セミナー
通された応接室は見渡す限り高級感で溢れていた。入り口から遠い側のソファに通されて、相澤と2人腰掛ける。一瞬、雲の上に腰を下ろしたかと錯覚するような感覚だったが、スプリングがしっかりと座面を支えてくれたお陰で沈み込むような感じはしなかった。成瀬が予め部屋にいた他スタッフに手で合図すると、すぐさまポットとカップを載せたワゴンがやってきた。自分にはコーヒー、相澤には紅茶を頼む。
「では相澤様、初めに当施設のご案内をさせて頂きますね」
成瀬はそう言い、この施設のパンフレットを差し出した。″生活の全てを24時間トータルサポート″と書かれた大きな見出しが目に入る。認可保育所の標準保育時間は最大11時間と定められているのだが、これは如何に。認可という文字と件の見出しを見比べる素振りを見せ、成瀬の説明を引き出す。
曰く、この施設は認可保育園として看板を掲げているが、建物内に別の認可外保育園も併設して運用されているとの事で、認可保育園と謳いながら24時間のサービスを提供できるカラクリはそこにあるらしい。
こんな搦め手を使うのも、やはり″認可″という言葉が持つ信用度の大きさ故だろう。子供を預ける保護者がまず気にするところは、そこが信頼できるかという点だ。公的に認められているという判押しは間違ったことをしていないという証明になり、たとえこの施設がトンデモ医学の体現を成すところなのだと知らない者が足を踏み入れようとも、″認可″という言葉で手篭めにできる。名の知れたブランドのロゴを入れれば、リサイクルのTシャツでも10万で売れる。人間とはそういう生き物だ。やり方は好きではないが、ビジネスとしては正しい。
「ネットで見た時から気になってたんですよね。24時間体制なんてできるのかなって。でも話を聞いて安心しました」
相澤がにへらと笑う。程よい賛同は相手を饒舌にさせる。以前教えた、話を引き出すテクニックを実践しているのだろう。成瀬のような生真面目なタイプにはうってつけだ。
「ネットをご覧になって頂けたんですね。では当施設が、ご家族様のお住まいも提供している点はもうご存知でしょうか」
「はい。送迎の問題が一気に解決する画期的な案だと思いました」
「ありがとうございます。当施設はそれを売りにしている部分が大きいですから。それと、蛇足かもしれませんが、朝・晩はバイキング形式でお食事の準備もございます」
「至れり尽せりですよね。今の日本は食の安全が保障されているとは言い難いですから、心強いです」
初めにこれを聞いた時は驚いた。この施設は利用者家族の居住スペース確保に加えて料理まで用意してくれると言うのだ。毎日ホテル住まいといっても過言ではない。
かつて、学生マンションの1階をぶち抜いて保育所にするというモデルケースがあったのを思い出す。防犯上人気がなく部屋が埋まりにくい1階を埋め、騒音問題は日中学生が学校へ出払っている事で解決する。当時は一石二鳥のアイディアと持て囃され、日本の都市部を中心として広まったのだが、少子化の波に飲まれ姿を敢え無く消してしまった。
当施設は大きく捉えればその形と同じで、言うなれば保育所付きマンションと言い換えてもいい。広大な敷地と施設の巨大な外観はそのためだ。
ただ、保育施設と居住施設が一体になっているのならば、居住者の回転はどのように図っているのだろうかと疑問に思う。
「一つお聞きしてもよろしいですか」
「どうぞ」
「保育園は小学校に上がると同時に卒園という形になりますよね」
「はい」
「そうなった時、ここに住んでいる家族は転居を迫られるのでしょうか」
「現在そのような状態になった事例はありません」
「では、卒園後もずっとここに住むことができると?」
「ご希望であれば」
「いずれ部屋の数が足りなくなるのでは?」
その問いに、成瀬は僅かに目を細めた。
「お部屋の数は充分ございます、当面の心配は不要かと」
痛いところを突けたかに思えたが、その程度の指摘は織り込み済みだったらしい。落ち着いた声で答える成瀬が、パンフレットにある居住スペースの総世帯数2500戸という数字を指でなぞる。保育所部分の定員数が200人となっているので、それを遥かに上回る部屋数なのは確かだ。しかし開設からそう歴史が経っていないとはいえ、保育所定員の12倍強の部屋数で今後増え続ける施設利用者に対応できるのだろうか。
そう遠くない未来、卒園した子の家族達で居住スペースが埋まり新規の保育所利用者は当施設内に居を構えられない、という事態が起こりうるように思える。
この施設のコンセプトの破綻は経営側としても避けたい筈で、それを回避せしめる策なり案がきっとあるのだろうが、施設利用希望者の立場で聞けるのはここが限界だ。これ以上の踏み込みは相手の猜疑心を煽る。騒ぎ立つ記者魂を抑えつけ、平静さを保つ事に執心する。回転率をなんとかしている秘訣は、また追々探りを入れればいい。自分の番は終わったと目配せをして相澤にバトンタッチする。
「あ、はい。えっと、ごはん。ごはんはどうなるんですか?」
いいぞ相澤。適度に馬鹿っぽくて、先程の雰囲気から一転いい塩梅だ。相手には、こちらが疑り深いという印象を持たれたくない。相澤に予め『気負わずいつも通りに』と伝えてあったが、それが功を奏した形となった。成瀬が再び微笑みモードになる。
「卒園後も提供させて頂いております」
「すごーーい」
「安心だな」
「旦那様は先程も食の安全について仰られていましたが、やはりそちらに関心がおありですか?」
成瀬が自信有り気に問いかけてくる。いい手札を持っているのだろう。聞き出す序でに、後で仕入れの件などを質問しやすいよう法螺話を吹いてやる。
「ええ。以前不適切な量の農薬使用がニュースになったでしょう。無人農耕を一定化させるために、どうしても薬品等での管理が行き過ぎてしまうと、生産側の弁解はそうでしたけど、納得するのは難しいです。効率化が叫ばれる時代であっても、やはり人が直接丹精込めて作った物を、生産者の顔が見える形で口にしたいし、それが自分の子供に食べさせるものなら尚のことです」
「素晴らしいお考えだと思います。当施設なら今しがた仰られた懸念の一切を払拭出来ます。何せ、当グループが運営する農場・農園から直送でこちらに仕入れをしておりますから」
「それは心強いです」
成瀬は自慢げに言うと、ソファから立ち上がる。
「では、そろそろ実際の見学に参りましょうか」
コーヒーを飲み干して、相澤と2人、成瀬に続き応接室を後にした。
初めに向かったのは現在開催中のセミナーの見学だった。廊下を中ほどまで戻ったところで、先程覗いたオフィスルームの一つに案内される。
「ここでは本日、出産を控えたご家族様に向けた講義を行っております」
講師の話を遮らないよう、最低限の声量で成瀬が耳打ちしてきた。見渡すと、前方の席はお腹の大きな女性が大半を占め、その隣には夫と思しき姿が見える。配布あるいは販売したのだろう、全員同じテキストを広げて講師の話を聞き、中には一心不乱にメモを取る者もいた。今の講義の内容は産後の栄養についてらしい。
「母乳は乳幼児突然死症候群や喘息・湿疹発症のリスクを低下させ、更には知能も向上させるという報告もあります。また、母乳をあげることでお母様の体は出産前の体重・体型に戻りやすくなります。このように、直後から母乳で育てるのはメリット揃いで、特に初乳というのは特別です。免疫グロブリンAというリンパ球が多く含まれ、消化管の保護や黄疸の予防に作用してくれます」
講師は一人ずつ参加者と目を合わせながら講義を進めていく。想像していたよりずっと本格的な講義をしているらしい。専門用語が多く飛び交っているが、後ろから覗き込む限りでは補足部分はテキストにしっかりと記載されているようだ。
あながちトンデモ医学を吹き込むばかりではないのだなぁと安堵して暫く話を聞き流してると、聞き流せないフレーズが飛び込んできた。
「つまり、この初乳を飲ませれば、その後の免疫力が非常に高くなり、感染症などに罹る心配は無くなります」
参加者一同がにわかに沸き立ち、講師はここぞとばかりに畳み掛ける。
「この国は新生児への定期予防接種を課していますが、あれは養子縁組の子など、母親からの免疫をもらえなかった子達に対する感染リスクを減らしたいがためのものです。皆さまがご出産された暁に、しっかりとお母様の母乳で育てて頂ければ、心配には及びません。予防接種に関しては、母乳で育ったか否かという基準では線引きがとても難しいため、漏れが無いよう皆一様に打ちましょうと、つまりそれだけのことなのです」
講師が自信に満ちた顔で言い切ると、参加者の一人から声が挙がった。
「昔は接種しないと罰則があったんでしょ?打たなきゃダメって事だったんじゃないの?」
「確かに、かつてワクチン接種は義務化されていました。しかし、その内実はワクチンを造る製薬会社と政府との癒着です。現にその関係を糾弾され、今はもう接種は義務でなくなりました。現在、接種を拒んでも罰則はされません。醜い役人の利権のために、重篤な副作用に陥るリスクを抱える必要はないのです。ワクチン接種は100年以上続いてきた社会の悪です。耳を貸すことはないと、私は思います」
参加者の一部から拍手が起こった。不安そうにするものは誰一人いない。 とんでもないペテンだ。口八丁をよくもまぁここまで堂々と。
「話が逸れましたが、初乳はお母様自身の身体から作られます。さて、お母様が乱れた生活をお過ごしなら、この初乳は正常に機能してくれるでしょうか。… ええ、その通り。不安ですね。一番最初に作られる母乳を質の良いものにするには、やはりお母様のお身体が万全で良い状態でなくてはいけません。見直すべきは、まず食生活です。農薬や添加物にまみれたものを口にしていては身体に毒素が溜まり、それを元に作られた母乳を飲ませる事になってしまうのです…… 」
講師の話はもう暫く続くようで、そろそろ次に行きましょうと成瀬に促されて外にでる。廊下で相澤に感想を求めると「説得力ありますねー」と返された。敬語になっている事を指摘すると「今のはセーフ」と謎の判定を返された。
「週末にはこういったセミナーが都度開催されます。如何でしたか?」
「勉強になりますね。あれだけ言い切ってくれると安心できます」
「本をいくつか出版されている有名な方なんですよ」
「そうなんですか。凄いですね」
焚書にしてしまえ、と思いながらも口先だけで取り繕う。こうしてみると自分も大概口八丁だと、ふと可笑しくなった。