぼ毎日の待ち合わせであった。
「公園でしゃべったり、道で独り言を言ったり………結構人前で話してるよね、あんた。なんで大人は気付かないんだろう?」
「………大人は、常識に縛られてるんだワン。きっと、気のせいと思うんだワン」
やや大人側の駄犬ホーネックは、妹の相談に乗っているような気分で、ヘイデリッヒちゃんのお話に付き合っている。
都市伝説の誕生に貢献してしまったが、たいした問題ではない。例えヘイデリッヒちゃんが自慢しても、子供のかわいい作り話だと思われるのだ。
大人の常識に、感謝である。
「なんか、つまんない」
「そんな時は、本を読めばいいワン、図書館は、知らないことであふれてるワン」
退屈そうなお嬢様を見上げ、駄犬ホーネックの瞳が輝いた。
熱い情熱を込めて、本の世界へと、純情な噂好きの女の子をいざなおうとしていた。
まぁ、学業が大切なお子様への助言としては、それほど悪い話ではない。噂話を集めて自慢するほど、好奇心が旺盛な女の子である。それが、知識を追い求める、本の虫へと生まれ変わってもいいのだ。
ただ、少し早かったようだ、口を尖らせていた。
「本も、つまんないっ」
「そんなことはないワン、知らないことを調べて回った人が、本を書くこともあるんだワン。昔の噂話や、不思議な出来事を集めた本も、いっぱいあるんだワン」
もしかすると、目の前のヘイデリッヒちゃんは、本を読むよりも、不思議を集めて、本を生み出す側になるかもしれない。
将来の話であるが、駄犬ホーネックは、新たな作家の誕生に立ち会っているのかと、物語の主人公の気分を味わっていた。
口の周りにクッキーの粉がついている姿であるため、格好はつかない。だが、駄犬が見た目を気にするものでもない。
「またね、しゃべる犬さん」
「わん、わんっ」
そろそろ時間だと、どちらともなく別れるのだ。
人が通行中であるため、犬の真似に戻った駄犬ホーネックだった。今更だが、犬の鳴きまねで、別れのご挨拶である。
通行人のおじ様からすれば、想像力が豊かな子供が、なつかれた駄犬に別れを告げていると解釈するだろう。なんともほほえましいものを見たと、思うかもしれない。
大人は、便利だ。
そして、すぐに忘れる。
「さて、もうしばらく………何だワン?」
ごっつい青年が、ねずみを肩に乗せて歩いていた。
ちゅ~、ちゅ~と、いそげ、いそげ――と命じているなどと、夢にも思わない。珍しい光景があると、見送っただけだ。
「まぁ、いいか………ワン」
この独り言を、ねずみは耳にしていたが、頭の中はガーネックの指輪のことでいっぱいであったために、意識からすぐに消えた。
仲間との共闘は昨夜のことであったのに、もっとヤバイ出来事があるのだから。
「ちゅぅ~、ちゅぅ~」
いそげ、いそげ――
ねずみは、前を指差していた。
向かう先は、警備本部だ。




