004.賢者に会いに行く旅へ
駅前の広場は開けていて街の中でも一、二を争うくらいに賑わっていた。駅舎は白を基調とした煉瓦造りであり、オレンジ色の屋根が青空に映えている。
「ここから、トリコロール連合国ってとこに向かうんだっけ?」
道中聞かされた説明を軽く受け流していたため、いまいち地名などを把握し切れていなかった。今いるこの国は何と言ったかな。確か“シェ”から始まっていたと思うのだが、残念ながら思い出すことができない。
昔から地名を覚えるのは苦手な方だった、と思う。断片的な記憶を探ってみると、中学時代の地理の成績は酷い有様だった、ような気がする。断言できないから信憑性は低いが、ついさっき聞かされた名前すらもう出てこないことが、なににも勝る証拠かもしれない。
「そうだよ。シェルバ公国の隣で鉄道も通っているから、最初に行く場所はここにしよう! って旅の前から思ってたんだぁ」
「最初? ってことは、修行の旅ってマジで始まったばかりだったのか!」
驚いて後ろを振り返ると、ロロットはきょとんとしていた。「あれ? 言ってなかったっけ?」とでも言いたそうな表情をして、小首を傾げている。
「シェルバ公国はロロットの国だからな。まだまだ序盤の序盤だよ」
「べ、別に私の国ってわけじゃあ……」
少しくせっ毛な銀髪をなびかせながら、ジュジュはロロットを追い越していく。おれをも追い抜いた彼女は、セミロングの髪とご自慢のもふもふの尻尾を大きく揺らしながら、こちらを振り返ってニコッとした。
「だって、ロロットはここのお姫様じゃん」
ん? ヒメ? 姫路城の『姫』と書いて、ひめ?
「はああああ⁈ おま、お前、お姫様だったの?」
「大公の娘ってだけだから、別に姫ってわけじゃあ——」
「マジで姫じゃねーかっ!」
「は、話を聞いてよぉ~」
ああ、なるほど。そういうことか。どうしたらこんな子ども二人だけで旅に出られたのか不思議に思っていたが、今その疑問が晴れた。おそらくだが、大公の娘であるロロットにはかなりの額の資金が渡されているのだろう。それで旅費に困らないというわけだ。
彼女たち自身の安全面を考えると大金を渡しておくのはどうかと思うが、賢者見習いであるロロットはきっととんでもなく強いのだろう。でなければ、大公様は放任主義すぎる気がする。
「というか今更なんだけど、この旅の目的って何なんだ? 何をどうすれば一人前の賢者とやらになれるわけ?」
「あーそっか。そのことも全く説明してなかったね」
彼女たちの旅の目的——最終的にどこに行くこと、あるいはどうなることがこの旅のゴールなのか、そのことをおれは伝えられていなかった。半ば強制的とはいえ、これから一緒に旅をしていくことになるのだ。ここら辺できちんとロロットには説明してもらわなければ。
「私たちの旅はね、一言で言うと賢者を訪ね歩く旅なんだよ!」
おれの問いに対し、彼女はまずそう答えたのだった。彼女から目をそらさず、おれは話の続きを促す。
「賢者を訪ね歩いて自分を認めてもらい、その証としてのサインを頂く。八人いる賢者の内、三人から無事にサインを貰った時、賢者見習いは一人前の賢者として世界に認めて貰えるんだよ。だから私の旅の目的は、三人の賢者に会ってサインを貰うこと!」
「ふ〜ん。賢者に会いに行く旅、か……」
ロロットが語ってくれた内容は自分にとっても有益なことであった。彼女たちに付いていけば、自分の目的も達成しやすい。その確信を得ることができたのだから。
「そんな話はいいからさ~。早く中に入ろうよ!」
会話を聞いていたジュジュはそう声を掛けると、おれやロロットの言葉を待たずに駅舎の大きな入り口へと駆けていった。駅前は馬車用のロータリーになっており、それを囲むように歩道が造られている。そのため、走るジュジュも歩道に沿って半円を描くように移動していくが、彼女は運動神経がいいのだろう。その速度はなかなかに速い。一応おれもロロットも駆け足で追いかけてはいるが、追いつきそうにはなかった。
ジュジュは駅舎に入ってすぐの所で待っていた。「遅いおそい!」と言ったときの声の調子や、にこやかな顔とキラキラとした瞳を見るに、これから本格的に始まる旅に対してのワクワクを押さえ切れていない様子だった。
分かりやすい娘だな。別に動物の耳が頭の上に付いているから思ったことではないのだが、この子はどことなく犬に似ていると思う。ただし、耳の形だけを見れば犬というよりかはどちらかというと狐だし、嬉しいときに尻尾がピーンと立っているのは猫っぽいけれど。
「えっと……あの真ん中の掲示板を見ればいいんだよな、ジュジュ?」
「ん~、でも人が多すぎてあっちまで行くの大変そうだなぁ」
おれは駅構内の中心へと視線を向けていた。視界の中心に位置するのは、大きな掲示板である。普通に考えて、あそこには列車の発着時刻や運行情報が掲載されていると思われる。あの掲示板の周りにたくさんの人だかりができているのも、彼らがそれらの情報を確認しようとしているからであろう。だがしかし、それにしては人が多すぎるような気もする。
「発車時刻までまだ時間があるし、椅子に座ってちょっと待ってみる?」
そう提案したのはロロットだった。あの人だかりはそう簡単になくなりそうにはない。
「待てば多少は人が捌けるか」
確かに、彼女の提案はもっともであった。今いるところから右手の方に見えているベンチもちょうど空いていることだし、彼女の考えに反対する理由は特になかった。ま、おれがこんな風にちょっと考えている間にも、ジュジュは「たしかに!」と言って、すぐにその空いているベンチに向かって歩き出していたのだが。あの娘は本当に行動に移すのが速い。
「さてと。じゃあ、わたし何か飲み物買ってくるよ! 何がいい?」
ベンチのもとに着くなり、自身の黒いリュックをドサッと置いたジュジュがそう訊いてきた。リュックの小さなポケットから財布を取り出そうとしている。
「私はミルクティーがいいな。あったかいの!」
ロロットは言いながら小銭をジュジュに渡した。受け取った彼女は、リュックから取り出したひよこ印のがま口にそれをしまう。
ジュジュがおれの方に顔を向けた。
「アイスコーヒーよろしく」
おれは飲み物代を握りしめた右手をジュジュの方へと差し出す。ジュジュは少し驚きながらも、その金を受け取った。驚くポイントなんかあったか? そう思っていたのだが、どうやら驚いていたのはジュジュだけではないらしい。ロロットがおれに声を掛けてきた。
「えっ? ……ひだり君、コーヒー飲めるの?」
「そりゃ飲めるさ。おとな、だからな」
平然と答えた。おれはこう見えて二十代後半の男なのだ。コーヒーなど、それこそ毎日飲んで深いコクと苦みを楽しんでいたもんさ。
ため息が一つ、おれの耳に聞こえてきた。ジュジュが吐いたようだ。
「なーに言ってんだか。ただのお子さまだろ?」
「あ~。背伸びしたがる年頃ってやつかぁ」
「そうだよきっと。そっとしといてあげよ? ロロット」
「うるせぇよ! 早く買ってこいよ!」
人を恥ずかしい行動をしがちな思春期男子みたいに言いやがって! そんなもんはとっくに過ぎ去っている。成長曲線は、悲しいことにもはや下降の一途を辿るのみなのだ。悲しいことにな。
「はいはい、わーったよ! んじゃ、行ってくんね~」
おれの言葉を右から左へひょいと移すように軽く受け流すと、ジュジュはひよこ印のがま口を握って走って行った。身体が左右に揺れる度、ふわりとした銀の髪と尻尾も同じようにゆらゆら揺れた。木製のベンチにはおれとロロット、そしてジュジュの黒いリュックが取り残された。
「いつも元気だなぁ、ジュジュは」
同じようにジュジュの後ろ姿を見ていたロロットがぽつりと呟く。その言葉には全面的に同意である。おそらくジュジュは、じっとしていることが苦手なタイプだろう。ああいう人はそういう傾向がある、とおれは経験的に知っていた。
おれと彼女の間に沈黙が流れる。周りの音がさっきよりも大きくなったように感じるのは、自分たちが口を閉じたからなのだろう。おれは別に沈黙が嫌いではなかった。だが、ロロットはどうだろうか。年頃の女の子の心など、ましてや会ってまだ数時間の女子の気持ちなど、知るよしもない。もしかしたら、この状況に居心地の悪さを感じてしまっていることも十分にあり得ることだ。そういえばさっき、二人は幼馴染みだと言っていたな。
「幼馴染みのジュジュとはいつから仲が良いんだ?」
子どもとはいえ、女性に気を遣うのが大人の男というものだろう。そう考え、おれは彼女に話題を振った。
「学校に通うようになってからだよ」
ロロットは首を少し上げて中空を見つめる。遠い記憶に想いを馳せている、そんな横顔だった。
「ジュジュとは同じクラスだったの!」
「ふーん。じゃあもしかして、ジュジュも良いとこのお嬢さんだったわけ?」
「何その言い方~。おじさんみたい」
彼女がこちらを向いてきてクスクスと笑う。淡い水色の瞳と目が合った。彼女はやわらかな笑顔を浮かべている。
それにしても、おじさんとは失礼な。おれはまだ二十代だし、今の見た目的には十代前半の男の子だぞ。
「ジュジュは普通の家の子だよ。ああでも、裕福な家庭ではあったみたい。商人の娘だったからなぁ」
「えっ? じゃあなんで同じ学校に?」
裕福だったとはいえ、話を聞く限りだとジュジュは一般庶民の家庭の子だ。大公の娘と庶民の娘。常識的に考えると、通う学校も違ってくるだろうから友達関係になることなどなさそうなのだが、これはいったいどういうことなのだろう。
つづく