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プロローグ&第一章


 プロローグ・あの日、キミは。


 この世はしょせん、ただの現実。

 ファンタジーやらSFやらが語られる一方で、科学はそれらすべてを解明しようとする。そして夢をぶち壊す。

 いったいどっちなんだよ、と呆れる。日常と非日常、現実と夢幻、どちらを望むのか。

 俺だったら、日常と答えよう。

 なにも起こらず、穏やかに流れていく、つまらない平々凡々な日々。退屈は嫌いだけれど、ドラマチックな筋書きは、もうごめんだ。

 世界は醜く残酷で、だからこそひとはありえない美しい夢を見る。そう、思っていたのに。


「やっと、会えた……」


 こちらにまっすぐ向けられた、夕焼け色の瞳。

 微笑むかたちに歪む、さくらんぼ色のちいさな唇。

 あざやかな夕焼けのような、美しくも儚い少女。

 舞台はいつもとなんら変わりのないはずの朝の教室。なのに彼女が現れた瞬間、空気が輝きだしたようだった。

 制服に身を包んだ、幻想的なまでに美しい少女の魅惑的な瞳に、息をのんだ。

 その花びらのような唇を開き、漫画か恋愛ドラマかと揶揄したくなるようなセリフを、彼女は紡いだのだ。

 他ならぬ、俺に向かって。

 そして、彼女は迷うことなく俺の前まで来て、俺だけを見つめて――

 こう仰いました。


「私に殺されなさい」


 それはそれは、悪夢のようなセリフ。

 けれどその日その瞬間。きっと――

 俺は彼女に――魔女に、魔法をかけられたのだ。

 歪んだ日常を謳歌する俺の前に、キミは現れた。

 嵐みたいな、非日常を連れて。

 世界の終わりを告げるはちみつ色の光のなか微笑んだ彼女は、俺の心に確かなものを残した。


 それは――。



 Ⅰ.嵐の転校生と最高の因縁。


 机に頬杖をつき、ついでため息をついた。口から零れるのは、いつもと同じ文句。


「退屈だ」


 嫌味なくらい綺麗に晴れ渡った秋の空。

 窓の外に広がる青と白の世界。

 あの向こうに、天国だか極楽浄土だかがあるのだろうか。

 どちらでも構わん、是非とも今すぐそこに行きたい。そして昼寝したい。

 ――とまあ、そんな消極的思考に陥ってしまう、高校一年の二学期初日のホームルームなのだった。


「村崎ー、聞いてるかー?」


 放任主義な我らが担任、いけちゃんに名指しで呼ばれ、「はいはい、聞いてますよ」と適当に返す。もちろん、なにも聞いてはいなかったが。


 今日はギリギリ終わらせた夏休みの課題を提出すればオッケー。さっさと帰らせてほしい。眠いし。いや待て、放置してたゲームでも久々にするか。

 なんの変哲もない男子高校生が考えることなんて、そんなものだ。周りはなにやら楽しそうにわいわいがやがや、夏の思い出を語ったりしているが――彼女? 部活? はっ、笑えるほど縁遠いわ。9月のはじめなのに日焼けすらしてないからな、俺。


「よーし、じゃあみんなお待ちかねの、転校生を紹介するぞー」


「おおーっ」と盛り上がるクラスの方々。

 え、なに、転校生?

 聞いてねえよ――って聞いてなかったからか。


 教室のなかがざわめき、「男子? 女子?」との疑問の声が聞こえる。かしましい奴らだ、転校生ごときで。

まあ、俺もちょっとは気になるけど。


 妙な期待と緊張感が漂うなか、教室前方のドアが開かれ――


「……ん?」


 まず目についたのは、動きに合わせて揺れる黒いさらさらのロングヘアー。

 そのてっぺんの位置は、なんか……ずいぶん低くないか?

 知り合いに、たしか145センチの女子がいるのだが、そいつよりもさらにチビに見える。身長は推定140センチに届くか届かないかといったところか。


(おいおい、小学生かよ――お?)


 驚いた。ちらりと見えた白い横顔は、きれいなラインを描いていて。ちょっとだけ期待のようなものがよぎる。

 ちいさな転校生はとことこと歩き、教壇の上に立った。姿勢、いいな。


(――おお)


「うおっ、かっわいー」


「高校生活に新しい風が……!」


「ちっちゃいけどよくね?」


「おまっ、ロリコンかよー」


 野郎どもの談議がさっそくそこかしこで始まる。

 うん、確かに可愛い。

 腰あたりまでのびた黒髪に映える、日本人離れした白い肌。パッチリふたえの目に長い睫毛。文句のつけどころがない、それはさながら人形のような美貌。

 ひんやりとした表情は臆したところがなく、かといって人懐っこそうでもない。小柄ながら気高い猫を思わせた。

 童顔で、高校の制服を着ていなければ小学生と見間違えそうだ。左耳の上あたりに付けた髪留めがまた、子どもっぽいおばけカボチャのデザインで。うん、エセ高校生にしか見えん。などと失礼な感想を抱く。


阿久間(あくま)緋色(ひいろ)です。よろしくお願いします」


 声だけは大人びていて、なかなか好みの声だ……声は、な。


(にしても、変わった名前だな)


「えーっと、阿久間は……うん、とりあえず転校生です! はいよろしくー」


 紹介もテキトーないけちゃんが顔に似合わず可愛らしい、丸っこい字で黒板に書いた、転校生の名前を見やる。

 緋色って、たしか赤に近い橙色……だったか? 色の名前をそのまま付けるとは、変わった親だな。俺もよく、イマドキ珍しいとは言われるけども。

 名前は置いておくとして、なるほど美少女に分類される転校生さんである。


(ま、どうでもいいか……)


 大人しそうなやつは好みじゃないし、俺はロリコンではない。さらに、美少女転校生とお近づきになるなんて野望はないしそんな運も持ちあわせていない。

 俺は誰とも、“近く”はならない。


「じゃあ、席はー……村崎の隣なー。はい、村崎きりーつ!」


「……んあ? はいよー……」


 まじか。そういや朝来たとき隣に席増えてたなー……。

 渋々立ち上がった。その時、



「やっと、会えた……」



 ……はい?

 えーと、今の声は紛れもなく転校生さんの声ですよね?

 なのに教室を見回すと、全員が窓際最後尾の俺の席を振り返っている。いやいや、なんで俺のほう向いてんの?


 阿久間さんを見ると、名前と同じ緋色をした瞳――綺麗な色だ。肌の色といい、どこか外国の血でも混じっているのだろうか――大きなそれと、伸ばされた腕とが、こちらにまっすぐ向けられている。こらこら、人を指さしちゃいかんよ?

 ふむ、クラスの奴らはその視線プラス指を辿ったとみていいだろう。

 つまり。


「え、俺?」


 今さっきの、非現実的な恋愛モノでよくありそうな、「ずっと、捜していたの」なんて続きそうなセリフは、彼女が俺に向かって言ったのか?

 目を白黒させる俺の傍らまで歩いてきた阿久間さんは、オレンジ色の双眸で俺を見上げ――ふっと微笑んだ。


「っへ」


 意外と大人っぽい笑いかたに、心臓が跳ねたのは不可抗力だ。変な声が出たのも仕方ない。

 一瞬、なにかが頭をよぎって――いやいや、そんな場合じゃない。

 ちょっと待て。なんなんだ。なんなんだ、これは。


 まるで二次元の世界――って言ったら失礼かな。

 ……まさかとは思うが、何故だか女子に避けられやすい、彼女いない歴十六年の俺にもついに、春ってやつが来たのか? 秋だけど。どうリアクションをとるべきなんだ、その場合。

 なんて過剰な期待なんかしてしまう。ロリコンじゃないけどな。


 すっかり考えに沈んでいると、ガタタ、ガタッと音がした。

 おや? 阿久間さんがなにやら自分の席の椅子を動かし、俺の横にそれを置いてその上に立った。上履きもきちんと脱いでいる。


「ん?」


 椅子に乗り、ちょうど俺より少し高いくらいの背になった阿久間さん。

 彼女のほうを向くと、その細い腕がすっと伸びてきて――


「ぐぇっ!?」


 おもいっきり胸ぐらを掴まれ、息がつまった。ふいをつかれ情けない声を漏らす。

 無言の阿久間さんの表情は今の今までうっすら微笑んでいたのが嘘のように冷たく、刃物みたいに殺気すら放っていて。俺は困惑するしかない。

 周りがなんか騒いでいるが、騒ぐくらいなら助けろ。けっこう力強いんだよこの見た目小学生……!


 そして阿久間緋色は――

 キスしそうなほどその整った顔を近づけて。

 夕焼け色の瞳を妖しく、美しく煌めかせながら。



「私に殺されなさい」



 真剣かつ大胆に、そう仰ったのでした。


「……はい?」


 幻聴であってほしい。そんな願いなど叶わないことを、周りからの痛いくらいの視線とどよめきから悟った。



 こうして。

 童顔でアブない発言をした嵐のような転校生・阿久間緋色と、憐れな村崎昌國の噂は、ホームルームが終わる頃にはとっくに校内中を駆け巡っていたのだった。ネット社会って怖い。


(とりあえず、俺の平凡な日常を返してくれ……!)




 とびきり長く感じた二学期初日が終了し、帰り道。


(……どういうことだ、この状況は)


 朝の爆弾発言以降、無言で俺を親のカタキかなにかのように睨み続けていた転校生は、今も何故か隣を歩いている。


 帰る方向が同じなのだろうが、教室から遁走した俺についてきたってことは、なにか話があるのだろう。

 ところが阿久間は俺に目もくれない。赤の他人だとでも言いたげなつんとした表情で、けれど歩幅の広い俺に早足でついてくる。気づけば、彼女に合わせてゆっくり歩いていた。


 そこで、周りに人影のなくなった土手の上で、意を決して話しかけてみる。


「なあ、どういうことだ?」


「なにが」


 そっけなく吐き出される俺好みの声。

 朝以来のその声に、今は苛立ちしか感じない。


「なにがって……一体なんなんだよ、『私に殺されなさい』って。新手の告白じゃあるまいし」


 思い出すだけでもため息がもれる、朝の大騒動。

 一瞬の静寂のあと、いけちゃんはわざとらしく大笑いし、クラスの8割くらいがどん引きし(主に俺に)、男子の一部は「昌國、お前、そっちの趣味があったのか…」とか言っているし、もうさんざんだった。


 その後阿久間は女子たちに囲まれ質問攻めに。阿久間は終止無言を貫いていたが。

 俺はというと、友人から「安心しろ、トモダチやめたりはしないから!」なんていい笑顔を向けられ、男子どもからやはり質問攻めに。


 入学からはや数か月。高校生活にも慣れてきて、ともすればマンネリ感を禁じ得ないこの時期。日々刺激を求めている高校生が、恰好の獲物を逃がすはずがない。

 そんなこんなで、やっとこいつとふたりきりになれたのだ。……というか、すたこらと帰ろうとしていたらこのちみっちゃい女子高生がついてきたのだが。


「……あんた」


「はい?」


 ぴたりと足を止めた彼女の、妙に低い呟きに身をかがめ耳を近づけると、


「あんた、忘れたって言うの!? この変質者!!」


「はあっ!?」


 びしぃっ! と鼻先に銃口のごとく人差し指を突きつけてきた阿久間に、俺はなんのことやらわからず立ちつくす。親しくもない相手からとつぜん変質者呼ばわりされれば、たいていの人間は混乱するだろう。そして俺はそんなたいていの人間のひとりです、変質者違う!


「三年前の、10月31日っ! 私にキスしたこと、忘れたとは言わせないわよ! 村崎昌國!!」


「キス!?」


 は、いや、まてまて。どういうことだ!?


 10月31日。


(と、いうと)


 ハロウィーン……だな。


 ……。

 …………。


 それぞれに動きをとめた俺と阿久間の間を、晩夏の風が遠慮がちに吹き抜けていき、ついでにカラスのうるさい鳴き声が降ってきた。

 困り果てた俺は、視線を上にやった。果てしなく広がる、やわらかなオレンジ色に染まりつつある空を見て――あ、と息をもらした。

 ……思い出した。



 ――――

 ――


「あーあ、暇だな」


 三年前の、10月31日。

 自宅のリビングで怠惰に寝っ転がった俺は、そう呟いた。

 静まり返った家のなかに、時計の秒針の音だけが響く。

 夜が来る前の短い黄昏時。窓の外は、夕陽の光に染めかえられていた。


 あーあ、暇だ。

 退屈な毎日。

 平凡な中学校生活。

 なにか、非日常的で刺激的な事件は起きないだろうか。

 そうすれば、この退屈も紛らわせる……。


 考えるのすら煩わしい。胸の奥に住み着いた苛立ちと倦怠と……説明できない不愉快な感覚にはあ、とため息をつき、ふとカレンダーに目を向ける。


「10月、31日……」


 ハロウィーンか。

 そういや、外国ではハロウィーンには仮装した子供たちが家々を回って、お菓子をもらうんだっけか。にぎやかだな。

 そのときの合言葉が――


「……なんだっけ」


 ――ピンポーン

 玄関の呼び鈴が鳴る。こんな時間に誰だ? ああ、父さんたちからの宅配便でも届いたのだろうか。たいてい、連絡なしにいきなり送ってくるしな。


「はいよー……」


 のっそりと起き上がり、薄暗い廊下を歩いて玄関へ向かう。

 玄関にある、ちいさな西向きの窓。そこから入り込んだ夕暮れの光が、あたたかく眩しかったのを覚えている。

ドアを開けると、


「Trick or treat!」


 なにやら真っ黒な格好をした、小学生と見える少女が、ちいさな手のひらを差し出していた。ん? まさかこのナリで配達員……なわけないか。


 待てよ。「トリックオアトリート」……。

 それだ。お菓子をもらう合言葉。

 じゃあ、お菓子をあげるべきなのか? はじめての出来事に困惑し、緊張する。


 夕陽に照らされた少女は、期待に満ちた眼差しでこちらを見上げている。びっくりするほど整った顔立ちだ。

 目を瞠っていると、輝くオレンジ色の双眸にじっと見つめられ、その澄んだ瞳に思わず目をそらした。

 黒のワンピースに黒いとんがり帽子。少女の衣装はどうやら魔女のものらしい。魔女の仮装か。

 肌や瞳の色なんかがどこか日本人離れしているし、ハーフとかかな。お国の習慣ってやつを守っているんだろうか。無知ながらにそう解釈する。


(面倒だが……渡さなきゃだよな、お菓子)


 ぼんやりと考える俺に、少女は期待に満ち満ちた目を向けている。風が吹き、彼女の長い黒髪が揺れた。そのつややかな髪を見た瞬間、心臓がどくどくと音を立てはじめた。故のようにきれいな黒髪。その毛先が今にもこちらに伸びて、自分を絡めとりそうな気がしてぞっとした。夏の日の凍りつきそうな空気を思い出して鳥肌が立つ。


 あとになって思えば、このときの俺は少し、いや相当、病んでいたのだろう。


「お菓子をあげるから、目を瞑って」


 嘘を吐くと、少女はぱあっと顔を輝かせ、目を閉じた。

 素直だなあ。

 その無垢さが、純粋さが怖くて。傷つけたいと思ってしまって。

 暗く、空虚な衝動に突き動かされるまま。


 俺は静かに顔を寄せると、さくらんぼ色の唇にそっと自分の唇を重ねた。


 やわらかいな、と思った。けれど特になんの感慨もなかった。

 心は満たされなかった。


「……!?」


 少女がぱっと目を開け、ぐいっと俺を押し退ける。

 自分だって『初めて』のくせに、俺は妙に落ち着いていた。

 今度こそ、しっかりと――少女と目があう。かちりと。音をたてるように。

 ぞくりとするほど美しく妖しい、夕焼け色の瞳。視線が逸らせない。相手も逸らさない。


 きっとこのとき、噛み合ってはならない歯車が、噛み合ってしまったのだ。


 風の音が数秒の静寂を破り、同時に、少女の緋色の瞳が潤んで。混乱や悲しみ、とにかく強烈な感情の色が広がる。頬が真っ赤に染まった、傷ついたようなその顔に、一瞬だけ罪悪感がよぎる。


 それは、本当に一瞬だった。

 何故なら、少女は一瞬の間に、姿を消したのだから。

 夕闇に溶けるように消えた、魔女の少女。

 非日常の終了。


「……はあ」


 白昼夢か。そう自己完結して、再びやってきた退屈に、俺はため息をついた。


「にゃあーお」


 どこからか、猫の鳴き声が聞こえた。



―*―



「あ、あの時の魔女の格好してたやつか!」


 過去の回想を終え、なんで今まで忘れていたのだろうとひっかかりつつも納得した俺を、阿久間はぎろりと音がしそうなほどおもいっきり睨んできた。視線だけで人を殺せそうだ。


「……そうよ。あんたのせいで、私がどんな目にあったか……!」


 阿久間いわく、彼女のもといた世界――魔界では、住民たちは八歳になると魔法学校に入るため、ある試験を受けるのだそうだ。

 その内容は、10月31日、ハロウィーンに人間界に降り立ち、人間にお菓子を貰ってくるというごくシンプルなもの。

 そのときの合言葉が、『Trick or treat』。


 彼女は二年連続で失敗し、十歳のとき俺のところへ来たらしい。

 ということは、阿久間は今、十三歳ってことか? それにしても……ちいさいな。最近の女子は発育がよろしいとロリコンの知り合いが嘆いていた覚えがあるんだが。小学校中学年くらいにしか見えん。

 なんてことを思いながら、


「……それは、ご苦労なことだったな」


「……あんたはあの時、『お菓子をあげる』って言った。なのに、……なによ、キ……なんて! この――ロリコンキス魔ッ!!」


 棒読みの相づちを打ち、やたらファンタジーな話を信じてなどいないことを伝えようとしたが、相手はむしろヒートアップしていく。

 ……って、おい。


「俺、ロリコンじゃないからな」


「はあ? そんなことどうでもいいわよ。とりあえず、責任とって私に殺されなさい」


 俺にとっては重大なことを『そんなこと』呼ばわりし、自称魔女の転校生は再度、俺を睨み付けてきた。相手のほうが背は低いのに、なかなかの威圧感だ。

 魔界だのなんだの言ってるから頭のイカレた奴かとも思ったが、俺をまっすぐに見る眼光鋭くも綺麗な色の瞳には、常識を超えたなにかが滲んでいて。

 そんな非現実的なこともありえるんじゃないかなんて、ちょっと思ってしまう自分がいた。

 それはともかく、


「……だから、どうしてそこで『殺す』に発展すんだよ」


 ずいぶんと物騒かつ理不尽な台詞だと思う。というか話が飛躍しすぎだ。

眉をひそめる俺に答えたのは、


「それはネ、ぼうやが緋色の唇をうばっちゃったからよん」


 語尾にハートマークが付いていそうな、色っぽい声だった。


「なんだ、今の声?」


「こっちよん、こっち」


 周りに人影はない。声のしたほうを見ると、


「……へ?」


 思わず間抜けな声が口からもれる。


「あら、いい反応。これだから人間をからかうのはやめられないわ」


 いつの間に現れたのか、阿久間の足元にちょこんと座ったそいつ、三角の耳に長い尻尾をもった――真っ黒な猫が、クスクスと笑っている。

 猫が、笑っているのだ。

 ……これはドッキリだな、うん。阿久間の話といい、どうにもクサいと思っていたんだ。

 だいたい猫があんな色っぽいお姉さんみたいな声でしゃべるわけないじゃないか。ははは、今どきこんなドッキリにひっかかる奴なんているわけ無かろう。さあ、早く帰ってゲームでもしよう。今は何時かなっと。


「ちょっとお、ぼうや、聞・い・て・る?」


「そいつ全然聞いてないわよ。まったく、ロリコンキス魔な上に人の話を聞かないなんて。人間失格ね」


「仕方ないわねえ。じゃ、このぼうやの家に移動しましょうか~」


「そうね……。

 ――――――!」


 聞き取れないほど甲高く、奇怪な声が響き渡ったかと思うと、


「――へ? ッぁ」


 花火を間近で見たらこんなんじゃないかってくらいに眩しいほど明るい光が爆散し、身体が引っ張られるような吸い込まれるような気持ち悪い感覚に、意識が途絶えた。



 声が、聞こえた。


「――さい」


(……ん?)


 光の射し込む水面の向こうから響くような、その声。


「……っと、――なさい」


(だれ、だ……?)


 意識が浮上していく。


「――ちょっと、起きなさいってば」


耳をくすぐる、少女の声。


 ――ああ、この声。

 安心する……。


「起きなさい、ロリコンキス魔」


「っ俺はロリコンじゃねー!」


「ひゃっ!」


「あらあら、そこには反応するのねん。でも『キス魔』は否定せず、と」


「それも違うっ」


 聞き捨てならないロリコン呼ばわりに飛び起きると、目の前にはやっぱり黒髪の少女と黒猫。

 転校生の阿久間と、人間の言葉をしゃべる黒猫。

 ……悪夢は終わっていなかった。


「意外とすぐに起きたわねん。まあ、元々気を失わせる類のモノではないし」


 目を細める黒猫の言葉に首をかしげつつ、周囲に視線をやる。


「……あれ、ここ、俺ん家?」


 見回せば、よく知った畳の部屋だった。確か使っていない空き部屋。


「……そうよ。勝手に入らせて貰ったわ。――おじゃまします」


 俺の大声に身を引いていた阿久間は、きちんと正座するとそう言ってきた。


「……はあ、ようこそ?」


 つんとしながらもお決まりの文句を言う彼女に、少し驚いた。

 傍若無人かと思いきや、そういうところはしっかりしてんだ……。


 同時に、この自称魔界少女のことをもっと知りたいと思った。それは単なる好奇心にすぎない、はずだけれど。だからだろう、すぐに追い出す気になれなかったのは……。


「って、あれ? 鍵は?」


「はあ? あんたバカ? 私が“移動魔法(テレポート)”使ったの、見てなかったの? れっきとした魔法よ。あ、あんた気絶したものね。ムリもないかしら」


「あー……」


 バカとは失敬な、とは思ったものの、そういやなにか唱えてたよーな。

 間違いなく、この世の言語ではなかったけどな。

 ということは、俺は存在しないと思っていた魔法ってやつを人生初体験してしまったのか。なんておいそれと信じるわけにも――。


 待て待て。あの土手から家までは走っても五分はかかる。それが腕時計を確認すると……三分しか経過していない。そして俺は今朝しっかりと玄関のカギを閉めて家を出た。戸締りには普段から気を遣っている。だいたい施錠されていな箇所を探していたら三分なんて無理だ。


 結論。ありえないことが、実現されたのだ。


 頭を抱えたくなる。心臓の鼓動も速い。疑ってかかってたのに、なんだよこの展開……。


「ぅぷ……」


 あ、思い出したら吐き気が。身体への負担なんてリスク、想定外だったぞ。

 移動魔法だかなんだか知らないが、あれは正直、二度と味わいたくない。洗濯機の中に入れられたような、ぐにゃぐにゃと気持ち悪い感覚だった。


 畳に手をつき口を押さえる。俺の顔をのぞき込んできた黒猫が、月みたいな金の瞳をきらりと光らせ、


「あら、ぼうや大丈夫? まあ、ハジメテだったし、ムリもないわねん」


 ……なんでこの人(あ、猫か)の「はじめて」は、やけに色っぽく聞こえるんだろうか。


「あ、言い忘れていたけれど、アタシはアムリタ。緋色のお目付け役、ってとこよ」


 よろしくねん、と足元で小首をかしげるような仕草をするアムリタ。


「どうも、アムリタ……さん」


 雰囲気からして彼女のほうが年上なのは間違いないので、さん付けにしておく。


「……で、本題なんだけど」


「ああ」


 腕組みをした阿久間に見据えられ、反射的に背筋を伸ばした。


「あんたが私にキスしたせいで、私はあんたを殺さないと魔女になれなくなったのよ」


「ふむ。さっぱりわからん」


「……」


 阿久間のこめかみがピクピクと痙攣する。明らかにイラついていらっしゃる。

 いや、だってわからないものはわからないんだよ。


「あーはいはい、アタシが説明するわ」


 仕方ないわねえ、と言いたげに、アムリタがアンニュイなため息をついた。


 その様子にはやっぱり、年長者の風格があった。


「――まあ、魔法学校の入学試験で人間にキスされるなんて百年に一度起きるか起きないかくらいの変事なんだけどねん。とりあえずその場合の決まりってヤツを、学園長サマが定めてるワケよ。

『人間と口づけを交わした魔界の女は、その人間を三年後の同じ日に殺さなければならない』……そんな掟が魔界にはあるのよん。それで、緋色の場合は“試験”中に事件が起こったから、より難易度の高い、『その人間の同意の上殺害』ってゆー試練を課されたってワケ。

つ・ま・り、ぼうやは罪滅ぼしに殺されろってコト。……もし同意が得られずぼうやを殺せなかった場合、緋色は永遠に完全な魔女にはなれないわ。

 ――どう? わかったかしら?」


 神託を告げる巫女のように静かに語ったアムリタを、俺は声もなく凝視していた。


「わかった。わかったが……。どうして猫がしゃべってるんだ?」


「あらん。そんなに知りたい? アタシのホントウの姿」


 にやりと妖しく笑い(猫が笑うとかホラーだな)、アムリタが俺の膝に乗った。


「……? っわ」


 パアッと黒猫の体が光に包まれ、目が眩む。ずしり、と急に体にかかる重さが増し、こらえきれず後ろに倒れた。


「……なっ!?」


 とっさに閉じた目を開けると、


「……うふ。驚いた?」


 やたらきわどい、ファンタジーめいた黒の衣装の、それもグラビアの表紙を飾ってもおかしくはないスタイル抜群のお姉さんが、俺の上に乗っかっていた。蠱惑的な笑みを浮かべた顔は、やや幼さが残るがこれまた端正な顔立ちだ。

 頭のとんがり帽子だけが、かろうじて彼女が魔女だということを主張している。


 「……あの、アムリタさん? そのー、胸があたってますよ?」


 ぐぐいと前屈みになられたもんだから、当然身体が近づくわけで。たいへん目のやり場に困るんだが……。

 というか顔も近い。近すぎる。長いウェーブがかった桃色の髪が、頬をくすぐってくる。


「いいじゃなあい、減るもんじゃないしねん」


 いやいや、この昌國、いくら紳士と言えども思春期真っ盛りの高校生なわけでして。そんな無邪気な笑みを見せないでください。


(ど、どうすれば……!?)


 馬乗りになっている彼女のどこを触っていいものやらわからずに固まっていると、


「ちょっと! いつまでくっついてるのよ、この発情期男っ!」


「ぐあっ……ぬれぎぬ……」


 後ろに回った阿久間に襟を掴んで引っ張られ、息が詰まる。解放され、ゲホゲホと苦しむ俺を「ふんっ」と見下ろす阿久間。

 あ、悪魔だ……。


「あらあ、緋色にはちょっとシゲキが強かったかしら?」


 いつの間にやら黒猫の姿に戻ったアムリタがからかうように言う。


「っな……!? ち、違うわよ! 子どもじゃないんだから!」


「じゅ~ぶん、お子様よ?」


「ふんっ」


 ぷいっとそっぽを向いた阿久間の頬は、少し赤い気がした……。

 ふと窓を見ると、外はすっかり夜の色だった。星もぽつぽつと見える。


「……もう夜だな。一応送ってくよ。家どこだ?」


「ここよ」


 …………はい?


「えーと、『ここ』って?」


「だから、ここよ。あんたの家は今日から私の家でもあるの」


「ぶっちゃけ、泊まるところないのよう。よ・ろ・し・く。じゃ、アタシは散歩してくるわ」


 自分の耳を疑う俺に、阿久間とアムリタはさらっと言ってのけた。

 ……ガチで?


「いやいや、いくらなんでもそれは……無理だろ」


 ふたりきりになった部屋のなか、向き合う阿久間に俺は拒絶の言葉を口にした。ここははっきりと突っぱねておかないと、流されてしまいかねない。

 ざわざわする。俺の中のなにかが、これ以上こいつに関わるなと告げている。


 関係ないはずの記憶が薄笑いを浮かべながらよみがえり、心臓に手をかけて嗤う。ゆっくりと息を吸う。


「俺は誰とも深く関わりたくないんだよ。女ならなおさらな。だから悪いけど――」


「はあ? あんたに拒否権なんかあるわけないでしょ。あんたの事情なんか、私にはどうでもいいの」


 目の前で揺れるつややかな黒髪に、胸がひりひりし出して。


「いやいや――」


「ど、どうせ――誰にでもほいほいキスするような男なんでしょう?」


 冷静でいようとしたのに――見下すようなその一言に、頭の芯がカッと熱くなるのを感じた。絶対に触れられたくない部分を無遠慮に引っ掻かれたような不快感と――怒り。


 ダレニデモ?


 ふざけ、るな――!


「言い返さないってことは、図星なのね。最低。だったら女一人くらい家に泊められるわよね? 変態キス魔なんだから――っきゃ!?」


 気づけば勝手にからだが動いて。ベラベラとしゃべり続ける阿久間の細い腕を乱暴に掴んで、壁に叩きつけていた。ダンッ、と大きく音がし、阿久間の頭が揺れ壁にぶつかる。


「ッ!」


 覆い被さるようにして睨みつけると、阿久間がオーバーなほど、びくりと体を震わせた。

 けど、その時の俺はそんなことを気にする余裕なんてなくて。

 脅しの意味もあったけれど、朝からの苛立ちが頂点に達した俺は、簡単に折れそうな彼女の腕を強く握り、低い声で続けた。


「……だいたい、お前試験に二回も落ちてんだろ。その時に受からなかったお前が悪い。いきなり『殺されろ』とか言って押しかけて、こっちは迷惑してんだよ……! さっさと魔界だか夢の国だかに帰れよ。それとも、痛い目を見ないとわからないか?」


 魔女? 魔界? ふざけるな。

 非日常なんて必要ない。

 ドキドキハラハラなんて疲れるだけだ。

 勝手に押しかけてきて。勝手なことを言って。俺は静かに暮らしたいのに。もう嵐なんてこなくていいのに!

 魔法のように現れて。揺さぶり、なにかを変えようとする――。

 そんなもの、消えてしまえ。


 身をすくめ、うつむいた少女の顔を無理矢理、細い顎を掴んで上げさせる。


(――え?)


 そして、言葉を失った。


 阿久間の白い顔は、真っ青になっていた。

 額には汗の粒が浮かび、体全体がガタガタ震えている。いっぱいに見開かれた目に恐怖を浮かべ、その瞳に俺は映っていない。

 怯え、痛み、恐怖――。

 彼女から発せられる様々な感情に圧倒され、動くこともできない。


「……ごめん」


 永遠にも思える数秒の後、ゆっくりと手を離す。


 阿久間はうつむいたままぴくりとも動かなかった。

 かすれた呟きは、きっと彼女に届いてはいないだろう。


 外に出て襖を閉め、逃げ込むようにリビングに入りソファーに倒れこむ。時計の針の音が規則正しく響く。ゆっくりと深呼吸した。


 子どもじみた怒りなんて、押し寄せる後悔の波に簡単に流されてしまう。冷静に考えてみれば、男の家に押しかけるなんて、ひょっとすると阿久間は相当の覚悟を持ってここに来たのかもしれない。なのに、俺は……でも……。


「どうしろってんだよ……」


 誰にともなく呟く。


(あんなの、ただの脅しのつもりだったのに……)


 あれだけ気の強そうなフリしといて。

 ああ、だから女は苦手なんだ。


「あんな表情(かお)……すんなよ」


「あのねぇ、どこの世界でも一緒だと思うケド、『落ちこぼれ』は大変なのよぅ」


 近くからそんな言葉をかけられ、飛び起きた。


「アムリタさん……」


「ちょっと忠告しとくわよん、ぼうや」


 いつの間に戻ってきたのか、黒猫アムリタがソファーに飛び乗る。

 なんか俺、すっかりこの非現実的な状況を受け入れているような……慣れって恐いですね。


「緋色はね、孤児だったの。生まれたときから」


「え……」


 唐突に明かされた事実に呆然とする。孤児って……両親がいないってことだよな。生まれたときから?

 黒猫のどこか憂いのある艶っぽい声が、ゆっくりと語りはじめる。


「父親は行方不明で、母親も……彼女を産んですぐに、息をひきとったそうよ。

 八歳までは施設で育ち、試験に受かって魔法学校の寮に入る予定だったわ。……でも、結果は不合格。緋色は村外れにひとりで住むことになったの。そして、3年前。不合格の上に人間に口づけされたなんて、言うなれば村の恥ね。緋色は村中から疎まれ……暴力を受けたりもしたの。そんな子なのよ。だから……」


 アムリタが言いにくそうに口ごもる。暴力、という言葉に動揺して……その先はなんとなく想像できた。

 さっき、俺は阿久間のトラウマに触れちまったんだろう。それで彼女は、あんなに怯えたのだ。


 ああくそ、女はキライだ。

 傷付けてしまったと感じたときのこの、男相手とは違う、墨を静かに垂らすように心に浸透してゆく、罪悪感。細い指が、心臓を音もなく突いてくるような。


 ノックしてくるのだ。ふれさせないどころか見えないようにしているはずの、心を。


「…………」


 俺は、どうしたいんだ?

 殺されるなんてまっぴらだ。

 でも、彼女が来て“退屈”ではなくなった。静かな静かな家を見回す。生活感なさすぎ、とよく遊びに来た友人に呆れられる、殺風景なハコ。


「あと、補足だけれど。ぼうやが今日まで緋色のことを思い出さなかったのは、アタシが3年前、その記憶を奥底に沈めたからなのよん」


「え?」


「緋色には教えてなかったから、ちょっと怒っちゃってるのねん。悪い子じゃないから、気を悪くしないでちょうだい」


 そっか、阿久間からしてみれば、とんでもないことをされた相手が自分のことをすっかり忘れて過ごしてたんだよな……。


 目を閉じる。

 出会いの日の、あざやかなオレンジ色の光のなかに立つ少女の姿が、澄んだ瞳が、瞼の裏に浮かぶ。

 俺は――。



「……あのさ、阿久間」


 襖を軽くノックし、そうっと呼びかけると、返事はなかったけれど彼女が襖の向こうに立つのが気配でわかった。


 空咳をひとつ。手が汗ばむのを感じながら口を開く。


「んー、なんつーか。……まず、3年前のことは、悪かった。謝る。それと……そこの部屋だったら、空いてるからご自由にどうぞ?」


「っ!」


 薄い仕切りの向こうで、阿久間が息をのむのがわかった。


「まあ、殺される云々はもちろん嫌だけどさ――」


 あ、なんかこの先言うのハズい。


「あと二ヶ月あるんだろ? 本気なら……俺を説得してみせろよ、阿久間緋色」


「……」


 沈黙。ああ、なんかチクチクする。挑発的に言うのはマズかったか。


 と、ススス……と襖が薄く開き、ちいさな頭が見えた。


「……いいわよ。絶対に、殺してやるんだから」


「また物騒だな、阿久間」


「……でいい」


「はい?」


「緋色……名前でいいって言ってるの! わかった!?」


 顔をきっとあげて、睨むようにして見上げてくる。

 頬がほんのり赤い。


「ああ。……緋色」


 たった今、宣戦布告をしてきた少女の名を苦笑しながら呼んでみると、フンッとまた後ろを向いた。


「じゃあ、今日から世話になるわ。…………昌國」


「ああ。しばらくしたらリビングに来いよ。夕飯だ」


 言う途中で、襖が静かに閉じられた。返事はなかったが、まあ、聞いていただろう。


 廊下を歩きだす。何歩か進んで……ん? と胸に手をあてた。鼓動が、速い。

 どうしたことかと理由を探してみて――あることに気づく。


『昌國』


 彼女の、あの声。

 なんでかはわからないけど……安心するのだ。


『昌國』


 まるで昔から聞いていたように、不思議と懐かしくあたたかい緋色の声の響きに、俺は何度もその声を反芻していた。



 コンビニへ行く気力もなく、久しぶりに料理でもするかと妙なやる気が起こり、十数分後。


「よし、と……えーと、緋色ー、夕飯だぞー」


「うん」


 フライパン片手にちょっと気恥ずかしい思いで声をかけると、部屋から出た緋色がちょこちょこと歩いてきた。家族ですらない相手が同居人で、しかもいっしょに飯なんて、なんだか変なかんじだ。


「そこに座っといて」


「ん」


「……腹へって、返事すんの面倒くさくなってないか?」


「ん」


 椅子に座った緋色の前に湯気のたつ皿を置くと、彼女の目が輝いた気がした。


「さて、いただきます」


「! ……いただきます」


 スプーンでシーチキンと卵のチャーハンをすくい、パクリと口に入れる。早い動作だ。空腹だったのだろうか。


「!」


「……どうだ?」


 いつもはコンビニの惣菜やファーストフードで済ませてしまうので、ちゃんと料理するのは久しぶりだ。うまくできてたらいいんだけど……。


「……」


「…………」


「……マズいわ」


「あー、そっか……」


 なんてストレートなお言葉。


「じゃあ、もう食わなくて――」


 いいよ、と続けようとすると、


「食べるわよ。もったいないし。――それに、おいしいし」


「いやいや」


 遠慮はいらないから、と食い下がろうとすると、ぽそりと、


「……誰かと一緒にご飯食べるのなんて、久しぶりよ」


「……」


『村外れにひとりで……』


 ああ、そうか。

 彼女にとっては、誰かと一緒に食事をするということ自体、特別なことなのか。


「まあ、俺も基本一人だけど」


「……家族は?」


 ちらりと視線を向けられる。

 質問されたことに驚きながらも、素直に答える。先に緋色の家庭事情は知ってしまったしな。答えないとフェアじゃない。


「親は仕事で外国。兄ちゃんは大学生で、遠くでアパート暮らししてる」


「……そう」


 しばらく黙って食べ進める。


 チャーハンは我ながらひどい出来だ。そういえば、いちばん苦手な料理だった……いつも、兄ちゃんにつくらせてたな……なんて考えていると、余計なことまで思い出して、胸がつまった。

 と、向かいの席でカチャ、とスプーンが空になった皿の上に置かれた。


「ごちそうさま」


「えっ、もう!?」


 早っ。

 よくこんなシロモノを完食できたな……。


「?」


 おののく俺を不思議そうに見てから、緋色は「そっちがつくってくれたんだし、私が洗うわ」と空の食器を手に流し台へ向かう。


 そうだ、こちらからも質問があった。


「なあ、緋色。おまえって他にどんな……その、魔法が使えるんだ?」


 振り返った緋色の、伏し目がちの瞳は――どこか神秘的な輝きを放っていた。


「ッ」その瞳に吸い込まれそうな錯覚に、息がとまる。ぞくりと鳥肌が立つのがわかった。


「……秘密よ。扱える魔法は、他人に口外してはならないの。目の前で使う分には別だけれど。みだりに使用することも禁止されているわ」


「へー……」


 まだ動悸のおさまらない心臓をなだめつつ、チャーハンを口に運ぶ。

 言葉では表現できない感覚。でも、一瞬強烈に感じた妖しく魅惑的な雰囲気に俺は思った。


 こいつは、“魔女”だ――。


 蛇口の水圧調整のレバーをいじり「ひゃっ!」と驚いている細くちいさな背中を、ぼんやりと眺める。


 二学期初日に現れた、俺を殺しに来た魔女(の卵)、阿久間緋色。

 タイムリミットは10月31日、ハロウィーン。


(キスが原因で殺される、か)


 最高の因縁じゃねえか。

 大変なことになったと思いながらも、なにかが変わる予感に胸が高鳴るのを感じた。


 まだ夏の暑さが残る夜。

 俺の非日常な日常が始まった。

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