067.偽りの『星』は闇を隠す
動植物など、生命体の突然変異による“魔獣化”現象————発生件数、判明しているだけでも三千件以上。現在も増加中。特に、広大な禁足地に隣接した東方地域において多発。加えて最近の東方の魔獣は凶暴性が増してきており、一般人の死傷事例も爆発的に増え始めている。
鬼による暴力犯罪————発生件数、約三万件。七割が北限地域、二割が南端諸島、残り一割がその他の地域。約三千件の内、約二百件は大量殺人で、小さな町や村が一夜にして滅んだ事例も少なくない。調査員の報告によれば、鬼の暴走には『黒死教団』が関与している模様。
世界の歪み————発生件数、判明しているだけで約百五十件(鬼、宝神具が内包する歪みは除く)。内、約二十件は周囲への影響が大きく深刻なもの。トリコロール連合国ブルーフォント領ロジューヌで発生した歪みもその一つ。推測の域を出ないが、禁足地内でも深刻な歪みが発生している可能性は高い。
その他、報告事項。
各地で魔獣の被害が増加しているが、魔物による被害は増えていない。魔獣と違い魔物の行動範囲は拡がっておらず、依然として禁足地の奥であることが理由のようだ。
鬼のテロリスト集団で八賢議会がその動向を監視している『moth』については、各地で点々と目撃情報があるものの鬼の暴力犯罪に関与している様子はない。
世界の歪みは発生件数が多く、英雄一人では対処が困難極まるが、ロジューヌの歪みや南端諸島の歪みなど、深刻なものから対処を進めている。小規模の所は騎士団員によって歪みが拡がらないよう特殊対応中。
居住可能区域外の禁足地調査は、主担当の『金曜の賢者』からの月次報告が滞っており進展不明。その上、当の『金曜の賢者』とも連絡が取れていない。前回報告から推測するに、現在は居住可能区域外南に位置する、全域が禁足地の大陸を調査していると考えられる。
「————以上が、八賢議会に寄せられた異変の報告となります」
一呼吸おき、ハロルドは手にしていた報告書の束を机の上に戻した。
一週間ほど前、ミュフィルに拘束された時に聞かされた話の詳細といった感じだが、数字を伴って聞かされると事態の深刻さに心臓が冷える。被害を被っている地域はどうやら北限や東方が多いようで、おれが旅してきた西方諸国は比較的安全だったらしい。
……だからこそ、今の今まで世界の異変がここまで深刻だったことに気付かなかったわけなのだが。
「議長、気になる点が一つ。鬼どもの暴走の件だが、関与している『黒死教団』というのは確か死神崇拝の、あの?」
ミュフィルの質問にはハロルドに代わり、ダンカークがいつも通りの軽い口調で答えた。
「ええ、そうよぉ。禁書『ソウルイーター』を聖典とし、“死神兎”という名の男を教祖と崇める新興の宗教団体。兎の被り物を頭にすっぽりはめている教祖に倣い、信者全員がカラスの嘴のようなマスクで顔を覆っている不気味な奴ら。それが北限を中心に活動している『黒死教団』っていう連中よ」
「流石に詳しいな、ダンカークさんは」
「バカンスでちょくちょく遠出してるけれど、これでも北限担当の賢者だからね。アタシの庭で悪い事してる子はだいたい調査済みよ」
「それは頼もしい」
「とはいえ、まだまだ謎ばかりの連中よぉ。教祖の死神兎は実際に『ソウルイーター』を所持してるって噂もあるけど、確証は出てないのよねぇ~。鬼暴走に関与してる件だって、事件が起きた場所で『黒死教団』の連中の目撃が多かったって程度だし。……まったく、頭痛の種だわぁ」
ため息を吐くダンカークに今度はアリスが質問を投げ掛ける。
「あの……鬼の暴走に『moth』が関与していないというのは本当なんでしょうか? 鬼の集団で一番危険視されている彼らが何一つ関わっていないというのが、私にはどうにも信じられなくて……」
「アタシが部下に調査させた限りだと、何にも関わってないのよ。髪の毛一本もね。でも彼らは彼らで、別の思惑で行動してるのかもしれないわよ? ほら、ついこの間だって、そこにいる九人目の賢者ノエルちゃんを捕まえようとしてたじゃなぁい?」
ダンカークが指差した事で、賢者含め大講堂にいる全員の視線がこちらへと再び向いた。どうにも居心地が悪いが、捕獲された九人目の賢者として注目の的になっているノエルに比べれば少しはマシだろう。
「『moth』の子たちがどうしてノエルちゃんを欲してたのかは分からないけれど、ノエルちゃんの入手が『黒死教団』や鬼暴走に繋がるとも思えないし。別の目的で動いていると見た方がいい気がするわ」
「別の目的、ですか……」
「ええ。それが何なのかは、皆目見当がつかないけれど」
「————丁度いいタイミングだ。クソつまんねぇ異変の状況確認は終いにして、そろそろそこにいる九人目の賢者とやらについて話を聞かせてくれねぇかァ? あーそれと、よくは分からねーがもう一人いるガキについてもな。今回の集会、あいつらが目玉なんだろ?」
ハロルドの報告やダンカークの話を終始あくびをしながら聞いていたグリムが、ここぞとばかりに声を張り上げた。皆一度は彼に目を向けたが、言葉の内容に無言の同意を示してか、すぐにまたおれとノエルの方へと顔を戻す。
議会進行の手綱を取り戻すかのように、ハロルドがわざとらしくコホンと咳払いをした。
「……グリムさんの仰る通りですね。当初予定では先に報告した内容について話し合うことが目的でしたが、今はそれを差し置いて、彼らについて話し合うことが最重要議題と考えています。なにせ彼らは、当会開催直前に捕らえられた世界に矛盾する者たち、世界にとっての脅威になりかねない者たちですから」
「きょ、脅威だなんて、そんな! ひだり君は——ッ!!」
「落ち着いて下さい、シェーンブルクさん」
ロロットがおれを擁護しようとして立ち上がったが、その抗議はハロルドの冷静な制止によって遮られた。
「まずは彼らについて判明している事をこの場で共有しておきましょう。……二人を捕らえたのは星羅騎士団でしたね。ではミュフィルさん、騎士団団長でもある貴方から報告をして頂けますか?」
「承知しました、議長。彼らを確保する前から我が騎士団は独自の調査を進めておりましたので、その情報と、確保してから今日までの一週間で新たに得た内容、その二つをまとめてご報告致します」
彼女の機械的な抑揚の無い声でまず初めに語られたのはノエルの事だった。
「金髪の方がここ最近話題になっていた九人目の賢者とされる子どもです。名前は“ノエル”といいますが、これは人に付けてもらったものであり本名ではないそうです。規格外の魔力、魔効抵抗力を有する賢者は世界に八人しか存在しないはずにもかかわらず、彼が九人目の賢者だと称される理由は彼の瞳にあります。そこの騎士よ、ノエルの眼が出席者全員に見えるよう、彼の前髪を上げなさい」
命令された騎士は短く肯定の意を示すと、やや乱暴にノエルの身体を押さえつけた。ノエルは「離せ!」だの「やめろ!」だのと騒いでいたが、所詮は子ども。屈強な騎士の前では無力であり、目元を覆い隠していた前髪は抵抗空しく掻き上げられ、彼の両の眼は衆目に晒された。
「皆さんご覧下さい、彼の目を」
「————————ッ!」
息を呑む、という表現が正しいだろう。ノエルの目について既に知っているロロットやダンカーク、そしてミュフィルを除いたこの場の全ての人間が大きく目を見開いている。彼らの目は、騎士に無理やり顔を上げさせられているノエルに釘付けになっていた。
「“エンジェライトの瞳”……じゃが、あれは……」
「あれは正真正銘の“エンジェライトの瞳”だ。現に、海遙にだって感じられるだろう? 彼の目の魔力が」
「…………まあ、の。にわかには信じがたいが、我の感覚が馬鹿になっているとも思えぬ。ならば現実として受け止めるべきなんじゃろうな。……いいや、そう簡単に納得できるものでもないが」
「納得もなにもないさ。これは現実なのだから。彼、ノエルはご覧の通りのオッドアイ。左目は若葉色の普通の瞳だが、右目は我々八賢議会と同じ“エンジェライトの瞳”だ。これこそ、彼が存在するはずの無い賢者である証です。しかし、彼についてはまだ興味深い事実があります。それは、彼には契約した『星の杖』が無い、ということです」
「『星の杖』が無いだァ? 賢者としての性質を備えていながら?」
グリムは意味が分からないといった様子だった。
「そう。不可解なことに。彼の身体を隅々まで調べても、『星の杖』と思しきものは見つからなかった。何一つな。…………ここで、もう一人の少年の事も話しておきましょう。ノエルのこの奇妙さにも関わってきますので」
日曜の賢者の言葉に、大講堂内の視線が今度はノエルからおれへと移る。
「藍色の髪の子どもが“ひだり”です。『星の杖』に酷似した謎の魔導具を所持していた少年で、騎士団がその存在を把握したのは水曜の賢者アリスから報告を受けた時です」
アリスからの報告で思い当たるのはロジューヌでの一件しかない。
ピスラが一時的に蘇ったことにより、ロジューヌには世界の歪みが発生していた。歪みを解消できるのは星羅騎士団に所属する英雄————レイヴンが契約する魔導具『理の調べ』だけ。なら、アリスがミュフィルに事の詳細を報告するのは当然だろう。
その報告におれの杖について書かれていてもおかしくはない。おれがアリスにポーンの事を聞いた時、彼女はすぐにあれが『星の杖』に似た魔導具であることに気付いていた。ポーンの存在を疑問に思い、相談も兼ねてミュフィルに報告した可能性は十分すぎるほどにある。
「彼の持つ杖は、彼が“ポーン”と称している琥珀色の大杖でした。『星の杖』と同等の魔力を秘めるそれを目にした時、我々騎士団はこの杖こそがノエルが契約した『星の杖』なのではないかと考えました。しかし…………しかし、そうではなかったのです」
「何故、そのような判断を? 話を聞く限りだと、ひだり君の所持していたポーンという杖がノエル君の『星の杖』のような感じがするのですが……」
「構造的に別物だから、よねぇ? ミュフィルちゃん?」
ハロルドの発した、誰しもが抱いたであろう疑問にダンカークが答えた。
「アタシも一度見ているけれど、ひだり君の杖はアタシたちの『星の杖』とは根本的に異なる物のように感じられたもの」
「その通りです」
ミュフィルは短く頷き、おれの近くに立っていた騎士に命令を下した。
「そこの騎士よ。この場にポーンを持ってきなさい」
「はっ!」
返事した騎士が足早に大講堂を去って行く。その様子を眺めながらミュフィルは話の続きを喋り始めた。
「ひだりが持っていたポーンなる杖は、『星の杖』に似てはいるけれど全くの別物。ダンカークさんの言うように構造自体が異なっています。まずぱっと見で分かるのが核となる宝石の違いでしょう」
「宝石の違い?」
首を傾げたロロットが机の下からいそいそと黒杖ルーナを取り出した。柄に付いている宝玉を穴が開くほどに眺めている。
「……シェーンブルクさん。君の持つその杖が、いったい何の宝石を核としているかは知っていますか?」
「い、いえ。知らないです。……おばあちゃん——じゃなくって! 祖母はそれについて何も教えてくれませんでしたから」
「ではいい機会です。この場で教えてあげましょう。君の黒杖ルーナを含め、我々賢者が所有する『星の杖』は、宝石の王様ダイヤモンドを核としています。杖によってはカラーダイヤですがね。対して、ひだりの持っていたポーンはというと、その色が示す通り——」
「ダイヤではなく、琥珀……?」
ミュフィルの言葉をロロットが遮る。彼女の方を見たミュフィルが少し口角を上げ、ゆっくりと頷き返した。
「その通りです、シェーンブルクさん。ゴールドダイヤの可能性も無くはないですが、あれは高い確率で琥珀でしょう。しかし宝石の種類以上に、ポーンには我々の杖と全く異なる重大な点があります」
「重大な点、とは何なのでしょう?」
アリスがごくりと唾を飲み込んだ。
「それは————ああ、戻ってきたようですね」
その時、大講堂の扉が再び開いた。ポーンを手に持った騎士が戻ってきて、またおれの近くへとやって来る。
「話を戻します。そこの騎士が持つ杖ポーンと、『星の杖』とが決定的に異なる重大な点とは、杖先で光るあの宝玉そのものにあります」
「宝玉そのもの、とな?」
海遙が顔をしかめた。
「つまり其の魔導具は、核である宝石自体がおかしい、と?」
「ええ。隠蔽の魔術式が組み込まれ精巧に隠されていますが、その杖、その宝石には……」
言葉を区切り、ミュフィルが騎士の持つポーンの先、宝玉を指差して微かに唇を動かす。唱えたのが果たしてどんな言葉だったのかは分からない。小声すぎておれの耳には何も聞こえなかったからだ。
だが確かに何かを唱え、魔法を発動させた。その証拠にポーンの先にくっついている宝玉は光り出し、琥珀色から無色透明へと色彩を変化させていく。そして完全に透明な球体と化した宝玉を見て、おれは目を見開いた。
その宝玉の中に入っていたもの。
それ自体をそれ自体として見たのは、もしかしたらこれが初めてかもしれない。
しかし肌で感じるこの不快感は、一度経験したことのあるもので疑いようがない。
あれは————宝玉の中にあるあれは、間違いなく————。
「“世界の歪み”が内在しているんですよ」
ミュフィルの言葉は、おれが確信したことを的確に示していた。
つづく




