表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/9

自然派ママの家に夫婦を装い潜入取材

短編連載になります。そこまでSF要素はないです。

 西暦2125年、人類はパンドラの箱を開けた。


 西暦が2000年台に突入して100年。永らく頭を悩ませていた化石燃料の枯渇によるエネルギー問題を核融合炉の完成によって解決した人類は、いよいよその栄華の展開に歯止めを効かせられなくなっていた。

 化石燃料の輸出で国益を成してた中東国は、エネルギー資源戦争の終結と引き換えに、優先した核融合炉建設権利を手にし、これにより、いわゆる先進国・発展途上国といった垣根はおよそ取り払われるに至った。


 この時代の変革に対応できなかった小国は、次々と大国に取り込まれ、その領地は大国資本のベッドタウンへ姿を変えた。後に世界全土にまで波及するめざましい経済成長は、爆発的な人口増加をもたらし、人類は次の問題に直面する。それは、居住地の不足であった。

 土地面積に対して多くの居住空間を確保できる高層ビルは、空撮こそ壮美に映るとも、地上を闊歩し生活の基盤を築くにあたっては景観が芳しくなく、そこに住まう者曰く「圧迫感に耐えかねる」とのことであった。


 自分たちは家畜じゃない、厩舎から開放せよと弾幕を掲げる市民デモを諌めるべく、発展諸国はより広大な土地の開発を余儀なくされた。しかし、居住地拡大のための候補地はもはやそう多く残されておらず、この時点で、人類史において永らく”居住に不適”と判を押されていた砂漠・永久凍土・森林地帯の3択を残すのみとなっていた。


 はじめの一つである砂漠は、やはり水源の確保と排水基盤の整備が困難であり、後発して建設される核融合炉の建設予定地として考える意見が多数であった。続く、南極大陸を始めとする永久凍土の地は、かつての都市モデルでいうところの”郊外”とするには、人の賑わいから些か距離が遠すぎた。また、開発による凍土の流出は、海水面上昇による沿岸部の水没という事態を引き起こす危険も孕んでおり、それによって生活可能地が狭小するのは元の木阿弥であると、反発の声は大きかった。


 これによって開発議論のお鉢が回ってきたのが、人類未踏の樹海・アマゾンの熱帯雨林である。そこが人類にとって安息を享受できる場所という保証はどこにもなかったが、他に議論の余地がないとなれば、残るは各国が領土分配を平和的に解決できるかという問題のみ。工事自体が始まってしまえば、陸地面積の約7%を占めていた熱帯雨林が、その割合を有意水準程度の数字に縮小させるのに20年とかからなかった。


 その間、数にして1万を超える未発見の種が、国際動物命名規約に則り登録され、学会で名を躍らせた。そして、それを遥かに上回る50万種あまりの生物が、この地球上から姿を消した。

 そういった人間の蛮行に対する罰が下ったのかもしれない。アマゾンの再奥を切り拓いた2115年4月某日、建設現場の作業員が一斉に体調不良を訴えたことから、”それ”は始まった。40℃を超える熱発と全身の粘膜からの出血。各メディアは100年前に西アフリカで流行したエボラ出血熱の再来と報じ、医療機関も精密な検査結果が発表されるまでは同疾患に対するものと同様の対応を行った。


 エボラウイルスの感染経路は粘膜組織あるいは体液への直接接触が主で、西アフリカの事例は現地に住まう人々の公衆衛生の周知・整備が乏しい地であったがために起きたものと考えられていた(正確には咳やくしゃみといった飛沫でも感染は起きるが、エボラ出血熱では同症状は起きない)。故に、感染経路の周知・衛生環境の整備といった対応を抜かりなく行えば、感染の拡大は抑えられると、現地の認識は深刻なものではなかった。

 しかし、これが人類にとっての致命傷であった。病原体が何であるか正確になるまでは、あらゆる感染経路を対策すべきなのだが、発達した再生医療や万能といっても差し支えない抗菌薬の開発等により、この時代においては標準予防の意識が乏しくなっており、一連の対応の中で”空気感染”に対する施策が甘い節があった。


 人類に罰を与えんとする破滅の神は、その慢心を見逃しはしなかったのだ。


 最初に熱発と下血を訴え倒れた作業員が、隔離施設で苦しみの果に息を引き取る頃、大陸中の医療機関は同様の症状を訴える者で溢れかえっていた。いわゆる、アウトブレイク。後にNTAIfウイルスと名付けられた新種のウイルスは主に空気感染によってその感染範囲を拡大させ続け、感染危険地域に対する渡航・入航規制の甲斐なく、全世界に広まることとなった。


 約3年後、感染の終息宣言がなされたが、全世界に120億人いた人類は約半数の60億人へと数を減らし、政府機関・公共施設の運用もままならない事態に陥っていた。




 ------------------------------------


「せんぱーい!歩くの速いですよぉ」


 後ろから甘ったるい声が届く。振り返ると後輩の相澤が腰をかがめて足首のあたりをさすっていた。


「お前が待ち合わせに15分も遅れてくるからだ!」

「だってぇ、先輩が昨日寝かせてくれないから… 」


 相澤がぽしょりと、しかし10m離れた自分に聞こえる程度にははっきりとした声量で漏らす。


「人の往来で馬鹿をいうな。俺は取材先の勉強をちゃんとやってこいって言ったんだよ。徹夜はお前の勝手だろ」

「ひどーい!それならもっと早くに声かけてくださいよ!2日で準備とか無理です」


 相澤がむうっと頬を膨らませる。しかし、そんなあざといパフォーマンスには乗ってやらない。


「一緒に行く予定だった神崎さんに出張が入ったのは説明したろ。駄々こねるなら置いていくぞ」

「先輩の鬼ぃ!これから夫婦の役なんでしょ?もっと奥さん大事にしてくださいよ」


 ぶつくさ言いながらも追いついてきた相澤が、前髪に手櫛を当てながら見上げてくる。自分の肩口程の背丈しかない相澤の顔を見ようとすると、覗き込むようにしなければならないので、至極面倒くさい。首を殆ど動かさずに目だけを向けると、相澤は外ハネするようにアイロン掛けされたボブカットを右手で耳に掛け、「私、先輩の奥さんに見えますかね?」と聞いてきた。露わになったシルバーのピアスが太陽の光を反射して煌めく。


「そう見えてもらわなきゃ困る。本来なら取材NGなんだからな。俺達がジャーナリストって勘付かれたらすぐに放り出されるぞ」

「自然派ママの集いでしたっけ?あれって保育施設でしょ?私達まだ子作りしてませんけど」

「なんなら結婚もしてなければ恋人同士ですらないからな。そんな事は心配するな。子供は実家に預けてきたとでも言えばいい」


 相澤がつまらなさそうに唇を尖らせる。これから仕事に行くのだという自覚があるのか疑わしい限りだが、相澤が手抜きをするような性格ではない事は知っている。この間の抜けた会話も向こうで問答する際の準備、つまりは口裏合わせだろう。あらゆる状況を予測して、ミスを出さないように手配しろというのは、自分が相澤の教育担当になってから嫌という程言い聞かせてきた訓えだ。

 その訓えが効きすぎた結果「子供の名前何にしましょうかね」と言い寄られるに至って、今とても鬱陶しいのだが、準備不足を指摘してくれたのはありがたい。


「名前か。なんでもいいぞ。好きにしろ」

「うわー、家庭を顧みないTHE亭主関白って感じですね」


 少し顔を引きつらせた相澤に睨まれる。こちらからすれば、たかが潜入取材の設定作りでこんなに盛り上がれる方がドン引きだ。


「構いやしないよ。実際、嫁の働きには期待できそうにないからな。そういう設定でいこう。取り繕ってもボロが出る」

「じゃあ私は家庭を守るいい奥さんにならないとなので、お仕事は全部旦那さんにお任せしますね」

「今は共働きの時代だ馬鹿たれ」

「それじゃあただ偉そうな旦那ってだけじゃないですか!それに馬鹿って言った!パワハラですよ!パワハラ!労基に駆け込んでやる」

「どこにでも行けよ。この仕事が済んだらな」

「絶対に行ってやりますからね!先輩なんてすーぐ首チョンパですよ」


 相澤がべーっと舌を出す。今時首チョンパなんて言葉を使う奴がいることに驚きを覚えつつも、それ以上は取り合わず、歩くスピードを上げてやった。



 相澤の話に出た「自然派ママの集い」というのは、前時代的な思想を掲げ続ける保育施設の名前だ。先のパンデミックがあり、ワクチン接種を含む一次予防重視の思考が全世界中で高まったが、その傾向に反する思想というのは確実に存在し、この日本にもそういう集団が跋扈している。

 かつてこの日本の法律において予防ワクチンの接種は「義務」と定められていた。しかし、長年に渡る半ワクチン派の抗議運動により、その文言は「努力義務」へと形を変えた。これにより、ワクチンを拒絶する権利は保証され、定期検診の際に予防接種を拒否しても法的に問題はなくなり、そういった者達を罰則し接種を強制することが叶わなくなってしまった。


 これに目をつけたのが、トンデモ科学を嘯く詐欺師達で、「生活習慣を整えればウイルスには罹らない」「添加物のない食物を摂れば病気にならない」などと宣い、あまつさえ一部の現役医師すらも各地でセミナーを開催。洗脳に近い形で反ワクチン、反医療の考えを人々に浸透させ、一定の基盤を作り上げたのだ。政府はこれらの内容を書した雑誌、あるいは啓発本の類を問題視し、出版を取り締まる法案の制定を図ったが、言論の自由を奪うものと批判され可決には至らなかった(セミナーに関しては言うまでもなく無法地帯である)。


 各メディアも、疾病予防の話題において地味で印象の薄いワクチン接種より、宣伝映えする食事療法や運動療法を中心に伝えたがり、その結果としてこの日本は、乳児期の定期予防接種すら受けずに成人する者が、無視できない一定数存在してしまう事態となっている。

 幸運にもかつてのSARSウイルスや件のNTAIfウイルスの感染が報告されなかった日本は、標準予防の意識、公衆衛生の整備水準が非常に高いと評価された。しかし実際は、この国が島国であったという点が功を奏したにすぎず、国家存亡が危うくなるほどの大感染を回避できたのも、国民の意識などではなく徹底した入国管理及び規制の賜物であった。現にNTAIfウイルスのワクチンが完成し、世界が感染収束に向かってゆく流れの中で、日本国内での同ワクチンの接種率は70%を下回り、仮に一度でも国内でウイルスの感染が起きれば致命的な集団感染が起きると専門家達が警鐘を鳴らしていた程だ。


 しかし、結局国内で感染は起きず、その結果を都合良く解釈した半ワクチン派の人間達は、「やはりワクチンなど打たずとも感染はしなかった」と声高に謳い、今日もその身が病原体を運ぶ死の方舟になりうる可能性に一遍たりとも気付く事なく、社会に紛れて生活し続けている。


 呆れた連中だと、心底ため息がでる。一人で勝手に死ね、とまでは言わないが、人に危険を追っかぶせても構わないという認識は理解出来ない。元よりその認識すら持っていない者が大多数か。さて今日はその呆れた連中が一堂に会する施設、謂わば敵本陣に斬り込みにいく次第だ(実際やるのは隠密諜報活動だが)。

 週刊誌の記者になって5年。大きなヤマを経験した数は片手に収まる程で、ワイドショーを賑わせるようなヒット記事を書いたことはない。今回の取材は、ワクチン接種を是とする世論の中でどうしてそれを拒んで生きているのか、という下世話な興味から立ち上がった企画。つまり、ひやかしだ。他者を嘲る大衆娯楽の為すところ。新聞やテレビなどのメディアでは些か品がなさすぎる。自分の所属する出版社の、とりわけ悪辣な表現が目立つ雑誌に掲載される事だろう。取材される側もそれを察知したようで、半ば予想通りではあったが取材協力は素気無く断られた。ワクチンの類を信じない狂信者供は、なかなかどうして自分達への攻撃には頭が回る。


 しかし実のところ、正面から挑まずに同じ立場の人間だと偽りすり寄った方が多くの情報を持ち帰れるのではないかと、むしろ今回の展開は自分達への追い風なのだと、そう感じている。

 何しろ偽情報に踊らされ、固定観念で雁字搦めになった狂信者達を相手取るのだ。まともな価値観が通用するとは思えない。取材という形式では、初めのうちこそ恙無く進められようとも、いずれ一方が相手の言い分に耐えられなくなり、攻撃的な面を覗かせる羽目になるに違いない。頭に血が上って取材が中倒れになっては元も子もない。別に自分達は説法をしに行くわけではないのだから、こちらの言い分は表に出ない方が良い。


 その点において、入所志願者を装うという方法は実に冴えている。心を空にして相手の話を鵜呑みにしていればいいのだ。あとは反ワクチン派然とした態度で尤もらしい質問を投げ続けてやればいい。

 この案を思いついた自分を褒め称えたいところだが、取材が完遂していない今の段階ではぬか喜び甚だしく、取らぬ狸のなんとやらだ。ともあれ、まずは先方に疑われぬよう思考回路を切り替えておかなければ、口は誤魔化せてもきっと目と顔にでる。それに加えて相澤を妻とする演技までこなさねばならず、寧ろそちらの方が心配である。すぐ隣で子供の名前に悩む相澤を見て本日2回目のため息が溢れたが、こういう思考ではきっと相澤を邪険に扱いボロが出るだろう。

 苛つきを頭の外に追いやり、件の施設に向かうまでの最後の交差点を渡った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ