070.それは生還への道、あるいは自殺への扉
「世界に仇成す異端者と行動を共にしていた上、異端者の自由を主張する」
諭すような口調でミュフィルが話し出した。
「シェーンブルクさん、君は自分の置かれた状況をあまり良く理解していないようだ」
「え?」
「“ひだりが異端者であると知りつつも八賢議会に報告をしなかった”。それはつまり、“意図的に世界の歪みが深刻化することを見逃していた”、と言うことにもなる。当然、それについての言及だけでなく、処罰もあり得る。……たとえば、『星の杖』の取り上げ、あるいは賢者修行の白紙化とか」
「え? え?」
————ッ!
そんなことになれば、彼女の今までの努力が水の泡と消えてしまう! いや、それどころではないのかもしれない。自分のことを黙っていたことで、八賢議会からの目が厳しくなり、『月曜の賢者』となってからのロロットの立ち位置にも影響が出る恐れがある! 処刑こそされないだろうが、最悪、彼女もまたこの帝国に長期間幽閉されるかもしれない!
でも、そんなのは不条理だ! ロロットは確かにおれを放置していた。おれ自身やポーンについて謎を抱きつつもそこに踏み込んでは来なかった。でもそれは、おれたちの存在が世界の異変——“大いなる歪み”に関わっている可能性があることを知らなかったからだ。
無知でも罪になり得る。そんなことは百も承知だ。けれど、それでもミュフィルの口にした処罰は————
「あまりにも厳しすぎるんじゃないか? その論理で言うなら、おれと会っていながら拘束しなかったアリスやダンカークも処罰の対象だ。それでもロロットの罪だけを問うというのか?」
「異端者の意見を聞いてはいないが」
ミュフィルの瞳は相変わらず氷のように冷たかった。
「アリスさんは書面で八賢議会に報告をしているし、ダンカークさんはノエル確保に協力してくれている」
「なっ?! ダンカークのそれがありならロロットだってノエル確保に役立ってただろ!」
「それはその通りだが、しかしシェーンブルクさんは君の存在をあまりにも泳がせすぎていた。その間に、君とリンクする“世界の歪み”が拡がっていたのは確実だ。ならば、ノエルの件の功績を考慮してもなお、処罰を下さざるを得ないと私は考えるが?」
「お前……」
耐えきれず睨み付けるが、彼女の無表情は変わらない。おれに対し、何一つ感情が動いてはいなかった。
その様子のまま、彼女は口を開いて話を続ける。
「しかし彼女も賢者見習いで、言わば我々の仲間とも言える存在だ。挽回のチャンスはあってもいい」
ミュフィルの言葉に影が落ちていたロロットの顔が少し明るくなる。
が、その言葉に続けて彼女が喋った内容にロロットはもちろん、おれの顔も引きつった。
「君が異端者二人の処刑に賛成するのであれば、私は君の罪を不問にしたいと思う。……これでどうだろうか、シェーンブルクさん?」
「えっ……えと…………あの……………………」
んだよそれ。
挽回のチャンス? 笑わせるなよ!
こんなの、ただの脅迫じゃないか!
友人を守ろうとすれば自身に厳罰が下り、自身を守ろうとすれば友人が殺される。今ロロットが立たされているのはそんな地獄だ。賢者見習いであり、かつあらゆる経験がまだ未熟な彼女がミュフィルに反抗できるとも思えない。だから彼女は、どちらを選んでも報われないこの二者択一から一つを選び取るしかない。
「……………………」
「黙っていても仕方がないぞ、シェーンブルクさん。すでに二つのサインを集めた君の意見を、もう一度聞かせてくれ。君は、異端者の処刑に賛成か反対か、どちらなのかな?」
「き、汚いぞミュフィ————」
(————止めるんだ、ひだり君!)
「————————ッ!!」
唐突に、頭の中に声が響いた。自分ではない他者の声。知っている少年の声。
(はい、ひだり君が考えている通り、今君に念話で話し掛けているのは僕、ハロルドです)
そう、ハロルドだった。彼が、直接おれの頭に話し掛けている?
「何か言ったか、ひだり?」
「え、あ……いや、何でもねぇよ」
ミュフィルから声を掛けられ、おれはどもりつつ先ほど言いかけた言葉を取り消した。
(ええ、それでいいです。今あなたが彼女に反抗しても事態は良くならないでしょうから)
視線をハロルドへと移すが、彼の口は全く動いていない。それどころかおれすら見ていない。彼が見ているのはミュフィルと、彼女が顔を向けるロロットだった。
それでもなお、彼の言葉がおれに届き続ける。
(ひだり君、君に頼みがあります。シェーンブルクさんに処刑派に与するよう伝えて下さい)
は? それは要するに、おれに自殺しろって言いたいのか?
(待って待って! 話は最後まで聞いてください! シェーンブルクさんが処刑派に加わることで一旦はこの場が収まります。でも、それでひだり君たちの処刑が確定するわけではありません。ひだり君たちを処刑するかどうか、賢者たちの意見がほぼ真っ二つに分かれることになるだけですから)
それはそうだが…………それで議論が平行線になるとは思えない。議長は君かもしれないが、事実上この場を仕切っていたのはミュフィルのように思える。なら、彼女が自身の思惑通りに事を運ばせるのもそう難しくはないんじゃないか?
つまり、おれとノエルを殺す方向で話をまとめられかねないのでは?
(そんな事には絶対にさせません。大丈夫です。僕を信じて!)
初対面かつ、直接言葉を交わしてもいない人間をどう信じろと?
笑顔の仮面を貼り付け、甘言を囁く悪人には過去に会ったことがある。記憶が断片的にしかないせいで上手く思い出せないが、おそらくその経験は何度もあった。
悪いがおれは、そんなに純粋な人間じゃない。
(確かに、ひだり君の立場からすれば僕の事を信用できなくて当然だと思います。僕がどういう人間なのかも、ひだり君にはまだなにも示せてませんから。それでも…………だけれどどうか、僕の事を信じて欲しい。あなたは“大いなる歪み”へと迫れるかもしれない可能性、世界に平和を取り戻すための鍵かもしれないのだから)
……………………。
(僕は人類の守護を担う『暦法の賢者』として、貴重な存在であるあなたとノエル君をみすみす失うつもりはありません。いささか利己的で薄情な理由と受け止められるかもしれません。ですが、僕自身は信じられないとしても、賢者の責を負う者としてのこの言葉だけは信じてほしい。どうか…………っ!)
「…………ロロット」
ただでさえ色白の彼女が、より一層白い顔をしているように見えた。極度の緊張からか、彼女の呼吸はやけに浅い。
おれはまだ、ハロルドという人間を信じたわけじゃない。ただ、賢者としての彼の利己的な発言は信じられるように思えた。生かしておいた方が得だから殺させない。実に合理的で納得しやすい。それならばおれも、この場を切り抜ける方法をただ合理的に考えるだけだ。
すなわち、
「おれのために自分の修行が無駄になるようなことはするな。今は不服だろうけど、処刑派の方に付いとけ」
「————ッ! 何言ってるのひだり君。そんな冗談、全然笑えないよっ‼︎」
「こんな時に冗談なんか飛ばさねぇよ。大丈夫さ。ロロットが処刑派になったところでおれがすぐに殺されるってわけじゃない」
「でもッ‼︎」
「大丈夫、大丈夫さ。おれは殺されないとも。八賢議会は絶対におれとノエルを殺さない」
そうなんだろ、『暦法の賢者』さま?
(ひだり君…………。ええ、その通りです。僕が絶対に殺させません!)
念話によるハロルドの返答を聞き、おれはようやく笑って喋れた。
それは引きつった笑顔だっただろう。ぎこちない笑顔だっただろう。それでもハロルドの言葉を聞いたことで、おれは「おれを見殺しにしろ」という意味合いの言葉を、ひとまずの安心を持って笑って喋れた。
「杖を取り上げられた君に秘策とやらがあるとは思えないけれど、何にせよシェーンブルクさんがこちら側に付いてくれるのであれば、そんなことはただの些事。私は世界のためにも、君とノエルを見逃すつもりはない」
冷淡な声のまま、ミュフィルが再びロロットへ問う。
「さて、そろそろシェーンブルクさんの回答を聞かせてもらおうか」
「…………………………………………分かったよ、ひだり君」
数秒の無言ののち、ロロットは意を決したように唇を開いた。声はまだ震えていたが、しかし淡い水色の瞳からはすでに恐怖の色が消え去っていた。
「私はひだり君を信じる。だから、ひだり君たちの処刑に賛成します!」
「どのような考えであれ、発言には責任を持ってもらう。つまり君には、私やグリムと同じように処刑派の人間として行動してもらう。確認するが、本当にそれでよいのだな?」
「はい、大丈夫です」
「了解した。では状況は、処刑派が三人、幽閉派が三人、解放派が一人というわけだが…………ハロルドのみの解放派はともかく、処刑派と幽閉派とが双方納得して結論を出せるよう、さらに議論を重ねる必要があると思う」
「…………まあ、そうですね」
ミュフィルの言い方に引っ掛かりつつも、ハロルドはつとめて冷静な態度を保っていた。
「であれば今日はこの辺で一旦お開きにするというのはどうだろうか、議長? これからの議論にもまた、長く時間がかかることは想像に難くない。なら、可能であれば明日に回した方がよいと思われるが。もちろんその場合、ひだりとノエルの二人は逃げ出さぬよう星羅騎士団本部で拘留させていただくけれど」
「そうですね。もう陽も落ちかけていますし、議論の続きは明日、同じ時間からといたします」
ハロルドがそう宣言して会議を閉めると、傍聴していた出席者および列席していた賢者たちがこの場を去り始めた。
ロロットやジュジュ、成平、モルフォとは一週間ぶりの顔合わせであり、また先ほどのおれの「自分見捨てろ」発言もあったことから、おれとしては多少彼らと言葉を交わしたかったのだが、屈強な騎士に後ろ手にされて引っ張られたためにそれは叶わなかった。
出来たことといえば彼ら彼女らに対して目線を送ることだけ。たったこれだけでは、おれの想いなど全く伝わらんだろう。
生きるか死ぬか。
おれの命運が決すると思われた今日この日だが、賢者たちが一枚岩ではなかったことによってなんとか生き延びることができた。特に意外だったのがハロルドの擁護だろうか。彼はおれとノエルを、存在するであろう“大いなる歪み”に迫り得る鍵と見ていた。それ故におれたちを絶対に殺させないと語った。
————ちょっと待て。
落ち着いて、冷静にもう一度考えてみろ。
決して無視できない違和感がある。腑に落ちない点がある。
ハロルドの主張には疑問点がある。
彼が本当におれやノエルを守ろうとしていることは、彼の口調や言葉から伝わってきていた。でもそれならばアリスやダンカーク、海遥たちが主張している幽閉派であってもいいはずだ。
むしろその方が、おれとノエルについて調査しやすいんじゃないか? “大いなる歪み”に関する何かが早く見つかるんじゃないか?
なぜハロルドはおれたちを帝国に縛り付けるのではなく、八賢議会の監視下とはいえ自由にさせる案を推したんだ?
おれたちを鍵として“大いなる歪み”へと至る扉を開く際、おれたちを自由にさせておいた方が都合がいいからか?
ではなぜそう思った? その根拠は?
そもそも、その場合の“都合がいい”とはどういうことだ?
“大いなる歪み”という、本当に存在するのであれば最大最悪の問題に対し、解決への第一歩として利用するためにおれたちを殺させないというハロルドの『暦法の賢者』としての言葉は、人間味のあまりない冷たい理由ではあるが合理的だ。
そして合理的だからこそ、おれは彼の言葉を信じられるように思えた。
けれども、彼の語った言葉にはいまだ謎が残る。おれに話していない理由が隠されているように感じられる。
ハロルドのことを本当に信用していいかどうか。
その判断は、まだ保留にしておいた方が良さそうである。
『暦法の賢者』ハロルドに対する一抹の不安を覚えつつも、おれは騎士に連行されるままに大講堂を後にした。
つづく
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