決着
静寂を破ったのは峯田の背後、自動ドアの開閉音だった。
「着きました。こちらへ」
「ちょっと!引っ張らないでよ!」
目を疑う光景だった。両腕を背後で拘束された相澤が成瀬に連行されてきたのだ。
「相澤…?」
「先輩!!」
相澤と成瀬の両名と同時に目があった。双方、驚愕の表情を浮かべている。
「晃一様?何故ここに… 先生、これは一体どういう… 」
「彼を招いて少し話をしていた。全て理解している」
招いたという表現には語弊があり、実際には招かれざる客なのだが、嘘も方便だ。峯田がそう言うと、狼狽えていた成瀬は警戒を解いた。
「成瀬さん、彼女を解放して下さい」
「しかし… 貴方たちは… 」
「成瀬くん、解放したまえ」
言い淀む成瀬に峯田が一喝する。成瀬は不承不承といった様子で手錠を外し、相澤の拘束を解く。
「先輩っ!」
駆け寄ってきた相澤を受け止め、成瀬を睨み付ける。
「成瀬さん。あんた、ここに来ても顔色ひとつ変えないってことは、全てを知ってるわけだ。それでよくも施設見学者に入居を勧められたな。ここが理想郷だとでも言わんばかりの紹介だった。この現状を知りながら、罪悪感の一つも感じてない顔で。あの言葉達は本心か?」
「本心です。偽りの仮面を被っていたのは貴方がたでしょう?まさしくここが理想郷です。貴方が真のナチュラリストであれば、疑問を感じる筈がないのです」
「この男に騙されて理念を盲信してる傀儡の方がまだマシだった。よくもいけしゃあしゃあと。ここにいるナチュラリストとやらがいずれ辿る未来は解ってるだろうに!」
相澤が胸に顔を押し当てながら嗚咽をあげている。この場で状況を理解していないのは相澤だけだが、説明してやれる時間はない。ただ、只ならぬ事態だという事を本能で感じ取っているらしく、嗚咽とは別の震えが伝わってきた。
「悪事を働いてる自覚を持てと、そういうことでしょうか」
成瀬は相澤をみて、辛気臭いとでも言わんばかりの表情で漏らした。
「実際こいつを拘束したんだ。外に漏れたらヤバいことをやってる自覚はあるんだろ?」
「社会には必要悪というものが少なからず存在します。我々はその担い手に過ぎません。それと、些か横柄な考えですが、ナチュラリストは元来、医療的な施しなどなくても疾病には罹患しないと豪語する人々です。自業自得、とまでは言いませんが、成るべくして事は成っている。それだけのこと。守るべきはもっと大きな存在です」
成瀬の物言いに背筋が冷える。確かにそうなのだ。つい先刻まで自分も似たような考えを持っていた。しかし、この現状を知ってなお、それを無表情で言い放てる冷酷さを、同じ人間が持っていると晃一は考えたくなかった。
「世のため人のためか。あんたが先生と呼んでるその男も『この国のため、世界のため』と連呼してる。考えとしては立派だが、なんでその大きな存在とやらに、ここの連中を含んでやれないんだ。こいつらを救ってやろうって考えはないのか?必要悪っていうのは自己犠牲を慰める言葉だ。他人を犠牲にすることを言い訳する言葉じゃない」
「自己犠牲です。充分すぎるほどに。先生が元々どれほど権威のあるお方かご存知ありませんか?そのお方が、これ程大規模なシステムを作っても認知されない。日本を大感染から守るという偉業を成し遂げても、世間から賞賛される事は無いんです。どれだけご自分を犠牲になさっているか、貴方にわかりますか?」
「臭いものに蓋をしただけでよくそんな偉そうなことが言える」
「救えないんですよ。彼らはワクチンの接種を拒んだんです。他に方法がないんです! 強制接種は彼らの生き様を否定することになる。尊厳を持ったまま生かすためには、これしか方法はないんです。他にどうしろと?」
成瀬が悲痛な面持ちで叫ぶ。しかし、泣き落としで済む話ではない。
「だったら公表すべきだ! ご立派なシステムで私達はこの国を守っていますって堂々と言えばいい! 仕方なく日陰者に甘んじてると言うなら、ここで行われてる所業が是なのか非なのか世間に問えばいい!」
「理念を理解した者がここにくる、と?では、それに反した人達は?発症の可能性がある人間を世に解き放ったままにする気ですか?ただでさえ今、この施設の存在を知らないナチュラリストへの対応をどうすべきか、対策に追われている状況だというのに。広報活動に尽力していますが、『漏れが出れば強制収容も止む無し』と″通達″が出れば是非もないんです。水面下で事を運ぶしかない。一度出た賽の目は変えられないんですから」
ここで晃一は言葉に詰まった。気付けば、お互い息が上がるほどの熱量で叫んでいた。そこに、静かな一言が投げかけられる。
「晃一君、といったかな」
声の主は峯田だった。熱くなった場を冷ますように、充分間を取ってから切り出した。
「堂々巡りをしていると、君も気付いているだろう?」
認めたくない事実を突きつけられる。思わず反論しかけたが、峯田がそれをジェスチャーで制した。
「ワクチン非接種者で溢れる社会がどれだけのリスクを抱えているか、それは君も理解しているところだろう。しかし、そのリスクを取り除く術がないのだ。強制接種も強制収容も、やってしまえばこの国は遍くディストピアだ。多様性を認める世論の中で、そんな強行は出来ない。行き着くところは結局″ここ″しかない。『何か他に』と考えるのは構わない。若い君は納得いかないだろうから。可能性を探れば、老いた私達に見つけられなかった他の方法を見つけられるかもしれない。だが、今の現状が紙一重の均衡で成り立っていることを忘れないで欲しい。私からはそれだけだ」
「俺たちを拘束しないのか」
「そのつもりだったが、もう構わん」
投げやりな言い方に苛立ちを覚える。
「俺たちが洗いざらい記事にしたらどうする?ネットでこの事を吹聴したら?」
「拘束して欲しいのか?」
「違う、俺たちは記者だ。何故あんたが俺たちを逃してもいいと考えたかを知りたいだけだ」
「君が賢く、臆病だからだ」
「なに?」
どこまでも不遜な態度を取り続ける峯田に、敵意の視線を向ける。しかし峯田はこちらの目を見ようともせず、アクリル板に向かって語り続けた。
「先程成瀬くんが『通達』という言葉を使った瞬間、君は悟っただろう。我々が独断でこんな事をしているわけではないのだと。そして想像したはずだ。我々を配下に収める、より大きな存在が一体何なのかを」
峯田はそこで一度言葉を切ると、漸く晃一に向き直った。その顔には憐憫と観念を含んだ表情が浮かんでいた。
「君の負けだ。君はそれを自分で認めてしまった。だから私が幕を引いた。それだけだ。今の君には何も為せはしない。その娘を連れて行きたまえ」
*
それから施設を出るまでは、ただただ呆然としていて記憶が定かでなかった。気付けば目の前に外の景色が広がっていた。意識や記憶を操作されたのかと錯覚する程、唐突だった。
隣で相澤が肩を震わせている。頭のいい相澤の事だ。あの部屋と会話から、事の全貌を推察していることだろう。
峯田は口外を禁ずる脅し文句を言わなかった。対して、晃一は言われずとも理解していた。安寧の担保は、知ってしまった事実を冥土まで持っていくことだ。それを犯せば、今度こそチャンスはない。
「先輩、デスクから連絡です」
ぼんやりしていると、携帯端末を取り出した相澤に袖を引かれた。
「帰ってからの報告が待てないのか」
「待てない様です。見出しとページを抑えたいみたいですよ」
「見出し、か… 」
正直それどころじゃない目にあったんだがな、と唇の先だけで独りごちる。
いくつかの見出し候補が頭を過ぎったが、すぐにそれらを振り払う。無言で歩きながら別の候補を考える。施設の門をくぐり、敷地外に出たところでポケットからタバコを取り出した。空はすっかり黄昏れていた。
「先輩、路上喫煙は条例違反ですよ」
相澤の語気のない注意には耳を貸さず、一本咥えて火をつけ、煙を吐いた。頭の中のもやを口から吐いたかのように、考えがすっきりとクリアになる感覚がした。
そして、生きた心地を全身で感じながら、晃一は呟いた。
「″自然派ママの理想郷″でいこう」
了
お読みいただきありがとうございました。
本作品内に一部実在する団体名がありますが、内容はフィクションであり、実際の組織、理念、宗教には一切関係がないことをご理解いただけますよう、お願い申し上げます。