047.手に入れたのは一つ目のサインと仲間の絆
一通りの片付けが終わり、太陽が少し傾いてきた頃、おれとロロット、ジュジュの三人はアリスの部屋を訪ねていた。ロロットは『月曜の賢者』見習いであり、彼女の旅の目的は、三人の賢者に認めて貰ってそれぞれのサインを受け取ることである。三人分のサインを得た時、晴れて彼女は一人前の『月曜の賢者』としてデビューできる。その記念すべき一つ目のサインを頂きに来たというわけだ。
「片付けお疲れさま。ロロット、あなたを待っていたのよ」
ノックして入った部屋の中では、アリスが椅子に腰掛けて紅茶を飲んでいるところだった。おれたちに軽く会釈すると、すぐ側に控えていたショコラに何かを取ってくるように申し付ける。
「あなたたちは私の提示した条件、『町を襲う霧と倦怠病の解決』を無事に成し遂げてくれました。だから約束通り、私のサインと報酬金をお渡しします」
「こちらがその報酬金となります。ご確認下さい」
ショコラはベッド脇の金庫から取り出した布袋をおれに手渡した。ザラザラとした肌触りの麻の袋は思っていたよりも重くはなかった。本当にそれなりの額が入っているのかと疑ってしまう。
念のためということで、おれは結ばれた口を解いてジュジュと一緒に中を覗き込んでみた。中にはいくつもの札束が積み重なっている。西方諸国の統一貨幣であるオイロは、金、銀、銅の三種類の硬貨と、金貨以上の高額を示すために用いられる紙幣とに分かれている。そのため、数多の紙幣の束を見る限り、サントレアで聞いた通りのまとまった額が支払われていることは確かなようであった。
「さあ、ロロット! サインを書くから、あなたの見習い手帳をこちらに渡して」
アリスはおれやジュジュが報酬金を受け取ったことを確認すると、右手をロロットに差し出した。しかし、微笑む彼女とは対照的に、ロロットは浮かない顔をしている。ポケットから取り出した、『見習い手帳』という名称らしい紺色の手帳を、彼女はアリスに手渡そうとはしなかった。
「私……本当に、アリスからサインを受け取っていいのかな?」
「ええ?! 何言いだしてるのさ! いいに決まってるじゃん。だって、わたしもロロットも、それから他のみんなだって、いっぱいいっぱい頑張ってたじゃん!」
「うん、それは、そうなんだけどね、ジュジュ。でも……」
ロロットは羽織っている緑のローブの裾をきゅっと握りしめた。
「今回の事件が解決したのは、みんなのおかげだって私は思ってるの。だって私は、肝心な時にコバルトさんの毒で倒れていたんだもん。私は……何もしていなかったし、できなかったんだよ?」
「自分の力で提示された条件を達成したわけじゃない。だから、サインを受け取る資格もない。そう思っているの?」
アリスの問い掛けに、ロロットは力なく首を縦に振った。
彼女のそんな様子を見て、アリスは椅子から立ち上がり彼女との距離を詰めていった。口角を小さく上げて彼女のふんわりとした金髪を軽く撫でる。
「ア、アリス……?」
「あなたは勘違いしているわよ、ロロット。絶大な魔力を持つ賢者だからと言って、何でも一人でこなそうとする必要はない。私たちは仲間を、友人を頼ってもいいのよ。確かにロロットは毒で倒れていたから事件の解決に直接関わったわけではないけれど、でも、あなたの旅の仲間たちがあなたの意志を引き継いで目的を果たしてくれたじゃない!」
「……ねえ、アリス。こんな、周りの人に支えて貰ってばかりの私でも賢者は務まるのかな? 肝心な時に自分一人では上手く動けない私でも、賢者としてやっていけるのかな?」
「大丈夫よ。私だってショコラにはすごーく助けられてるもの。人望があるというのも賢者には必要な資質だと私は思っているわ。それにね、ロロットはまだ賢者見習いなんだし、自分で未熟だと思った部分はこれから改善していけばいいのよ。成長期でしょ! ロロットならすぐに立派な賢者になれると思うわ」
ロロットの頭をぽんぽんと叩くと、アリスは彼女が両手で握っていた紺色の手帳をサッともぎ取った。ページを開き、胸ポケットから取り出したペンを紙の上にスラスラと走らせる。
「はい、ロロット。私、アリス・メロディアはここに、あなたが賢者に相応しい人物であることを認めます」
自身のサインを記した『見習い手帳』をロロットに渡しながら、アリスは満面の笑みで言った。
「これからも精一杯修行に励み、良い『月曜の賢者』になって下さいね!」
手帳を受け取ったロロットも、最初は驚いた顔をしていたが、アリスに釣られて顔がほころび始めた。
「はい! ありがとうございますっ!」
少し目を潤ませながら、ロロットは先ほどまでとは打って変わって溌剌とした声で答えた。自分の未熟さで悩んでいた彼女は、どうやらそれを受け止め、再び前を向くことができたようだ。
「ひだり君も本当にありがとうね」
アリスの部屋を出た後、彼女がそう声を掛けてきた。
「何がだ? 強制連行とはいえ、一緒に旅してるんだ。仲間の目的に協力するのは当然のことだろう?」
「ふふ、ありがと。……私ね、自分からひだり君のこと連れて行くって言って、今まで散々友だちとして振る舞ってきてたのに、心から信用することがずっとできなかったんだ。どこかでね、この子は私やジュジュに危害を加えるんじゃないかって思ってた。成平さんやモルちゃんのこともそう」
後ろめたそうな顔で彼女はおれにそう言ってきた。だが、その気持ちは当たり前のものだと思う。だってそうだろう。大して付き合いの長いわけじゃない人間のことを、それもちょっとした思い付きで一緒に旅することになった人間のことを、そんな簡単には信じられないだろう。いくらロロットがシェルバ公国のお嬢様だとしても、彼女はそこまで常識知らずではない。
ふと、サントレアの街でジュジュに言われた一言を思い出した。確か、『ロロットもわたしもひだりのことは信用していない』というニュアンスの言葉だった。あの時は、普段とのあまりの声音の違いから別人の声と聞き間違えたのではないかと思ったものだが、ロロットがおれに警戒心を抱いていたと知った今は、あれは実際にジュジュが言った言葉だったのだと納得することができた。
「でも、今は違うよ。ね、ジュジュ?」
「うん、そうだな。ひだりも成平さんもモルちゃんも! みんな毒で倒れたロロットのことを本気で心配してくれたし、アリスさまのサインを貰うために一緒に頑張ってくれた。ああ、この人たちは本当にロロットのことを助けたいと思ってくれてるんだなって。だから今は————」
ジュジュとロロットが声を揃えて口にしてくれた言葉が、おれの心にやけに刺さってきた。どうやら、想像以上に彼女たちとの関係は自分にとって大切なものになっていたらしい。心がほっこりして、自然と頬が緩んでしまう。屈託なく笑う彼女たちの、「心から信頼してるよ!」という言葉に。
ロロットとジュジュの二人と別れたおれは、少し散歩でもしようかと考えていた。一応大事な杖であるポーンは携えて行こうと思い、自室に立ち寄ってから玄関へと向かう。
大扉の前まで来たところで後ろから声を掛けられた。この声は、どうにも鼻につくあいつの声だ。
「何の用だ、成平。おれはこれからちょっとほっつき歩いてこようかと思ってるんだが」
「それは奇遇だね。実は僕も外の空気を吸いに行こうかと思っていたんだ」
藍色の着物みたいな服に身を包み、ちゃらちゃらした茶髪男のこのベッタベタな爽やかスマイルは何度見ても苦手だ。苦手というか、こう、若干イラッとくる。相性が悪いんだろうな、きっと。
「一緒に行く気はないぞ」
「そう連れないことは言わないでさ——って、そんなこと言ってもひだり君には意味ないか」
成平はやれやれという感じで、「それならここで少しだけ話をさせてくれないかい?」と言ってきた。彼は二十一で、おれは見た目はともかくも中身は二十七である。そう、年上なのだ。年下のこいつの妥協案を無碍に断るのも大人げないというもの。そういう結論に達したおれは渋々彼の話に付き合うことにした。
「それで話って何だ?」
「君がロロットちゃんとジュジュちゃんと一緒にアリス様のところに行っている間、こちらの方でも色々と動きがあったからさ。その情報連携をしておこうと思ってね。ほら、一応僕たちは今、旅を共にする仲間だし」
屋敷の片付けの後、成平はモルフォと共にコバルトやアンクルに今後のロジューヌの町のことについて聞いていたらしく、そこでの話を簡潔におれに教えてくれた。
まず『時忘れの塔』の跡地に今も残ってしまっている“世界の歪み”についてだが、こちらはヘリアポリス帝国に連絡して英雄を派遣して貰うことになった。前にショコラが言っていたが、歪みは英雄と呼ばれる存在にしか消せないのだそうだ。どういう理屈でそうなっているのかまでは成平も詳しく知らないとのことだが、噂では歪み解消専門の魔導具を携えているとか。
次に、アンクルが死神兎から貰ったという二つの魔導具についてだが、これはアイテムコレクターであるモルフォが引き取ることになった。職業柄——アイテムコレクターというものを正式な職業として認めていいのかは置いておくとして——、彼女は危険な魔導具の扱いにも長けている。特に、禁書『ソウルイーター』を基に造られたという注射器型魔導具『ソウルドレイン』はかなり危険な代物だ。だから扱いに慣れた人間にひとまず任せようということで意見が一致したらしい。
短い間とはいえ、モルフォとは共に戦った仲だ。彼女が悪い人間でないことは承知している。だからおれも彼女にあれらを任せるのは賛成だが、しかし、折角『水曜の賢者』であるアリスがいるのだ。彼女に引き渡してもいいような気がする。そんな疑問を口にすると、成平がさらっと答えてくれた。
「アリス様の手に渡ってしまったら、『ソウルドレイン』について僕たちが調べられないじゃないか。あれは『ソウルイーター』に繋がる手掛かりだからね。なるべく僕たちの手元に残しておきたかったんだ」
なるほどな。だから成平もモルフォが所有することに異論がなかったというわけだ。
というか、今の彼の発言からすると、もしかして……。
「お前、今後はモルフォと行動を共にするのか?」
「なんか、まるで僕とはもうお別れだ、みたいなニュアンスを感じる言葉だけれど、僕もモルちゃんも君たちの旅にはまだまだ付いていくつもりだよ?」
「はあ!? あ、いや、え? どういうこと?」
成平はいたずらっぽく笑い、おれから離れ始めた。
「君たちといた方が面白い魔導具に出会えそうだってモルちゃんは言っていたよ。僕としても、彼女が君たちに付いていくなら一緒に行かないわけにはいかないし、それに“来訪者”である君への興味はまだ尽きていないからね」
ちょっと寒気がした。うら若き乙女から言われるなら嬉しい一言かもしれないが、男から言われても嫌悪感しか沸かない。できれば成平には早々におれへの興味を失って欲しいものだ。
「というわけで、今後ともよろしくね、ひだり君」
片手をひらひらと振って、成平は廊下の奥へと消えていった。聞きたかったことは聞けたのだが、なんだか少し気分を害された気がする。
とりあえずおれも当初の予定通り散歩を楽しむことにして、足早に大扉の方へと近づいていった。目の前に迫った木製の大扉を両手で押し開き、草木の匂いが微かに漂ってくる外へと足を踏み出す。
「————うっ……まっぶしいなぁ」
赤く燃える夕陽の光に思わず目を細める。頬を撫でる風が気持ちいい。歩き続ける内に目は外界の光に慣れていき、やがてロジューヌの町とルフォン湖の景観がはっきりと視界に現れてきた。
「おぉ……これは! サンタ岬にも負けず劣らずの絶景だな! 旅立つ前に見れて良かった……!」
丘の上から見下ろす景色は、まさしく観光地と呼ぶに相応しい美しさだった。ここを初めて訪れた時も景色の美しさには目を奪われたものだったが、あの時は曇り空だったため、どことなく色褪せたように見えていた。
しかし今日は違う。雲一つない晴天の日だ。夕暮れ時の太陽が禁足地の森の緑を鮮やかに照らし、ルフォン湖の水面をキラキラと輝かせている。これが、このロジューヌの町の本当の姿なのだろう。霧が晴れ、倦怠病に住人が苦しめられていない、この町の本来の姿なのだろう。
「さてと。とりあえず町に降りていって、いつだか成平とモルフォが話していた土産物屋にでも足を向けてみるか」
見渡す限りが夕陽の赤に染まるこの素晴らしい世界を前にして、おれは胸を踊らせていた。年甲斐もなくてちょっぴり恥ずかしいが、今はそんな感情もなんだか心地がよい気がした。
第一章「眠れる森の美女と時忘れの塔」 完




