054.カエル姿の来訪者
「おやおや。こんなテカテカお肌のよぼよぼ爺さんに、島の子ども以外の来客とは、珍しいのぉ。ゲコゲコリ」
人の手の加わっていないジャングルの奥、ぽっかりと口を開けた洞窟の中にゲコ爺の家はあった。カエルには心地よいのだろうが、じめじめとした湿気溢れる空気は雑巾を暖めたような臭いがして少し気分が悪くなりそうだ。
「お久しぶりです、ゲコ爺」
「むおっ!? 暗くてよく見えんかったが、この声は成平ではないか! 久しいのぉ」
「はい、成平です。桜都で会って以来ですね。あの時は僕もまだ子どもで」
「懐かしいのぉ。東方一の大都市、桜都に遊びに行った日のことは今でも鮮明に覚えておるぞ。着物に身を包んだ女子が街を行く姿はたまらんかった。う~む、もう一度拝みたいもんじゃのぉ」
成平の挨拶に朗らかに返すゲコ爺は、姿こそただのアマガエルだが、喋り方から感じられる人柄はどこにでもいそうなひょうきんな爺様といった感じだった。ゲコ爺は孫に会ったときのような目で成平を見た後、今度は、「おや? そちらにいるのは……」と呟いてモルフォの方に視線を向けた。見られていることに気付いたモルフォがスカートの裾を少し持ち上げて軽くお辞儀をする。
「ほほぅ、もしや、モルフォちゃんではないか?」
「ええ。その節は本当にお世話になりました」
「あれ? モルフォもゲコ爺とは知り合いだったのか? でもこの島には初めて来たって感じだったような」
「この島に来たのはこれが初めてよ」
ゲコ爺とモルフォの関係に疑問を持ったおれに、彼女は簡単に説明をしてくれた。
「ただ、私も以前ゲコ爺とは会ったことがあるのよ。とある魔導具を探していた時にね。とても助けていただいたわ」
「ありゃあシードロップのあたりじゃったかのぅ? ちょっと記憶が曖昧じゃが……なに、わしは大した助言はしておらんよ。モルフォちゃんが優秀なだけじゃけぇの!」
「ありがとうございます」とモルフォが嬉しそうに微笑む。まさか成平以外にも喋るカエルと接点のある人物がいるとはな。というか、
「知り合いだったんなら先に言えよ!」
「ごめんなさいね。でも、言ったってしょうがないじゃない? 私もこの島のどこにいらっしゃるのかなんて知らなかったし、『ペナビゲーター』も使えない時だったし。伝えていても多分なんの助けにもならなかったわよ」
確かにそうかもしれない。おれたちはゲコ爺が物知りであり、成平の知人であるという情報から彼を訪ねることにしたのだ。方針が決まってからモルフォとゲコ爺の関係について知ったとしても、それがおれたちにとって得になるわけでもない。ましてや彼女の魔導具に頼れないとなれば、理屈としてはもっともだ。
「にしてもさー、隠すことなかったんじゃない? わたし結構ビックリだったよ! 思わず尻尾動いちゃった」
「女には秘密の一つや二つ、あった方がいいのよ。ミステリアスで魅力的に見えるわ。ま、ジュジュにもそのうち分かるわよ!」
そう言って、モルフォは意味深なウインクをジュジュに向けて放つのだった。彼女の言う通り、秘密を抱えている女性は男性にとって魅力的に映るものだ。だが、ゲコ爺のことを隠していてもオンナとしての魅力に繋がるとは思えない。だって爬虫類に関する秘密なんて、爬虫類好きの男子にしか響かないだろうし。
「さてと。お喋りはこのくらいにしてー」
モルフォが両手をパンと合わせると、その音は洞窟内に反響して幾重にもこだました。彼女の流し目を受けたロロットが、わざとらしい咳払いを一つし、ゲコ爺に喋り掛ける。
「ええっと、はじめまして! 私は『月曜の賢者』見習いのロロットと言います。私たちは、あの、ゲコ爺さんに聞きたいことがあって、今日はお伺いしました!」
「賢者見習いのお嬢ちゃんが、わしに聞きたいこととな? はてはて。それはもしや……今このユオニ島に隠れ潜んでおる九人目の賢者についてのことじゃろうか?」
「は、はいっ! やはり、ゲコ爺さんは九人目の賢者についてお詳しいのですか?! 私たち、彼を捕まえなくちゃいけなくてユオニ島に来たんです。というか、やっぱり九人目の賢者は実在するんですか?!」
「おお、おお、そう急くでない。順番に答えるでなぁ」
成平の読み通り、九人目の賢者について確かな情報を持っていそうな様子のゲコ爺に、ロロットは早口でまくし立てた。身を乗り出すその喰い気味な姿勢に、お年を召した爬虫類はたじたじである。
「さて、まずは九人目の賢者が本当にいるのっちゅーことじゃったな。ま、結論から言うと確かにおるぞ。島でわしと仲良くしとくれとる動物たちも多数目撃しとるし、わしも間近で見たことあるしな」
「本当ですか!」
「というか、わし、その子を介抱したんじゃよ。なにせジャングルの奥深くで行き倒れておったからのぅ」
「ええ?!」
ロロットのリアクションも忙しい。それもこれも、この老ガエルが人の反応を楽しみながら喋っているせいであるが。
「ぼさぼさの金髪に汚れの目立つ麻の服を着ておってなぁ。魔力の宿った蒼い目——“エンジェライトの瞳”と言うんじゃったかのぅ? 片眼だけではあったが、その目で睨んできて。ま、酷く衰弱していたからそやつの警戒なぞ気にせず、動物たちにここまで運ばせたがの」
「ちょっと待って! 九人目の“エンジェライトの瞳”は片眼だけというのはどういう意味かしら?」
モルフォの疑問はもっともだ。“エンジェライトの瞳”とは、宝石と同じように魔力を帯びている蒼い眼のことだ。それは賢者の特徴で、ロロットもアリスもあのオカマ野郎であるダンカークも、両方の瞳が淡い水色をしていた。
それが片眼だけ? ゲコ爺はただの青い目と“エンジェライトの瞳”を見間違えたのではないのか? モルフォと同じ疑問はおれの中にも浮かんでいた。
「言葉通りの意味じゃよ。あの子——ああ、保護したときに名前がないっちゅうんで、わしが『ノエル』と言う名前を付けてあげたんじゃが——ノエルはの、オッドアイなんじゃ。長い前髪で左目を隠していたがの。右目は“エンジェライトの瞳”じゃったが、左目は若葉色の普通の瞳をしておった。不思議なもんじゃ」
「それ、ゲコ爺の見間違いってことはないのか? 普通は両方とも“エンジェライトの瞳”なんだろう、賢者様ってのは」
にわかには信じがたい特徴だが。
「いんや。あれは確かに“エンジェライトの瞳”じゃったよ。普通の青い眼ならば魔力なぞ秘めておらんからな。そこは断言できる。どういう理屈でノエルが片眼だけ“エンジェライトの瞳”なのかは知らないが、現にそうだったからには受け入れるしかあるまいて」
「ホントに本当なのか……そこも含めて例外の賢者様ってことか?」
「ま、会えば分かるじゃろう。ええっと、君は……」
ゲコ爺がおれを見て口籠もる。おれはそのわけにピンと気付き、「ひだりだ」と短く自分の名前を答えた。
「うむ。ま、ノエルもひだり君と同じくらいの男の子だし、もしかしたら意気投合して眼のことも教えてくれるかもしれんぞ?」
教えてくれるかも、とゲコ爺は簡単に言うが、自分の名前すらも分からなかった子どもなのだろう? そんな子が、自分の眼のことについて何かを知っている、覚えているということはあまり期待できそうにない。
「他にはなんか知らないのぉ、ゲコ爺。ノエル君を探す手掛かりになること」
「う~む、そう言われてものぅ。フィオよ、具体的にどういった情報があれば役に立つんじゃ? わしが知っているノエルの外見的特徴は今話したことくらいじゃぞ?」
「どんなのが役立つか? はぉ……それは、えっとねぇ~」
褐色の頬をぽりぽりと掻き、フィオはモルフォの方をちらっと伺った。少女の視線に気付いたモルフォが、ノエルを探すのに役立つ情報についてゲコ爺に伝える。
「性格、とな?」
「ええ。そういった内面的特徴も私の魔導具で探すときには役に立つので」
「とはゆうても、わしも介抱したときに少し会話をした程度じゃからの。そこから言えることと言えば……」
ゲコ爺は喉袋を二、三度膨らませてから、短い一言を口にした。
「愛想がないの」
「愛想がない、ですか」
オウム返しをするモルフォに、ゲコ爺は喉袋を膨らませて答える。
「ぶっきらぼうで常にわしを睨んでおったわ。口調も荒々しくてなぁ。こう言っちゃあなんだが、ありゃクソガキ言うやつだったわ。ま、わしの洞窟を出て行く最後の時にはちゃんと『ありがとう』とお礼を言ってきたから、根っからの悪ガキっちゅうわけでもないようじゃったがな」
「ふ~ん。あれか? いわゆる“ツンデレ”っていうやつか?」
「“つんでれ”とはなんじゃ?」
ジュジュの言葉にゲコ爺は首を傾げた。
「初めて聞く言葉じゃが、なんかこう、胸のときめく響きじゃのぅ。ゲコゲコ」
“ツンデレ”の響きだけでその何たるかを本能的に感じたらしい。確かに、ツンデレは可愛くて魅力的だ。この爺さんは中々に良い勘をしている。
「これで本当にわしから伝えられることは全部伝えたんじゃが……」
ゲコ爺は洞窟内を訪れたおれたちをぐるりと見回す。最後にモルフォへと視線を戻し、「お役に立てたかの?」と、再び首を傾げた。
「はい。とても有益な話が聞けました。これでより正確に九人目の居場所を探れそうです」
「うむ。それはよかったわい」
「んじゃあ、そろそろ村に戻ろうか~。もうゲコ爺には用なんてないだろうし」
「用済みとは酷い扱いじゃのう。おぬしはわしの所にしょっちゅう来とるじゃないか、フィオ」
「それはそれ、これはこれだよ」
フィオが大きなあくびを一つする。
「でも実際話は済んだっしょ? なら用済みに変わりないってぇ」
「いやだからその言い方がじゃのぅ……あ~……待った」
ゲコ爺の緑の前足が順番に三人の人間を指し示す。
「成平とモルフォちゃん、それからひだり君の三人はちょっとばかし残ってもらえるか?」
「おれも個人的にゲコ爺に聞きたいことがあったから残るのは構わないが、ゲコ爺もおれたちに何か聞きたいことでもあるのか?」
「ちょっとばかしの昔話と、個人的に聞きたいことがあるんじゃよ、その三人にはな。ほら、昔のわしがいくらイケイケドンドンの男前だったとしてもこんな大勢の前じゃとな、ちと恥ずかしいんじゃよ。羞恥心でゆでだこ——ではないな。ゆでガエルになっちまうので、質問したいことのある三人だけ残って欲しいんじゃ」
イケイケドンドンって。小さいカエル姿とはいえ、流石ご老人だ。今もなお死語を使いこなしているようで。
「そっか。ならわたしたちは先に船に戻ってようよ! 親切に話をしてくれたゲコ爺を困らせるのもかわいそーだしさ。それでいいだろ? ロロット、フィオ?」
「私はそれで大丈夫だよ。ゲコ爺を困らせたくないのは私も同じだし」
「それじゃあ、私らは船に戻ってよっかぁ。じゃ、また来るぜぃゲコ爺~」
ふにゃふにゃと手を振るフィオにゲコ爺は嬉しそうに鳴いて答えた。おれもロロットやジュジュに手を振って送り出す。彼女たちはにこっと笑って手を振り返すと、おれたちに背中を向けて洞窟を後にしていった。
「さて、と。成平ともモルフォちゃんとも本当に久々に会うので、昔話に花を咲かせたいのは山々じゃが……」
ゲコ爺は先ほどと打って変わって声音を低くし、おれに真っ直ぐ目を向けて喋り始めた。
「折角の“来訪者”じゃ。もっと踏み込んだ話をしようかと思う」
「————え?」
おれはまだ、ゲコ爺に自分が来訪者であることは伝えていない。同様に、ゲコ爺が来訪者だとおれが知っているということも伝えていない。それなのに、このご老人はおれの正体について知っているようだった。
前に成平が言っていた、“来訪者特有の気配”というものを、ゲコ爺も感じているのだろうか? 残念ながら、おれにはまだその気配を感じ分けることはできていないのだが、果たして……?
つづく




