053.南国バカンスは突然に
九人目の賢者について有力な情報を持っているらしい喋るカエルこと、ゲコ爺。無人島に一人で暮らす彼、いや、一匹で暮らす彼に会おうとイーオ村を訪れたおれたちだったが、宿屋の看板娘が言うには彼は終日出かけているとか。
こうして唐突に暇を持て余したおれたちは、看板娘の提案でユオニ島初日は休養日に当てることにし、今海に遊びに来ているというわけだ。
「いやぁ〜今日はいっぱい遊んだねぇ〜。どぉよ、ユオニ島の海は。キレイっしょ」
燃えるように輝く夕陽が水平線に沈んでもなお、まだ鮮やかな茜色に染まった空と海をバックに、宿屋の看板娘であるフィオが微笑んだ。控えめな胸にくびれのあまりない腰回りという年齢相応の幼児体型の割に、ゼブラ柄のタンキニの水着を着こなしているのが、現地在住の女の子らしい大胆さだ。
「サイッッッコーだよ、フィオちゃん! こうして夕日が沈むのも見れたし。もう思い残すことはないよ〜」
満面の笑みでそう返すロロットの頬には、夕陽のせいではない朱色がほのかに差していた。とても充実した時間を過ごせたのだろう。きっとまだ、興奮が収まっていないのだ。しかしロロットよ、「思い残すこと」はあるだろう。おれたちにはこの島に来た大事な理由があるじゃないか。
「何言ってんだよロロット〜! まだ美味しいゴハンを食べてないじゃんか。南端諸島の絶品グルメを食して初めて、”思い残すことがない”って状態になるんだぞ!」
ジュジュが自信ありげに言い、ロロットが「そっかぁ〜」と返答する。違う、そうじゃないだろ。いや、確かにあの宿のご飯は美味しいとのことなので、それが楽しみではないというと嘘になるが、しかしそれではない。
「あなたたち、南の島を満喫するのも良いけれど、大切なことを忘れてるんじゃない?」
「た、大切なこと……?」「なんだ、それ?」
浮かれた様子の少女たちは、モルフォの言葉に首を傾げる。大きな赤い花のアクセを着けた頭がワザとらしく下を向き、モルフォは小さくため息をついた。
「い〜い、あなたたち! 大切なことと言えば……」
「大切なことと言えば……?」
ジュジュがごくんと唾を飲み込む。そうだ。遊び呆けている二人に言ってやれモルフォ。
「夜空を彩る満点の星々を眺めることに決まってるじゃないっ!」
………………いやモルフォ、それも違うのでは?
「ここは南の島よ! 大都市部のように夜でもそこかしこが明るいなんてことはないわ。だから辺りは真っ暗で星の光を邪魔するものは何もない。つまりっ! 最っ高に綺麗な星空を見ることができるってことよ!」
「そ、そういうことか! なるほど、それは確かに要チェックだね。あっ! 流れ星とか見れるのかなぁ?」
「見れるかもしれないわね。なにせここは南の島だから! ロロットは流れ星見つけたら何かお願いごとするのかしら?」
「お願いかぁ。う〜ん……無事にサインを三つ集めて立派な賢者になること……? むぅ、でも流れてる間に三回もお願いできそうにないしな〜。もっとシンプルな言葉の方が——」
「とりあえず、宿に戻ろうか。僕はもうお腹がぺこぺこでさ」
女子たちの止まらないお喋りを成平が遮り、おれたちはフィオの宿屋へと帰り始めた。
足の裏で感じる砂浜の感触が心地よい。昼間はサンダルがないと暑くて歩けない程だったが、陽の落ちた今は微かな熱を帯びているだけであり、伝わってくる温もりがなぜか寂しさを想起させた。
宿で出された夕食は評判通りで、お皿に山のように盛られた海鮮料理は絶品だった。料理を口に運ぶ手は止まることを知らず、また食事の席でもおれたちとフィオとの会話の花は枯れることがなかった。
夕食後、シャワーを浴びて再び海辺へと戻ってきたおれたちを、夜空を埋め尽くすかのような無数の星々が出迎えた。それはモルフォの想像を遥かに超える景色だったようで、彼女は幼い子供のように目をキラキラと輝かせて星の瞬く空を仰ぎ見ていた。
「すっごい綺麗だね! 私、こんな綺麗な星空は初めて見たよ!」
「あっ! 今流れ星見えた! ロロット、フィオ、今っ! 流れ星っ‼︎」
「はぉ……そんなに喜んでもらえると、なんだか連れてきた私も嬉しくなってくるよぉ。ああ、こらぁジュジュ〜。そんな肩をバシバシ叩かなくてもいいって〜。見る、見るからぁ。どこだよぉ」
はしゃぐロロットとジュジュはさっきから感嘆の声を上げてばかりで、そんな彼女たちにフィオがちょっと振り回されている。まったく忙しないねぇこの子たちは。でも彼女たちはとっても楽しそうで、フィオじゃないけれど、その様子にこっちまで嬉しくなってくる。
「こうしてのんびりした一日を過ごすというのも、なかなかいいものだね」
「悔しいが成平に同感だ」
「明日からはまた忙しい日々が始まるんだろうね。ゲコ爺に会って、九人目の捜索を始めてさ」
「そうしたら、今日みたいに海で遊んだり、夜に星を見に来るなんて余裕はなくなっちまうのかもな。時間的にも、精神的にも」
おれは首が痛くなって、上げていた顔を元に戻した。星々の輝きに照らされて微かに光る海の様子が視界に入ってくる。規則正しい波の音に混じって、「それは残念だね」という成平の声が耳に届いた。
「でも、まあ。九人目を無事に捕まえたらまた見に来ればいいだろ。いや、星を見るだけじゃない。全部終わったら、また一日海で遊べばいいさ。お疲れ様会ってことでさ」
「どうしたの?」
成平が驚いた声を出した。
「ひだり君がそんなことを言うなんて、なんだか珍しいね」
「そうか? ……いや、そうかもな。この旅が始まってから今日まで、なんだかんだで忙しかったから。ロジューヌでは緊張感が続く毎日だったし、この島までの道程も移動ばかりの日々だったし」
「そう考えると、こうやってゆっくりするのって初めてなのかもしれないね」
「だな。昼間はゲコ爺についての聞き込みで心に大ダメージを喰らったおれだが、しかし楽しそうに遊ぶロロットやジュジュ、思いっきり羽を伸ばしていたモルフォを見ていて、おれも気分が晴れたよ」
おれは天に向けて両腕を伸ばし、そのあとに少し首を回した。凝り固まっていた肩がほぐれて気持ちがいい。本当に、今日は良い休日を過ごすことができたと思う。そしてまた、みんなでこうやって楽しい日を過ごせれば良いなと、少し小っ恥ずかしいけれど思えてしまう。
「さてと! もう夜も遅くなってきたし、宿に戻ろう」
成平の呼びかけでおれは彼を振り返った。彼は離れたところではしゃぐ少女たちの方を指差して言葉を続ける。
「向こうでキャーキャー言ってるロロットちゃんたちにも声を掛けてくるから、あそこのところで待っててくれ」
成平はおれの返答を待たず、ロロットたちのいるところへと歩き出した。答えは聞かずとも分かる、とでも言いたいのか。チャラ男らしいキザなことをしてくれる。
明日はいよいよゲコ爺とのご対面だ。九人目の情報はもちろんだが、ゲコ爺はおれと同じ“来訪者”だ。聞きたいことは山ほどある。
ただ、数ある質問の中でも一番彼に聞いてみたいと思っているのは、サントレアに向かう途中で見つけた物騒な文言の並ぶ奇妙な紙切れについてだ。あそこには”日本”や“米国”など、おれの元いた世界に関わる言葉が書かれていた。ここは異世界であるはずなのに、だ。あれが一体何なのか、ゲコ爺なら何か知っているのかもしれない。
おれはロロットたちがこちらにやってくる間にもう一度星空を見上げた。宝石のように美しく輝く星の一つが、もしかしたらおれの元いた世界なのかもしれないなと、チープなSF映画の設定のようなことが頭に浮かんだ。
「はぉ……到着したよ〜。ここがゲコ爺のいる島さ。とても小さいけどねぇ」
「よし、ついに到着か!」
翌日、おれたちはフィオの操る小型の木造ボートに揺られてユオニ島近海の無人島へと繰り出した。来訪者であり、物知りな老人と評判の喋るカエルに会うためだ。
「おっ! ひだり、いつにも増してやる気に満ち溢れてんじゃん!」
「きっと髪の毛をポニテにしてあげたからだよ、ジュジュ! 可愛さがひだり君の力になってるんだよっ!」
「ならねぇよ! おれにそんな設定はない!」
今朝、おれは寝ぐせのついた髪の毛をロロットとジュジュに見苦しいと言われ、抵抗むなしくポニテにさせられていた。伸びて長くなったとはいえ、女の子基準で考えればまだ短い方。そのため、尻尾の短いポニテになっている。
最初はかなり嫌だったのだが、まとめてみると鬱陶しさが減り思ったよりも快適だった。なるほど、女子が運動する時にポニテにするのはかなり理に適っているらしい。そのことを異世界で身を以て実感することになるとは思ってもみなかった。以来、この無人島に足を付ける今この瞬間まで、おれはポニテ姿で過ごしている。
「船漕いでっ時にも言ったけど、周囲には警戒して進めよー、そこのおじょーさん」
ロロットとジュジュと同じようにフィオもまたおれをからかってくる。ま、軽口を言われるくらいには親しみを持たれているという風に解釈しておこう。
「お嬢さん、じゃなくて、お兄さん、な! お、に、い、さ、んっ!」
「どうみても私より年下だろ、おまえ」とフィオに正論を言われるが、彼女のその言葉に特に反応するつもりはなかった。
「まー、とにかく気を付けな。どこに“鬼”がいるかも分かんないし、こんな無人島にまでは帝国の騎士様だって巡回で来ないだろうしさぁ。自分らの命は自分らで守らんとね〜」
「ご忠告ありがとう、フィオ。道中は私とロロットが注意を向けておくわ」
モルフォの目配せに、ロロットが小さく頷く。
「もしもの時はおれがすぐに障壁魔法を展開するよ。毎日の修行のおかげでここ最近はちゃんと魔法として使えるようになったしな。まあ、六人をまとめて守れるほどでかい結界は張れないけど」
紐を括り付けて背負えるようにした杖を、おれはわざとらしく揺らした。ロジューヌの一件を片付けてからもおれは毎朝の魔法練習を欠かさなかった。相変わらず障壁魔法以外の魔法はてんで発動できなかったが、それでも防壁の膜をおれ以外のものの周囲に張れるようになったし、魔力や魔効抵抗力のコントロール技術も格段に上がっていた。そして不思議なことに、杖の扱いも何故か上達していた。前よりも軽く感じるのだ。
もうおれは一、二ヶ月前の何もできない役立たずではない。まだ賢者には劣るが、それでも一端の魔術師くらいには魔法を使いこなせるようになっている。今のおれならば、魔獣と出くわしてもそこそこ立ち回れるはずだ。
「それは吉報だ。でも、“鬼”なんていう危険人物には出会わないに越したことはないからね。戦闘では何もできない僕だけど、せめて無事にゲコ爺の元に辿り着けるよう祈りながら歩くことにするよ」
「ああ、テキトーに祈っててくれ」
おれは成平に棒読みで返答をする。
イーオ村を出発する前、宿で朝ごはんを食べている時に、フィオはこのユオニ島で今起きている厄介なことを教えてくれた。島の全域で人や獣が襲われる事件が多発し、怪我人だけでなく死者も出ているというのだ。
“鬼”がこの島を荒らし回っている————。
その噂を聞きつけ、事件を解決しにわざわざヘリアポリス帝国から騎士団が何名か派遣されてきたのだが、未だ解決に至らず被害は広がるばかりであった。
“鬼”とは、宝神具と呼ばれる危険な魔導具と契約を交わした者のことなのだとモルフォが教えてくれた。狂気を内に孕み、契約者に賢者にも劣らないほどの絶大な魔力をもたらすとされる宝神具。それは、特化魔導具でも汎用魔導具でもない、第三種の魔導具であり、人が絶対に手を出してはいけない禁忌の魔導具なのだそうだ。
「そんな超危険なヤバい奴がユオニ島近辺に潜んでいる、か……」
おれは誰にも聞こえないよう、ぼそりと呟いた。
噂では、その鬼は何かを探し求めているらしい。ここら辺に隠された何かを。凶悪な魔導具を手にした化け物が求めるものといえば、すぐに頭に浮かぶのは自身をさらに強化する莫大な魔力のあるものだ。その条件に合うものは…………。
「九人目の賢者と、何も関係がないといいんだがな」
口をついて出た言葉が、ジャングルの奥へと溶けて消えていく。予感が的中しないことを祈りつつ、おれはフィオに続いて鬱蒼と覆い茂る植物の世界へと歩を進め始めた。
つづく




