045.心から、愛を込めて。
「答えてっ! アンクルは、私を生き返らせるために町の人に危害を加えていたの?!」
「仕方なかったんだよ、ピスラ。もう一度君に会うためには、こうするしか……」
「どうして……? あなたは、昔はあんなにも優しかったのに! 誰に対しても紳士的で! それなのに————ッ、ゲホッ、ゴホッ」
「ピスラ!?」
大声を出したのが身体に響いたのだろうか。ピスラは苦しそうに咳き込んでしまった。発作が治まるまで、アンクルは彼女のすぐ側に寄り添い、彼女の背中をさすってあげていた。
アンクルとピスラのやり取りに興味を引かれ、おれは彼らの方へと静かに近づいていった。
「大丈夫かい? あまり無理をしないでくれ。君は命を取り戻したけれど、病が治ったわけではないんだ」
「ゲホッ、ケホッ……病が、治ったわけじゃない? なら、私はまたすぐに死んでしまうんじゃ……?」
さする手を降ろし、不安そうな瞳を向けるピスラに対してアンクルは優しく言葉を掛けた。
「大丈夫だよピスラ。普通の生活をしていたらそう長くはないだろうけれど、この塔の中ならそんな心配はいらないんだ」
「それは、『時忘れの塔』の魔法のおかげということ?」
「ああそうだ。さっきも言ったろう? 『この塔の魔法で亡くなった直後の君を保存していた』って。あの話は現在進行形でもあるんだ。この塔の魔法は、“塔の中にある対象の時間の流れを止めること”。つまり、君はこの塔の中にいれば時が流れないんだ。歳を取ることもないし、病が進行することもない」
「そんなことが……。でも、それほどの大魔法を使用するためには重い代価が伴うんじゃ?」
アンクルは頷き、塔を使用する条件を口にした。まだ彼女が目覚める前、彼が語った昔話の中でも使用条件の話が出ていたが、何度聞いても心が重たくなってしまうほどの理不尽な条件だと感じた。いや、時を止めるという効果からすれば妥当とも言える代価だろうか。これを“理不尽”と感じてしまうのは、人間側の、もとい、おれの自分本位な心の現れなのかもしれない。
「確かに重いよ。僕は自身の寿命を犠牲にして塔の魔法を発動しているからね」
「えっ、寿命? じゃあアンクルは今この時も、自分の命を削って私を生かしているの?」
“町の人から魂を奪って蘇らせた”という真実を打ち明けられた時と同じような衝撃を、ピスラは受けているようだった。彼女は目を瞠り、瞳を泳がせ、唇を震わせていた。
「んふふ。まあ、そうとも言えるね。でも——」
地下の広大な空間に、バチンッという音が鋭く響いた。壁、天井、床にぶつかった音が跳ね返り、四方八方からの反響音が尾を引いた後、この仄暗い空間にゆっくりと静寂が戻る。
まだ不安を拭い切れていないピスラを安心させようとして、アンクルは微笑みながら『時忘れの塔』の使用条件を口にした。そのアンクルの左頬を、当のピスラが思いっきりはたいたのである。ビンタをかまされたアンクルは、緩めていた顔をぎこちない硬いものに変え、赤く腫れた頬にそっと手を当てている。
「アンクルの大ばか者っ! 私はこんなこと望んでないっ!!」
こみ上げる感情を堪えきれず、険しい表情のままで涙を流すピスラに、まだ呆けた顔をしているアンクルが視線を向けた。
「あなたが自分のことも、その他の全てのことも顧みず、ただ私だけを想ってくれていたことはとても嬉しかったわ。大切にされていたんだと感じられたから。本当に、心の底から深く愛してくれていたんだと分かったから」
「だけど」という彼女の言葉が震えていた。今にも泣いてしまいそうなのを必死に堪えているような、嬉しさと切なさとやるせなさと、悲しさを堪えているかのような、そんな声だった。
「だからといって、あなたに自分を犠牲にして欲しくなかった。私利私欲のために町の人々を襲うような悪人になって欲しくなかった。私に囚われて、今と未来を棄てるような生き方をして欲しくなかった。私が大好きだった、あなたのままでいて欲しかった……」
アンクルは何と答えたらよいのか分からない様子だった。ただじっとして、彼女の言葉に耳を傾けている。
「ねえアンクル。私はね、もう死んじゃってる人なんだよ? この世にいちゃいけない人なの。だからさ、もう……さ…………終わりにしようよ」
「終わり……? いや、待ってくれよピスラ! 確かに君は死んでいたが、しかし今は生き返っているんだよ? 今この瞬間に、君は生きているんだよ。そりゃあ病気は治っていないが、でも、この塔の中なら生きてゆける。僕たちは一緒に暮らしていけるんだ! いつかの日に約束したように——!」
「駄目だよアンクル。私の目覚めが“世界の歪み”を生み出した。この塔の中に留まり続けるのだとしても、私が生き続ける限り、この場所の歪みは大きくなっていく。そうなれば、いつかきっと災厄が起こることになるわ。それが魔獣の襲撃になるのか、その他の惨事になるのかは分からないけれど、いつか必ず」
「災厄を招くかもしれない。でも、災厄を招かないかもしれない。どちらも可能性の話にすぎないさ! ……ピスラは、僕と一緒にいたくないのか?」
止めどなく涙を流す彼女に釣られ、アンクルの目も潤み始めていた。声音が安定しないのは、彼が内に秘める感情を抑え込んでいるからだろう。
「いたいわよ、愛してるもの。そんなの当たり前じゃない! だけど……でも、駄目なのよ……」
ピスラは俯き、両手で自身の顔を覆った。
「私があなたとの生活を拒んでいるのはそれだけが理由じゃないの。別の、もっと根本的な理由があるの」
「その理由を教えてくれよ。僕にできることがあるなら、君のために何でもしよう!」
声を押し殺して啜り泣く彼女は、しばしの間を空けてから言葉を紡いだ。
「怖いの。怖いのよ……自分が」
「こわい?」
「生き物は普通、一度きりの生を生きて死んでいくわ。でも、私は生き返ってしまった。生き物としての理を超え出てしまった。ううん、怖い理由はそれだけじゃない」
ピスラは小刻みに身体を震わせ始める。顔を覆っていた手が、今度は自身の身体を抱きしめていた。
「今の私には私じゃない人たちの魂がまぜこぜになって入っている。それが多分、何よりも一番怖い。今の私は、本当に“私”なのかなって。そんな疑問が頭から離れていかないの」
「大丈夫だよ。君は君だ! 僕が愛した、君だよ!」
「私だってそう思いたい……! でもそう思えないの! 昔の記憶だってある。昔好きだったものは今でも好きだし、生前に抱いていたのと何ひとつ変わらない愛情を今もアンクルに抱いているわ。だけどそれでも! 他の人の魂で以前と何ら変わらない自分が生き返ったという、その事実が怖いの!」
「ピスラ……」
「だって、なら、私の魂っていったい何なの? 私が私だと思っていたものって、何だったの? 私には私自身が、私によく似た“ワタシジャナイモノ”に——化物に思えて仕方ない。私は、私だと思っていたいけれど! でもきっと、私じゃないのよっ!!」
最後にそう叫んだ彼女は、勢いよくアンクルに縋りつくと、彼の胸に顔を押しつけて肩を大きく揺らした。悲痛な声が、ひんやりとした室内によく響いた。
「だからお願いよ…………もう終わらせて。私をもう一度眠りにつかせて。ね?」
「そ、それが君の、願いなのか? やっとまた話せたのに。それで君は本当にいいのか?」
アンクルの胸に埋めていた顔を引き離し、ピスラは赤く泣き腫らした目で真っ直ぐにアンクルを見つめた。
「きっと、私が生きていたらあなたも化物になってしまうと思う。人間のことに無頓着な、無機質な化物に」
「——え?」
「私はアンクルのことが大好きだから。愛しているから、そうなって欲しくない。あなたが私のために罪を犯したのであれば、その罪をきちんと償って欲しい。過去の存在である私に囚われずに、今という時を、誠実に生きて欲しい」
目尻に溜まった涙を拭ってから、彼女は「それから」と言葉を続けた。
「私は化物でなく、人間でありたい。そのためにも、死んだままでいたいの。病気のせいで決して楽しいことばかりではなかったけれど、それでも精一杯に自分の人生を生ききった、誇りあるひとりの人間として、きちんと死んでいたいの」
「……ッ…………分かったよ」
切なそうに微笑むピスラに対し、アンクルは涙が零れないように天井を仰いだままそう呟いた。唇を噛みしめ、絞り出すような声でそう呟いた。
「ごめん、ごめんな、ピスラ。僕はどうやら、君を不必要に苦しめていたみたいだ」
「いいわよ、もう。前に死んじゃった時はちゃんとお別れ、言えなかったから。こうしてまた話ができて、とっても嬉しいよ。……今度はちゃんとお別れが言えるから、前よりも後悔なく死ぬことができると思う。だから笑ってよ。ね? 笑顔でお別れさせてよ」
「ああ、うん。ああ……。今までありがとう。今日君と話ができて、君にビンタされて、諭されて、やっと目が覚めた。ありがとう」
「うん。こちらこそ、ありがとう。あなたのおかげで、幸せな人生が送れたよ」
「ありがとう」
「ありがとう」
「君が眠りについたら、罪を告白してこれからの自分の人生を真っ当に生きるよ。君の分までさ。胸を張って、また君に会えるように」
「うん」
「だから。だ、から……見ていてくれ、僕のことを」
「うん」
「……さようなら、ピスラ。いつまでも君のこと、愛しているよ」
「さようなら、アンクル。私もあなたのことを愛しているわ。ずっと……ずっと……」
「今まで本当にありがとう、ピスラ」
「ありがとう、アンクル。今度は天国でお喋りしようね。私、待ってるから」
「ああ、そうだな。僕もその時を楽しみにして、精一杯生きていくよ」
「ありがとう。心から、愛を込めて」
「——ッ…………ありがとう。心から、愛を込めて……」
そうして二人は、今生の別れを惜しむかのようにそっと唇を重ね合わせ、お互いの身体を抱きしめ合った。
つづく




