043.歪なる愛情
『時忘れの塔』が魔導具? つまり、モルフォが探していた塔に眠る特殊な魔導具という物は存在せず、この塔自体が魔導具だったと?
——そうか。だからこの塔の中では、一階にいようが最上階にいようが、どこにいてもずっと同じような魔力しか感じられなかったのか。
いや、そんなことよりももっと重要なことをアンクルは口にしていた。『ソウルドレイン』と呼ばれる注射器型の魔導具は人の魂を奪う物。そしてそれは、前に成平が探していると言っていた禁書『ソウルイーター』を基にして造られた魔導具であると。
「アンクルさん……あんた、じゃあ、もしかして……」
もしかして、ピスラを生き返らせようとして町の人々から魂を奪っていたのか? 頭の中ではすでに文章として構成されているのに、それが口をついて言葉となることはなかった。意図せず、おれは言い淀んでしまう。
「君が言おうとしている通りだよ、ひだり君。倦怠病は『ソウルドレイン』によって魂の一部を奪われた人間に出る症状だ」
開いた口が塞がらない。アンクルのあまりにも身勝手で、あまりにも常軌を逸した行動に、想像以上のショックを受けた自分がいた。最愛の人が永遠の眠りに就いたからといって、関係のない人たちから命の一部を奪い取っていい理由にはならない。
だが、彼は何の躊躇いもなく人々から命を集めていた。そこには、“目的を果たすためなら他がどうなろうと構わない”、“殺しさえしなければ問題ない”という極めて危険な思想が潜んでいるようであった。
「『ソウルドレイン』だけでは、ただの凡人である僕にはどうすることもできないからね。死神兎にこれを譲ってもらった時、あわせて例の鈴も貰ったんだ。後のことはさっき湖畔で話した通りだよ」
「……あんたが何の為にこんなことをしでかしたのかは分かった。理解はした。だけどな……だけど……どうして、こんなことをしたんだよ?」
アンクルは軽く首を回し、虚ろな目をきょとんとさせて背後にいるおれを振り返った。感情がなくなってしまったのではと錯覚するほど表情がのっぺりとしており、おれの問いに大して興味がない様子だった。
彼は心底つまらなそうに口を開く。
「今語ったばかりじゃないか。恋人のピスラを生き返らせるためだよ」
「そういうことを聞いているんじゃない! たとえ大切な人のためだったとしても、やっちゃいけないことってのが世の中にはあるだろ! それとも、大切な人のためだったら何をしてもいいってのか?」
「ああ、僕はそう思っているよ。彼女のことを心から愛しているからね」
抑えきれなくなり、つい感情的になってしまったおれとは対照的に、アンクルは極めて淡泊な調子で答えた。誰かのことを愛しているという言葉が、これほどまでに平面的に聞こえたのはこの瞬間が初めてだった。
無表情のアンクルは、未だにおれの目をじっと見てきている。焦点の定まっていない彼の瞳から、何故だか目を離すことができない。
「逆に聞くけど、愛する人のためならどんなことでもやるというのは、それほど悪いことなのかな? 僕から言わせれば、愛しているのだからその人のために何でもできて当然だと思うんだけれどねぇ」
彼の質問に、おれの心臓が大きくドクンと脈打つのを感じた。同時に、背中に悪寒が走る。
「自分の全てを彼女のために捧げてしまっても構わない。それほどまでに強く相手を想うこと、それが真実の愛ってものじゃないか。もっとも、まだ子どもの君には難しい話だから、理解してもらえるとは思っていないけどさ」
フフッと軽く笑うと、アンクルは回していた首を元に戻す。おれの心臓は、まだバクバクと早鐘を打っていた。
この男は狂っている。一途だとか、愛が重いだとかそんな話ではない。まったくの赤の他人である町の人々から魂を吸い集め、そうして寄せ集めた他人の魂の混合物を使って亡くなった恋人を生き返らせようとする。こんな人道から外れた計画を、“愛する彼女のため”という名目で行おうとする人物を、どうして真っ当な精神を持っていると言うことができるだろうか。少なくとも、おれには正常な人間による仕業とは到底思えない。
「あんたのその歪んだ愛はピスラさんに向けられたものじゃなくて、本当は自分に向けられたものなんじゃないか?」
耳に届く自分の声が震えていた。目の前の異常な男に、無意識のうちに恐れを抱いているのかもしれない。
「恋愛経験のないガキの君に、僕とピスラの何が……真実の愛の何が分かると言うんだ……!」
「それに」と言葉を付け加え、アンクルは再び薄気味悪く笑った。
「ひだり君がどうこう言おうと、もう終わったんだよ。全ては、もう、終わったんだ」
「……ああ、そうだな。あんたは自分が放った機銃蟻の一部に襲われて怪我を負ったし、それが原因でおれに捕まった。だから結局、町の人々から奪った魂をピスラさんに注入することは叶わなかった。あんたの言う通り、この件はもう終わりだ。最後にあんたが『ソウルドレイン』をおれに引き渡してくれたら全てな」
「ちがうよ、ひだり君。クッフフフフ……ちがう、フフ……ちがうんだよ……」
「は?」
アンクルは不気味に笑い続ける。彼のその態度が、おれには本当に理解できなかった。こんな状況で、彼に何ができるというのか。おれの言葉の何が間違っているというのか。
「計画は完了され、僕の願いは成就されたんだ。ピスラは今日この時、再び目を覚ます! ——フハッ! 何を言っているんだって顔をしているね。台座で眠る彼女の方を見てごらんよ」
促されるままにピスラが横たわる台座へと視線を向けると、彼女の肩に何か小さなものが乗っかっているのが確認できた。小さき者は、自身と同じくらいの大きさの何かを抱えている。
おれはアンクルを押さえていた手を離し、台座の方へと近づいていった。先ほどは判然としなかった小さき者とそれが抱える何かを、今度ははっきりと確認することができた。眼前に広がる光景は、おれには全く予想することのできないものであった。
「僕の鈴は人間だけにしか効果がないわけじゃないんだ。見ての通りね」
あの小汚くも居心地のよい喫茶店、そこのマスターが飼っているリスが目に映った。注射器型の魔導具『ソウルドレイン』を抱き抱え、穏やかに眠るピスラの肩に乗っている。リスはおれを嘲るかのように、注射器を軽く左右に振ってみせた。
「これで彼女は、死の眠りから目を覚ます」
リスが素早い身のこなしでピスラの首筋付近へと移動する。
「おい待て、まさか——ッ!」
嫌な予感がし、おれは床を蹴って駆け出した。だが、上手く走れない。少々休んだとはいえ、やはりボロボロの身体であることに変わりはないということか。
そうこうしているうちに、リスは掲げた注射器の針をピスラの白い首にプスリと突き刺した。次いですぐ、押子を押して容器内に溜められた液状の魂を彼女に注入していく。無造作に集められた他人の魂が、ドクドクと彼女の中へと入っていくのが見えた。
「本当は目一杯に魂を集めたかったんだけれど……まあ、半分でも必要最低限の量は確保できているから、彼女の目覚めには影響ないだろう」
『ソウルドレイン』に溜められていた魂が完全にピスラに注ぎ込まれてしまったことで、おれの駆ける足は止まった。立ち止まった瞬間に無力感がおれを包み込む。もはや何もすることができないおれの背に、アンクルの微笑混じりの声が届いた。
「万が一の保険として、ある住人が飼っていたリスにも鈴の魔法で催眠を掛けておいたんだ。で、機銃蟻の攻撃で怪我を負い、その万が一の状況になった僕は『ソウルドレイン』をリスに託し、ある命令を下していたんだ。『僕が何者かに捕まり、三分以上動かなかった場合はピスラに『ソウルドレイン』を刺して魂を注入するように』、とね。深い傷を負ってたからさ。誰かに追いつかれてしまったら、自分で注射器を打つことはできないだろうなとは考えていたんだ」
アンクルをここまで追い詰め、押さえることに成功したにも関わらず、彼の企みを阻止することができなかった。亡くなった恋人に新たに魂を与え蘇らせる。彼の歪んだ愛による歪んだ願望は、こうして達成されてしまった。
「予想通り君に捕まって動けなくなった僕は、後はリスのことがバレないよう、長話をして注意をこちらに向けさせればいいというわけだ。フフ……まさか保険の意味合いで考えていた作戦がこうも完璧に決まってしまうとはね。自分の強運に感謝の念が絶えないよ」
リスは中身が空になった『ソウルドレイン』の針をピスラから引き抜くと、彼女の身体から台座、台座から床へするすると降りていき、おれの足下を素早く通り抜けるとアンクルの右肩へと軽やかに飛び乗った。
魂を注がれたピスラはというと、一向に動き出す気配はないが、しかしその身体は橙色の淡い輝きを放っており、一言で言えば異様な状態のまま静止している。光はゆっくりと輝きを失っているようで、おれはその様子を固唾を呑んで見守っていた。
そして、異常なことは突然に起こった。ピスラを包む橙色の光が完全に消えてなくなった時、おれの視界が彼女を中心にしてぐにゃりと曲がりくねったのである。地響きのような音と揺れを伴い、視界が歪んだのである。
いや、違う。視界がおかしくなったのではない。今おれがいるこの空間そのものが歪んだのだ。そのことに気付いたのは、
「今の揺れは何?」「大丈夫かい、ひだり君?」「何があったのですか!?」
と口々に言って、モルフォたちがこの場に駆けつけてきたからだった。おれにも何が起きたのかは分からないが、『ソウルドレイン』を使ったアンクルの目的が果たされてしまったことだけでも伝えようとし、しかしすぐにそれを止めて視線をピスラの方へと移した。
「あそこに座っている人は、誰?」
モルフォが台座の方を指差しながらそう言ったためだ。コンマ数秒の間を置いて急転回した視界のピントが合うと、彼女の言う通り、確かに上体を起こして台座に座るピスラが存在した。彼女は白い服を纏っており、横たわっていた時に身体を覆っていた白い布を膝に掛けている。
先ほどまでの無表情とは打って変わり、アンクルはほとばしる喜びを抑えきれないといった様子で声を漏らした。
「良かった。成功した……。“世界の歪み”と共に、ピスラは今日、再びの命を得たんだ!」
祈る修道女の壁画の下、まだ半覚醒状態のようなピスラがゆっくりとこちらに顔を向けてきた。
つづく