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マホウは物理でなぐるものっ!  作者: 唯野 みず
第一章 眠れる森の美女と時忘れの塔
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041.塔の最奥に眠る

 階段を降りると、弱々しい光を漏らす燭台が左右の壁に連なる狭い通路に出た。警戒心を緩めずに、おれは先へと進む。仄かに照らし出される石畳の床には、塔の入口でおれやモルフォたちを熱く歓迎してくれた機銃蟻(きじゅうあり)が三匹、見るも無惨な姿で死に絶えていた。死骸の近くには血痕も付いており、それは点々と通路の奥へと続いている。


 蟻がこんなところにまで侵入していたことには驚いたが、それ以上に、血が滴り落ちた痕が先へと続いていることの方に注目するべきだろう。推測だが、アンクルが呼び寄せた機銃蟻はおれたちだけでなく、彼自身をさえも攻撃対象にしたのだと思う。きっと、彼がぶちまけた血の臭いは、ほんの僅かではあったのかもしれないが、彼自身にも付いていたのだ。そのために、数匹の蟻が彼を追って塔の中に入ってきたのではないか。


 だから薄暗い通路の中、彼は不意を突かれた。おれたちに仕向けた機銃蟻がここに来ることなど露にも思っていなかったからだ。そして射撃された。蟻はごく少数だったため、始末するのに手間も時間も掛からなかったと思うが、それでも無防備なところに攻撃を浴びせられたために負傷をしたのだ。石畳の上で鈍く光るこの乾き切っていない血痕の数々は、そうして付けられた傷口から流れ落ちたものなのだと考えられる。


 この状況、おれにとってはチャンスだと見ていいであろう。肉体の傷や魔法の使いすぎによる疲労などでヘロヘロ状態のおれは、走ることすらままならなかった。ゆえに、アンクルを追いかけたはいいものの、彼に追いつき、彼の行動を阻止するという役目を全うできるかどうかは正直なところ自信がなかった。


 けれども、彼が流血するほどに負傷しているということは、彼もまたおれと同じように走ることなどできないはずだ。もしかすると、おれよりも進む速度が遅くなっているかもしれない。ということは、今のおれでも十分に彼を止められる可能性があるということだ。だからこの状況はおれにとって好機なのだ。


 おれは杖と壁を支えにして、ぼんやりと暗い石造りの通路を急いだ。足を動かし、前へと進む度に、塔全体から感じられる魔力が不思議と強くなっていった。大燭台が鎮座する最上階にもなかったモルフォのお目当ての魔導具もまた、どうやらこの奥にあるようだ。まさか、アンクルの狙いはこの塔に隠されているその魔導具なのだろうか。近付くにつれて濃くなる魔力のことを考えると、その線はあながち間違ってもいなさそうな気がする。


 突き当たりの扉を押し開いて中に入ると、前方には広大な空間が広がっていた。通路同様、壁の燭台に設置された蝋燭が、頼りなげに燃えて部屋を照らしている。部屋の中央付近には、燭台の灯りが暗闇から浮かび上がらせている、岩石を削って造られたらしい何かが無造作に転がっていた。瓦礫のようなものが置かれている床には、よく見てみれば、幾何学的な図形が描かれている。おれの目にはその図形が魔方陣のように映った。


 また、入口からもっとも離れた壁には大きな壁画が描かれていた。頭上におわします、白い羽を生やした神々のような存在に向けて、修道女らしき恰好をした一人の女性が祈りを捧げている絵だ。目を閉じ、胸の前で手を組んでいる。彼女は宝石の付いた首飾りをしていて、その宝石が丁度組んだ両手の上あたりに位置しているのだが、その宝石だけはどうやら絵ではないらしい。自身が(れっき)とした宝石であることを主張するかのように、女性の胸元にあるそれは燭台の揺らめく光を受け、色鮮やかに赤く煌めいていた。


 視線を下げると、壁画のある壁の下の方はこちら側へとせり出ているのが窺えた。白い布に覆われた女性がその上に横たわっている。なるほど、壁からせり出た部分は寝台の役目を果たしているようだ。

 追っていた人物は、負傷した右脇腹を押さえ、右脚を引きずりながら瓦礫群の中を通り抜けている途中であった。彼の通った道筋が、点々と落ちた血痕によって把握できる。


「追いついたぞ、アンクルさん!」


 おれの呼び掛けに、アンクルは一瞬だけ足を止めてこちらを振り向いた。目が合って、おれは不格好に走り出し、アンクルは再び前を向いて歩き出す。走りとも早歩きとも言えないような情けない動きだったが、それでもおれはアンクルとの距離を徐々に詰めていった。アンクルの方も掴まるまいとして、懸命に先へ先へと進んでいる様子だったが、おれとの距離は縮む一方だった。五メーター、四メーター、三メーター、二メーター、一メーター、そして————。


「観念しろっ!」


 おれは両手でしっかりと構えた大杖を思い切りアンクルの横っ腹へと打ち込んだ。彼が手で押さえていた右脇腹である。彼は呻き、その場に倒れ込んだ。


「大人しくしなよ、アンクルさん。手負いのあんたをこれ以上痛めつけたくはない」


「…………クソッ……クソ、クソォ……」


 おれはアンクルの背に跨がり、彼の両腕を背中へと回すとその手首をしっかりと押さえる。右手で杖を持っていたため、左手だけで彼の両手首を握っていなければならず、暴れられたら簡単に逃げ出されてしまうのではないかと思った。しかし、おれ以上に体力を失っている様子の彼は全く抵抗する気配を見せなかったので、頭を過ぎったこの不安は一瞬のうちに消え失せてくれた。


「とりあえず、あの注射器みたいな魔導具を渡してくれ」


 床に突っ伏すアンクルを起き上がらせる前にあの魔導具だけは没収しておきたかった。彼が何をやろうとしていたにせよ、あの魔導具は確実に彼の計画の中心を担う鍵のはずである。それを彼の手から引き剥がし、完全に行動を起こせないようにしないことには、万が一という事態もあり得ると踏んだからだ。

 だが、おれの言葉に対してアンクルは薄気味悪く笑って答えるだけだった。


「なあ、いい加減もう諦めろよ。そんな傷だらけの状態で、しかもおれに掴まった状態でさ、いったい何ができるというんだ。諦めて、魔導具をこちらに渡してくれ」


「……町の人を襲った時の魔導具か。ああ、渡してもいい。でも……だが……その前に一つ、昔話に付き合ってはくれないか?」


「昔話? おいおい、それはさっきみたいな時間稼ぎなんじゃないだろうな」


 ルフォン湖の畔で、鈴の魔導具についてアンクルが説明した時のように、である。


「この状態の僕に、君は、何かできると思っているのか? “何もできないだろう”ってさっき言ったのは君の方じゃないか。頼む。僕の……一抹の希望を打ち砕かれた僕の、ささやかな願いを、聞いてくれ……」


 アンクルの言葉の最後の方は掠れた声になっていた。時間稼ぎの可能性が完全にないとはおれにはとても思えない。だがしかし、確かに今のアンクルにこの状況を打破できるような行動を起こせるとも思えなかった。

 数秒迷ったすえ、おれは彼の頼みを聞き入れることにした。


「ありがとう、ひだり君。それと、お願いばかりで申し訳ないけれど、上体だけでもいいから起こしてはくれないかな? この体勢は身体に堪える」


「……分かった。でも、暴れたり逃げるような素振りを見せたら躊躇なくまた地面に叩き付けてやるから、そこんところは覚悟しといてくれ」


 後ろ手にしたまま、おれはアンクルから退き、彼の身体を起こして床に座らせた。拘束しやすいよう、おれもまた、アンクルの後ろに座り込む。ひんやりとした冷気が石畳の床からお尻へと伝わってきて、おれの身体を冷やしてくる。


 アンクルは再度、感謝の言葉を口にした。


「それで、アンクルさん。おれに聞いて欲しい昔話っていうのはどんな話なんだ?」


「三年前から今に至るまでの、長い話さ。あそこの壁際のところに、女性が一人、横になっているのが見えるだろ?」


 アンクルに顎で示され、おれは白い布に包まれた女性へと目を向けた。彼女の存在には、この部屋に入った当初から気付いている。何故こんなところで女性が眠っているのかと不思議に思ってはいたが、優先すべきはアンクルの捕獲と彼の行動の阻止であったため、横たわる彼女についてはすっかり思考を止めてしまっていた。


「これから語るのは、僕と彼女————ピスラとの、単なる想い出話だよ」


 そうして、アンクルは自身の過去を話し始めた。「幸せに満ちていて苦々しい、あの頃の想い出だ」という言葉を、最後の枕にして。



つづく

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