ワニさんと野外劇場、閉幕
「ちゅうう」
お別れだ――
小さく、ねずみはつぶやいた。
目の端で、赤く輝くカーペットに座るお嬢様を見つめる。
距離があるために表情はわからないが、自分を応援してくれているのだと、ねずみは思っていた。
その横では、懐かしい暴走娘が、両手をあげている。
ミイラ様は………見なかったことにしたい。岸辺のアニマル軍団も、クマさんがレーゲル姉さんを背負い、駄犬ホーネックが吠えている。この、騒がしい仲間達との日々を、もう少し過ごしてみたかった。
一瞬で、ねずみは仲間達との別れを惜しんで――
「ちゅううううう?」
あれぇええええ?――
またも、天へと昇っていた。
ワニさんの牙にかかって、命が一瞬で消えたわけではない。ワニさんは、ねずみの存在に気付かず、ただ、暴れていただけだった。
ねずみは、その暴風に巻き込まれただけだったのだ。
助かった――と、安心している暇は、ねずみにはなかった。
頭上の宝石は、輝いていただろうか。もう、助からない。そう思ったねずみだが、頭上の赤い輝きは、どうなったのか。
「ちゅう、ちゅ、ちゅうう?」
お、おい、大丈夫か?――
ねずみは、魔法の力を高めつつ、鳴いた。
なんとか、地面に激突という事態は避けられそうだ。空を飛ぶほどの力はなくとも、魔法の力をクッションのようにした。
今も、アニマル軍団が無事な理由が、それだ。クマさんのオットルお兄さんなどは、何度も吹き飛ばされたわけだが、無事なのだから。
今は、相棒の宝石が心配だった。
「ちゅ………ちゅうう」
なぁ………返事しろよ――
ねずみは、とても不安になった。相棒の赤い輝きが、とても弱々しく思えたからだ。
なお、ねずみは忘れているが、宝石の輝きは、ねずみの精神とリンクしている。
ねずみの感情が高ぶると、強く輝く。逆に、今のように気分に浸っていると、空気を読んでくれるのだ。
オレは、もうだめだ――と、弱々しく輝いていた。
ホントは余裕だろ――そんな突っ込みを入れてくれる人物が、いないだけだ。あとで思い返すと、のた打ち回る演目が、演じられていた。
ねずみは、宝石を抱きしめて、夜空を指差した。
「ねぇ~、ねずみさん、なにしてるのぉ~」
「えぇ~と………なんか、宝石さんと抱き合ってる~………」
「ほっといてやれや………」
観客席の女の子達は、ねずみさんの演目に首をかしげる。お師匠様は、空気を読んだようで、ねずみさんの熱演は見ぬふりをするようだ。
代わりに、シワシワの笑みで、フレーデルちゃんを見つめていた。
「おまえさん、だいぶ落ち着いたみたいだな。今なら、行っていいぞ?」
「………え?」
お師匠様は、枯れ枝のような腕を伸ばして、指差した。
逝け――と、ワニさんを指差した。
産毛が残っている雛鳥ドラゴンちゃんであっても、ドラゴンなのだ。本来は、人間であるお師匠様を恐れる必要はないのだ。
ところが、生きた年月と言うか、弟子として刻まれた恐怖と言うか、恐る恐ると、枯れ枝を見つめた。
シワシワの笑みが、にっこりと微笑んでいる。
雛鳥ドラゴンちゃんは、泣いた。
「うわぁ~ん………いってきまぁ~すっ」
涙目だった。
その様子を、まだ世間の荒波には早いお嬢様が、ぽつんと見つめていた。
「おねぇちゃぁ~ん、がんばってぇ~」
自分も行きたい。
そういって駄々をこねないだけ、かしこいお子であった。魔法のカーペットを突撃させてもおかしくない、元気なお嬢様なのだから。
斧を手に、はしゃぐ未来図が目に浮かぶ。
そんな感想を持つはずのねずみは、宝石と抱き合い、空を見上げていた。ごらん、あの宝石の一つがお前なんだよ――と、浸っていた。
だが、もたもたしていると、本当に夜空に輝く星になってしまう。フレーデルちゃんが、突撃してきた。
真っ先に反応したのは、密輸業者のでこぼこコンビだった。
「せ、先輩ぃ~、バケモノが、今度は空とぶ火の玉がぁあああ」
「お、おお落ち着け、魔法だ、きっと魔法で説明できるはずだあああ」
また、バケモノが来た――と、抱き合っていた。
下水の密輸業者のでこぼこコンビには、フレーデルちゃんの元気いっぱいの突撃も、恐怖だろう。
まぁ、正体はドラゴンであるため、間違えていない。
なぜか、執事さんもおびえていた。
「くっ、宿命からは逃れられないか、ドラゴンめっ、なんとも楽しそうに――」
いったい、何があった。
フレーデルちゃんの元気いっぱいの宣言に、なぜか決死の覚悟を決めた執事さん。
アニマル軍団は、あわてた。
「ちょ、落ち着きましょう、あの子、あぁですけど、悪い子じゃないから」
「く、くまぁ~、くまぁああ」
「そうだわん、おち、おちつくワン」
とりあえず、敵ではないと説得するレーゲルお姉さん。 散々迷惑をかけられていながら、こういうところがお姉さんなのだ。
そして、クマさんのオットルお兄さんは、両手で、まぁ、まぁ~と、にこやかな笑みを浮かべて、フレーデルの姿を背中に守る。
立ち上がれば、執事さんを覆い隠す長身は、2メートルを大きく超える。
駄犬ホーネックも後ろ足で立ち上がって、ご機嫌とっていた。
こうして、街中で餌をもらうのだろう。はっ、はっ、はっ――と、人間様のご機嫌を取っていた。
「………っ、ワニのほうが、遊び相手になってくれるか――」
微妙に、話が通じていないようだ。
なぜか、ワニさんに立ち向かうときよりも必死だった執事さんは、身をかがめていた。
クマさんのオットルお兄さんが立ち上がったおかげで、冷静さを取り戻したのか、フレーデルから身を隠そうとしたようにも見える。
その雛鳥ドラゴンちゃんは、ワニさんとじゃれあっていた。
ワニさんは、巨大な尻尾を振り回していた。
「ふぅ~んっだ、そんな大降りじゃ、あたんないもん………えいっ」
そう言って、炎をまとわせた尻尾を振りかぶる雛鳥ドラゴンちゃん。
明らかにワニさんとはサイズが違っていて、頼りなく見える。全長10メートルを超えるワニさんと、十二歳ほどに見えるフレーデルちゃんである。
それでも、産毛の残る尻尾は炎をまとわせているのだ、当たればどれほどの威力だろうか。
尻尾は、風を巻き起こした。
すかっ――と、空振りだった。
「あれぇえええ………」
回転の勢いで、空中でくるくると目を回していた。
この間抜けぶりを見て、いったい誰が、恐れる必要があるというのか。世話のかかる妹分を助けようと、アニマル軍団も立ち上がる。
「あの子はもぉ~………行くわよっ」
「くまぁ~」
「しかたがないワン」
「ちゅぅ~」
ねずみも、ご一緒だ。
さして力を持たないものの、ワニさんの注意を引くことは出来る。ねずみも、先ほどの別れの演目に満足したのか、いつもの調子を取り戻していた。
忘れたい事にしたいのか、いつもよりがんばっている気がする。 赤い宝石も、全身から火が出る勢いで、びかぁ~――っと、光っていた。
その後、フレーデルを先頭に、改めて下水へ突入。明るい炎の輝きを追いかけるワニさんの習性を利用した、おとり作戦が再開された。
「あぁ~、ワニさん行っちゃったぁ~」
「さぁって、………お開きだな」
もう演目は終わったのかと、残念そうである。
だが、子供に夜更かしはよろしくないようだ。緊張の糸が途切れかけたところで、眠たそうにまぶたをこする。
宝石たちも、役目は終わった――とばかりに、お嬢様を載せたまま、空の彼方へと消えていった。このまま、ベッドの上に下ろしてくれることだろう。
その様子を見守ったミイラ様は、楽しそうに笑った。
「やれやれ、本当に、退屈せんわなぁ~」
ひっ、ひっ、ひ――と、バケモノのような笑みで、どう見てもバケモノのミイラ様は、杖をついて、ご帰還なさった。
取り残された皆様は、唖然と見上げていた。
「せ、先輩~オレ、足洗う………まじめに船こぎになって、いつか、自分の船を持つんだ」
「おまえ………それ、いいな。オレが船長だな」
「兄貴、オレ、森に小屋を建てるんだ~、畑を耕して、ウサギが遊びに来てさ――」
「………山小屋じゃなかったのか――って、似たようなものか。とにかく、出よう」
「賛成~、私も、ちょっと疲れちゃった………明日は休みましょ。森林浴とかさ」
「………お弁当は、サンドイッチか?」
密輸業者のでこぼこコンビをはじめ、手漕ぎボートの四人組も、ワニさんとの大騒ぎに、かなりお疲れのようだ。
しばらく、水辺に近づくことも恐怖だろう。
そして一名、うなだれた執事さんは、つぶやいた。
「あれは………ドラゴンだった、人の姿をしても、隠せるものか………ははは、遊んで嫌がる。遊び相手を、あいつらが逃がしてくれるものか………ははは、また、まただ………」
疲れた笑みを浮かべて、ぶつぶつと、笑っていた。
明日は、そろってお休みだ。




