064.商会のお嬢さまの可憐な恥じらい
064.商会のお嬢さまの可憐な恥じらい
「えーっと、ちょっと情報を整理させてくれます……?」
おれはテーブルに肘を付いて頭を抱えた。帝都に入ってからのこの短時間で色々ありすぎだろ。
「このお店は世界的に有名なモント商会ってところの帝都支店で、ケモ耳のお姉さんはここの支店長」
「ええ。私が支店長のベラドンナ・モンターニュ。モント商会は父が創り上げた商会よ」
黄金色の狐耳を生やした女性は弾むように答えると、顔に掛かっていた髪を耳の後ろへと掻き上げた。その動きに合わせ、ダークブラウンの長髪がふわりと揺れる。
「んでもって、ベラドンナさんはジュジュとは姉妹関係にあたる、と」
「まったく手の掛かる妹だわ、ジュリエットは」
言葉とは裏腹に、ベラドンナはどこか嬉しそうな表情だった。
「ということはつまり、なんだ? ジュジュがずっと隠していた本名ってのが“ジュリエット・モンターニュ”で? ベラドンナさんと同じくモント商会のお嬢さまでしたってことか?」
設定盛り込みすぎではなかろうか……。いやまあ、事実なのだからしょうがないのだけれど。
それにしても異世界出身者としては“ジュリエット”と聞くと、シェイクスピアのあの『ロミオとジュリエット』を真っ先に思い浮かべてしまう。有名な台詞は、「どうしてロミオはロミオなの?」というものだったか。かの作品のジュリエットは非常にお嬢さま然としており、とてもお淑やかなイメージがある。
一方で、こちらのジュリエットはというと。
「……あ、あまりわたしを見るなよ……! 正直、自分でも可憐すぎるなって思ってて。だから本名で呼ばれるのに抵抗があるんだよ…………!」
だろうなと思った。ロロットの口から語られた思い出話によれば、昔は泣き虫っ子だったようだが、今は正反対に元気いっぱいの天真爛漫だ。失礼だとは思うが、現在の姿からは多くの人が思い描くだろう“ジュリエット感”はまるで感じられない。
「他の人に“ジュジュ”って愛称で呼ばせてたのもそれが理由。本名で呼ばれると、その……なんか、ゾワッとして……だからずっと隠してたんだよ……ッ!!」
ジュジュは瞳を潤ませながら唇をきゅっと一文字に結んだ。今にも泣き出しそうな表情だったが涙は零れない。恥ずかしさに必死で耐えている様子なので、流石のおれでもからかうつもりは毛頭ない。
「それでアンクルさんの方はというと」
「法的な処罰を受けた後、世の中への贖罪の意もあってモント商会で働いているって話でしたっけ?」
おれの言葉を勝手に引き取って、成平が興味深げに尋ねた。
アンクルはロジューヌで会った時よりも晴れ晴れとしていて、ちゃんと血の通った健康そうな顔をしていた。巨大魔導具『時忘れの塔』との契約条件により寿命を縮めているはずだが、実年齢よりも若々しい今の彼の顔つきからは、むしろ寿命が延びたのではと錯覚してしまう。
「でもまた、なんでモント商会に?」
成平の質問にアンクルが照れくさそうに口を開いた。
「父が……コバルトがモント商会の会長と親しくしていて。そのツテで働かせてもらってるんですよ。えっと、僕だけでなく父もね。この支店には僕しかいないけれど」
「そうだったんですか。とにもかくにも、以前と変わらず——ああいや、以前よりもずっとお元気そうでなによりです」
「ひだり君も元気そうで。というか、君はまた随分と印象が変わったね。元々可愛らしい顔立ちをしていて女の子っぽかったけれど、今は髪を後ろで束ねているせいか、まるで本物のようだね」
おれは乾いた笑いを漏らしつつ、居心地悪く頬を掻いた。
髪を切るのは面倒臭く、かといってこのまま伸ばしっぱというのも鬱陶しい。というわけで苦肉の策としてロロットやジュジュの提案に乗りポニテにしてみたわけだが、これがどういうわけか意外と動きやすくて手入れも楽ちんだったわけで。以来ずっと髪型はポニテ固定の放置気味。
そんな体たらくぶりを思い返して、少々恥ずかしい気持ちになったのはおれだけの秘密だ。
「じゃあ今度はお姉さんの方から質問良いかな?」
「ベラ姉ぇの質問かぁ。なんか、嫌な予感するな」
「お姉さんはそんな変なこと聞きません~!」
ジュジュが不安そうに自身を抱きしめると、ベラドンナはぷくーっと頬を膨らませた。
「ジュリエットたちはどうして騎士様たちと一緒にいるの? それにそこの男の子……そうそう、その金髪の子ね。その子、手錠なんか嵌めてるし……。なにかアブナイことにでも首突っ込んでるのかしら??」
「いや、突っ込んでるっていうか、もう突っ込み終わったというか」
「この子は危険な魔導具を隠し持っている疑いがあるんですよ」
困っていたジュジュに代わり、騎士団のレイヴンが説明し始める。
「ジュリエットちゃんやひだり君たちにはこの子を捕まえるのに協力してもらって。今は騎士団本部にこの子を護送する途中だったんです」
「ええ?! そうだったんですか? じゃあ、これ以上引き留めない方がいいですよね、きっと」
「そうっすね。もてなしていただいて恐縮ですが、我々としても一応、この子を送り届けるまでは任務の途中ってことになるので」
「そっかそっか。私ったらまた人様の事も考えずに。ほんと、お時間とらせてしまってすみません」
慌てて頭を下げるベラドンナ。申し訳なさそうにしている彼女に、レイヴンはすかさず頭を上げるよう促した。
「いえいえ。なんだか久しぶりに妹さんに会えたみたいでしたし、俺らとしても美味しいお茶が飲めましたから。なあ、アンドリュー?」
「はい。よい小休憩になりました。だからそんなに気にしないで下さい、ベラドンナさん」
表情筋の乏しいアンドリューが、僅かではあったが口角を上げて答えた。彼なりの笑顔というやつだろう。不器用なことで。
「じゃ、改めて騎士団本部に向かうとしますか」
レイヴンの掛け声に、おれたちはよっこいせと席を立つ。
「ジュリエット! 皆さん!」
モント商会帝都支店から出て行こうと玄関に足を掛けた時、呼び止めるベラドンナの声が背後から聞こえた。
「私のお店、二階は居住スペースになってるんです。騎士のお二人は宿舎があるんでしょうけど、きっと他の皆さんは泊まる場所がないと思うから。だから、用事が済んだら戻ってきて下さい!」
「え? それって……!」
ロロットが小さく驚いた。
「はい。帝都にいる間は是非ともこちらに泊まって下さい。空き部屋もありますので。あっ! でもでも、お店の方を手伝っていただけるのであれば、というのが条件ですが」
「ほ、本当に良いんですか?! 私たち、五人もいるんですけど」
「もちろんですっ! 私も、もっとジュリエットとゆっくりお話ししたいですし」
ロロットの確認に、ベラドンナは満面の笑みで答えた。
彼女の申し出はとてもありがたい。帝国の首都というだけに、宿代も馬鹿にならないだろうなとゲンナリしていたのだが、条件付きとはいえここに泊まらせて貰えるなんて。われわれとしてもお言葉に甘えない理由はない。
「ありがとうございます。是非とも、ここに滞在させて下さい! お店の方もしっかりお手伝い致しますので! もちろん、ジュリエットが」
「——って、なんでわたしだけなんだよ! お前も手伝うんだぞ、ひだりッ! つーか、本名を知ったからって気軽に“ジュリエット”って呼ぶな、バカッ!!」
パシィンッと、後頭部を思いっきり叩かれた。
先ほど『ジュジュを本名でからかわない』と言ったが、割とすぐに破ってしまった。まあ、本人ももう恥じらいは引っ込んでるみたいだし、問題ないだろう。
「ほら行くよ、ジュジュ~! ひだり君~!」
ロロットに催促されたので、おれはベラドンナさんに手を振り、ジュジュにポカポカと叩かれながら内壁の方へと再び歩き出した。この後に待つ怒濤の展開なんて露知らず、ただ単に帝都で待っているであろう楽しい日々に胸を踊らせながら。
この時のおれには全く想像できなかったのだ。この楽しい異世界旅行の日常が、ロロットたちとの騒がしくも平穏な日々が、もうすぐ終わりを迎える————そんな、馬鹿げた被害妄想なんて。
そんな、この世の不条理なんて。
全く、何一つ。
想像の範囲外だった。
つづく




