048.ひたひたと狂い始めたセカイ
「うっみっ……だあああああああーーーーっっ!!!!!!」
とびっきりの笑顔を咲かせ、白のフレアビキニに身を包むジュジュが真珠のように照り輝く砂浜へと駆け出していく。白銀の尻尾はピンと立っていて、彼女の浮き足立った喜びが素直にさらけ出されていた。
「早く来なよロロット-! きっもちいいぞ〜!」
彼方から見知らぬ香りを運んでくる大海原を背に、ジュジュは幼馴染みのロロットを呼んだ。
「すぐ行くー! ちょっと待ってて―!」
可愛らしい赤色のワンピースを着たロロットが、両手を口元に当てて返答した。オフショルダータイプの水着のため、幼さの残る顔つきにもかかわらず見る者にほのかな色気を感じさせる。彼女の纏う鮮やかな赤が、雪のように色白な肌をいっそう際立たせており、その姿におれは一瞬の間見とれていた。
だから、彼女がくるっとこちらを振り返って目が合った時、ドクンと胸が高鳴ってしまった。ただ、彼女の可憐さに目を奪われていたという気恥ずかしさが、当の彼女に全く伝わっていないのは救いだった。
「ひだり君も一緒に行こ!」
「いや、おれはいいよ。泳ぎ得意なわけでもないし、濡れるし、日焼けするし」
「何言ってるの~? せっかく水着着てるんだから海入らないと損だよ、そ・ん!」
ロロットが一歩おれに近づき、杖を手にしていない左手をギュッと握った。
「水かけっこだけでもいいからさ、みんなで遊ぼうよ! 南の島で、それにこんな綺麗な海で遊べる機会なんて滅多にないよ。ほら早くっ!」
ぐいぐいと彼女が腕を引っ張ってくる。
「遊んできなよ、ひだり君。君の杖もロロットちゃんの黒杖と一緒に僕が預かっておくからさ。オレンジの水着似合ってるのに……もったいないよ」
成平がロロットの隣に立ち並んでおれに水遊びを勧めてきた。宿での話を聞く限り、彼は今日一切海には入らず、宝石のように美しくきらめくこの海の様子をスケッチするらしい。スカイブルーのサーフパンツに白のラッシュガードを羽織っていて、くせっ毛の茶髪と相まって海の男感を出している奴に「もったいない」と言われても、「お前が言うな」という感想しか出てこない。
「いや、でも、何というか、倫理的な罪悪感が……だな」
海遊びを勧めてくる二人に、おれはしどろもどろに言葉を返す。
おれは歴とした大の“おとな”だ。見た目が子どもだからといって、堂々と一回り以上年下の、それも未成年の女の子と水着姿でキャッキャして遊ぶというのは、こう、罪悪感を感じてしまう。いや、犯罪意識か? 倫理的にアウトだろ、みたいな。成平、お前なら分かってくれるだろ? 同じ成人済み男子なら!
いやなにも、彼女たちのことをそのような目で見たことはこれまで全くないが(ふとした瞬間にドキッとしたことは含めない)、しかしだからといって水着のような露出度の高い姿を見せられると、流石にちょっとは意識する。
だってそれは、仕方がないじゃないか。彼女たちは今まさに子どもから大人へと変わろうとしている過渡期であり、心も身体も成長中な思春期なわけで、だから未成年とはいえある部分で彼女たちに“女性”を感じるというのは至極当然で、男としてはもうしょうがないとしか言いようがない。
いやいや、とは言うものの、彼女たちをそういう対象として見ることにはやはり倫理的な抵抗も感じているわけでして、つまりは————、
「成平さんに持っててもらうのが不安なら、私が預かっておくわよ」
不意を突かれ、おれが右手で持っていたポーンを声の主が後ろから引ったくっていった。驚いたおれが首だけ回して後方に目を向けると、黒のホルタービキニ姿で腰に若葉色のパレオを巻いたモルフォが不敵に笑っていた。頭に着けた赤い大きな花のアクセが、毛先だけカールの掛かった彼女の黒髪と共に妖艶な雰囲気を醸し出している。これで十代なのだから、末恐ろしい美貌の持ち主だ。
「だからこんな日陰で鼻の下を伸ばしていないで、同年代の女の子達と、健・康・的・に、遊んできたらいいんじゃないかしら?」
言って、くすくすとモルフォがからかうように笑う。「健康的に」を強調しないでもらいたい。逆に如何わしい香りがしてくるじゃないか。
「鼻の下なんか伸ばしてねーよ!」
……まあ、ちょっとはデレデレしていただろうけど。……いや、たぶん今もちょっとはデレデレしてるだろうけど。
「じゃあ成平さん、モルちゃん、杖をよろしくお願いしますね! ほらっ、行くよひだり君っ!」
ロロットは先ほどよりも強引におれの腕を引っ張り、砂浜を進んでいく。粒の小さな砂はさらさらとしていて足を取られやすく、注意していないと結構危ない。
踏みしめるサンダルの下で、砂があっちへこっちへとズズズッと流れていく。しかし歩きづらい要因は砂だけでなく、ロロットに腕を引かれていることもその一つだった。だから、最新の注意を払わなければならないのだが、
「あ、おい! 分かったから! そんな引っ張んなって! 歩きづら——うわぁっ!?」
足が滑って思いっきり顔面からすっ転んでしまった。腕を掴んでいたロロットもおれに釣られ、小さく悲鳴を上げながら砂浜に倒れた。ギラギラと照り輝く真夏の太陽光を一身に浴びた砂は、お好み焼きを焼く鉄板のように熱く、おれもロロットもすぐに立ち上がって身体に付いた砂を払い落とした。その後はもう、ヒリヒリと痛む身体を一刻も早く冷やしたくて、おれたちは海に全速ダッシュだった。
————端から見れば、こうして海ではしゃいでいる姿はただのバカンスに見えるだろう。しかし、おれたちは何も日頃の疲れを取るリフレッシュ目的でこの南の島を訪れたわけではなかった。この場所に来ることになったきっかけ。それは、一ヶ月ほど前に『土曜の賢者』からある依頼を受けるところまで遡る。
謎の霧と奇病に苦しむ町ロジューヌでの一件を終え、無事に一人目の賢者のサインと活動資金を得たおれたちは、『水曜の賢者』アリスから他の賢者について情報を教えてもらっていた。
「タリギア共和国のソクラーノ?」
おれのオウム返しに、アリスはこくりと頷いた。
「そう。ここから南東の方角にずっと行ったところにある港町。そこに『土曜の賢者』ダンカーク・ブレンツェさんがいるはずよ。あの人はこの時期いっつもあそこで休暇を取ってるから」
「ふぅん。で、その『土曜の賢者』のところがここから一番近いのか?」
「一番近いって訳ではないんだけれど」
アリスが左耳に掛かった金髪を掻き上げた。爽やかな色合いの青いリボンの端が揺れ、甘い香りがふわりと漂ってくる。
「ここからできるだけ近くにいて、話をちゃんと聞いてくれて、それからサインをしてくれそうな人というのが、彼くらいなのよ。ちょっと……クセがある人なんだけれどね。でも、他の賢者様は近場にいてもあんまり話聞かないタイプだったり、良心的な人でも凄く遠いところにいたりするから」
だから、二つ目のサインを貰いに行くのはダンカークという男が一番良いだろうと彼女は言った。
この世界に八人いる賢者——“八賢議会”と呼ばれるらしい——について、おれは詳しいことを知らない。知っているのは、賢者の特徴が金髪碧眼であることと人類最強と謳われる程の魔法の使い手だということ。それから、ロロットが『月曜の賢者』見習いで、目の前にいる人形のようなふわふわロングヘアーの女の子が『水曜の賢者』だということくらいだった。なので、ロロットがアリスの助言に素直に従うことに対して何一つ異論はなかった。
ただ、強いて文句を言うとするならば、アリスに向けた次のような一言だろう。「ダンカークさん、ちょっとどころじゃないほどクセが強いじゃねーか!」と。
「あらぁ! これはこれは可愛いお客様だこと。おちびちゃん達、このアタシに何かご用かしらん?」
健康的な小麦色の褐色肌にパーマがかった金髪ショート、そして女性であれば色気を感じさせるであろう泣きぼくろが、左目尻近くに一つ。がたいの良い筋肉質な身体を包み込むバスローブのような純白ドレスは、胸元が大胆にもざっくりと開いており、豊満なバストの代わりに逞しい胸毛が強すぎる自己主張をしていた。極めつけは、額から天に向かってそそり立つ一本の立派な角である。
「……あら? そちらのお嬢ちゃん、金髪に淡い水色の瞳……ああ! あなたたちがアリスちゃんが言ってた賢者見習いのロロットちゃんご一行ね!」
「え、えと……はい、そうです。私が見習いのロロットです……」
どこから突っ込めばいいのかも分からないほどにクセが強い。いや、クセしかない。これでも賢者の中ではまともな方だとはアリスの言だが……それ本当か? 微かに潮の香りを纏うこの巨漢のオネェさんを見る限りだと、残念ながら彼女の言葉を信じることは全くできそうにない。
「もぉ~う、来るのがおっそいわよぉ! アタシ待ちくたびれてたんだからぁ。ささ、中に入って頂戴。乙女同士の秘密のお話しはそこでしましょっ!」
「は、はぁ。えと、お邪魔しま~す……」
たじたじとしているロロットの後ろに、同じようにどん引きしているおれやジュジュたちが続いた。透き通る夏の青空との対比で白い外壁が印象的なこの大きな住宅は、アリスから聞いた話によるとダンカークの別荘らしかった。流石は賢者様。金持ちである。
ダンカークに案内されたのは広い応接間だった。別荘の中は外壁と同じように白を基調とした内装で、それに合わせて椅子やテーブルなどの調度品も白色の物が多かった。統一感がありつつも、テーブルクロスやカーペットなどには彩度の高い色が使われ、それによってとてもオシャレな空間に仕上がっていた。少し開かれた窓からは心地よい波の音が入り込んでいて、室内に広がるココナッツアロマのくすぐったくなるような甘い香りとともに旅の疲れを軽くしてくれる。
「おおよその話はアリスちゃんから聞いているわ。ロロットちゃん、あなたは賢者のサインを集めるために旅をしているんでしょ? だからアタシのサインが欲しいってところかしら?」
応接室内の真ん中あたりに置かれた椅子に腰掛け、丸テーブルに太い腕を置いてダンカークが尋ねた。答える代わりにロロットが首を縦に振る。
「なら話が早いわぁ! アタシも丁度誰かに頼みたいことがあったところなのよぉ~」
「頼みたいこと、ですか?」
「そう。賢者ってさ、この世界にアタシとか、ロロットちゃんとか含めて八人しかいないじゃない? まあロロットちゃんはまだ見習い、だ・け・どぉ」
ダンカークが髭をさすりながら確認するように言った。
「は、はい、そうですね」
「そうよねぇ。でも、最近になってもう一人見つかっちゃったのよぉ。困ったことに」
「えと、誰が見つかっちゃったんですか?」
話が見えてこないロロットが困惑の表情を見せた。ダンカークが真剣なのかふざけているのかよく分からないオネェ口調のままで彼女に言葉を返す。
「存在自体があり得ない、“九人目の賢者”がよ」
つづく